行く水 | ナノ


努力と弱さと嘘‐5

「え…な、悩みですか?」
「ああ。昨日の寝言聞く限りだと上手くいってないんじゃないかと思ったんだけど」

木吉の言葉に紗枝は目をぱちくりさせた。まさか昨日少し話しただけの後輩にそこまで気を遣ってくれるなんて、と思ったのだ。

そう思うと紗枝は申し訳ない気持ちになると同時に、温かい思いを抱いた。

深雪ちゃん、夏子ちゃん、リコさん、黒子くん、そして木吉さん。こんなに色んな人が心配してくれて悩みを聞いてくれて、私は…。

もう、立ち止まったままじゃいられない。

「悩みというか…実は、怖くて向き合えない問題があったんです」
「…」
「あの、でもそれは緑間くんに問題があるんじゃなくて、私の気持ちの問題だったんですけど」

少し寂しげに笑った。

女の子のことを知るのが怖かった。会いに行った時も迷惑がられると思って言えなかった。

「彼と上手くいっているかどうかはよく分からないですけど、私…」

言葉を続ける前に、きゅっとスカートの裾を握る。

黒子の言葉で紗枝も改めて以前の事を思い出していた。

あの頃、バスケに対し一心に努力して輝く彼に少しでも近付きたくて、私も何か努力をしようと必死だった。努力をする人になって、彼に近づきたかったんだ。

付き合うことが出来た今でも、勉強に対する頑張りはやめていない。今はあの時とは少し違って勉強は習慣になってしまったから、継続し更に向上するための努力に変わった。

継続し更に向上するための努力、それは彼との関係でもきっと同じで。

女の子のことを知るのは怖い。言うのも怖い。嫌がられたらと思うと胸が苦しい。
だけど、言うことを言って、ちゃんと彼と向き合いたい。言わなきゃじゃくて、言いたい。あの頃のように、頑張りたい。

そう思って、紗枝の顔が綻びた。

黒子くん、さっきはありがとう。あの頃の気持ちをこうやって思い起こさせてくれて、大丈夫だと言ってくれて。あなたはいつも私が問題と向き合えるきっかけをくれる。

紗枝は木吉の目をしっかりと見据えた。

「…私は、ちゃんと問題と向き合って、彼に選んでもらえるような人であり続けたいです」

紗枝の言葉に木吉は少し目を見開いた。

こういう子か。

何だか無性に嬉しい気持ちになった木吉は紗枝の頭に手を伸ばした。その大きな手でぽんぽんと優しく頭を叩く。

「頑張れよ」

「…ありがとうございます」

何だか今日は励まされてばっかりだ。本当にみんな、みなさん、優しすぎて、先日電話をくれた高尾さんも。みんながいなかったら私は怖いと感じたままで動き出せなかったかもしれない。

また涙が出そうになるのを堪えて紗枝は木吉に笑いかけた。それを受けて木吉もいい笑顔を浮かべた。

そのやたらと和んだ空気にそばを通る生徒も少し笑顔になり、勇んで部活に向かって行ったという。





夕方、冷たい窓から夕日が差し込む。

まだ数名クラスメイトが残る教室で、深雪は帰宅の途につこうと肩に鞄をかけていた。

彼女は今日1日を浮かない表情で過ごした。友人はそんな彼女に首を傾げていたが、詳しく理由を聞く事はしなかった。何となく彼女が落ち込んでいる原因を察していたから。

そして放課後になり、友人は本日も元気にバスケ部へ向かっていった。
一方の深雪。彼女もいつもであれば緑間に会いに行こうと駅に向かう所だが、今日はなぜかその気力も湧かず、ただ真っ直ぐ家に帰ろうとしていた。

何であたしこんなに元気ないんだろ…。

分からない、とため息をつき教室を出ていこうとした所、友人の机の上である物を発見した。
それは、深雪が駅で出会ったおは朝信者がどんな人物なのかを知る事になったきっかけの雑誌である。

「…」

鞄を下ろし、友人の席に座った。ペラペラと捲っていくと、お目当てのページを発見した。

そこにあったのは彼がユニフォーム姿で大きく写っている写真。試合中のもののようで、流れた汗がライトに反射して光っていた。

深雪は眩しそうに目を細めた。

やっぱりかっこいいなぁ…。背は高いしスポーツだってこの通り。

天才シューターって書かれてるけど、どのくらいすごいんだろ。
天才、天から与えられた才能。そんな才能があったらそれだけで人生勝ち組?努力なんていらなかったり?

その時、深雪の頭に紗枝の言葉が蘇った。

『努力家で』

天才で、努力家?どういうこと?天才でも努力するの?天才が努力したら、凡人はどうするの。絶対に敵わないの?

あれ…そういえば、彼がバスケやってるとこ、まだ見たことない。


それと紗枝はもう一つ、挙げていた。『優しい人』だと。深雪は今まで彼としてきた会話や出来事を思い出す。

一度危ない所を助けてもらったよなぁ。一度だけ。その時、本当に彼を好きになったっけ。後はほとんど冷たくあしらわれてるけど。

乾いた笑いが漏れて、寂しげな表情になる。

もしかして紗枝の前だといつも優しかったり…?いつもあんな表情をして、名前を呼んだり、やきもち焼いたり、キスしたりしてるのかな…。


ページがくしゃりと音を立てる。想い人の写真も歪んでしまった。

…あたし、彼の事全然知らないわけ?
あたしには知らない彼の事、紗枝は知ってるのかな。

「…いや…」

雑誌に頭をつけて、強く目を瞑る。外では夕日が沈もうとしていた。

やっぱり…嫌…。引き下がるなんて、嫌。
あたしだって、彼が好きなんだよ。



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