言葉‐1
紗枝の目はこれ以上ないほどに見開かれている。
対する緑間の方は、苦しげな表情を崩さない。
「…あ…」
「…だめか」
「…そっ…その…、だめと…いうか…」
紗枝の頭はすっかり真っ白になっていた。
腕が、足が、震える。
なんで、どうして、こんな。
状況を上手く把握できずにしどろもどろになっている。
しかし緑間の手の力が緩められることはない。
「…静かな場所に行きたいだけだ。お前と二人でいたい」
「…〜っ…」
紗枝は真っ赤になってうつむいた。
緑間はそんな彼女を見つめたまま、視線を逸らさない。
頼りないほど柔らかい腕はかすかに震えている。
困らせている。それは十分承知している。
だがどうしても、この腕を離したくない。
一声も発せず、時間は過ぎる。
彼らのそばを人は次々と通りすぎる。
だが、ふたりにはお互いしか感じられない。
息がつまりそうな時が経った後。
紗枝はうつむいたままかすかに頷いた。
腕から手が離された。
と思ったら、今度は手にふれられた。きゅっと握られる。
紗枝は反射的に緑間の顔を見た。
目は、合わなかった。
「…行くぞ」
「…は、い…」
紗枝の頭はすっかりショートしてしまった。
何も、考えられない。
水の音がする。
時期はもうすぐ冬。
海の水音が淋しさを誘うころ、いつもと同じように並んでベンチに座った。
少し離れて、臨海公園にふたりは来ていた。人の姿はほとんどない。
「これを飲むのだよ」
「…あ…ありがとうございます…」
緑間はふたつあるうちのひとつの缶を紗枝に渡した。
温かい。おしるこなのが緑間らしかった。
ふたり同時に缶を開け、一口飲む。
ほっとする。
小豆特有の甘さに心が和らぐ。
そっと安堵の息をついた後、遠くに目をやる。
辺りは静かで人の気配はない。
ぼうっと海の向こうを眺めて再び缶に口をつけた。
飲みながら、ちらりと紗枝は隣を窺う。
彼はベンチの背もたれに片腕を乗せて、片手でおしるこを飲んでいる。
顔は向こうを向いていて見えない。
「…」
ここに来るまでも彼はあまり口を開かなかった。
だけど、手はずっと繋いでいてくれた。
…今、何を考えているんだろう。
ふたりは一言も言葉を交わさずに、夜の海を見ていた。
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