努力と弱さと嘘‐3
「緑間君は柚木さんが努力する姿を直接見てはいないかもしれませんが、何かを頑張っている人は傍から見てもよく分かります」
一歩二歩と足を進め、黒子は自身の右手をゆっくり持ち上げる。紗枝は揺れの増した視界でじっと黒子の顔を見ていて動かない。そんな彼女を黒子は少し優しい目で見つめ、自分より少し低い位置にある頭に手を乗せた。
「大丈夫ですよ。柚木さんはずっとこうして頑張っているんですから。自信を持ってください」
「…黒子くん」
それは優しい手だった。優しくも、ボールに触れて、放って、繰り返し繰り返し、ずっと努力し続けてきた人の手だ。
頭に乗る温かな重みを感じたら、じわりと視界が歪んだ。涙が溢れそうになるのを紗枝は必死に堪え、目を閉じる。
前と同じ、私は彼の前では泣いてばかりかもしれない。
黒子はふっと口元を緩ませて紗枝の頭から手を離し、窓の外に目をやった。
「もし今、火神君がいたら何と言うんでしょうか」
彼の目は遥か遠くを臨んでいるのか。アメリカにいるであろう相棒の名前が口からこぼれた。
「…そうだな」
紗枝は目元を袖で拭って、窓際に歩いていった。その表情は優しく口元には笑みが浮かんでいる。
窓に手をついて、空を見上げた。アメリカは遠く、太平洋を越えた先にある。東側にいるのか西側にいるのか、居場所が知れないから時差も分からない。
今彼が何をしているのかはさっぱりだけど、でもきっと。
「火神くんがいたら、うじうじ悩んでないでさっさと決着つけて来い!とか言うかな。呆れた顔して頭小突かれそう」
外を眺める紗枝の隣に黒子が立った。
「火神君はまるで女心の分からない人ですからね」
黒子の発言に紗枝の口から笑い声が漏れた。彼は相変わらず歯に衣着せぬ物言いをする。
「そんな風に言うと火神くん、怒るよ」
「そうですか?」
口許に手をやってくすくすと笑った紗枝は、顔を横に向けて黒子を見た。
「そろそろ教室に戻ろっか」
「そうですね」
きっと、火神くんもバスケ、頑張っているんだろうな。私は次の最後のテストを精一杯頑張ろう。
窓に背を向けて、教室を出て行こうとする彼らの後ろ。青い空には飛行機雲が出来て、すぐに消えた。どうやら明日も晴れになりそうである。
黒子のおかげで軽くなった気持ちのまま無事にテストを終えた紗枝。前日は熱で朦朧としていたところもあり不安が残る結果となったが、書けるだけは書いた。後は採点が終わるのを待つのみである。
そして現在放課後、紗枝は図書室のカウンターにつきながら今度の週末に思いを馳せていた。
テスト期間が終了したため図書室人口も激減し、現在は片手で数えられる程にしか人がいない。カウンターに来る人もいないし本が読み放題だ。しかし紗枝は文字に集中出来るはずもなく、ぼうっとこれからの事を考えていた。
私は、日曜日泣いてしまったことと女の子についてちゃんと話したい。一度、言ってみるんだ。
緑間くんの方は…どうなんだろう。話したい事があるとメールには書いてあったけど、彼が話したいことってやっぱり、私が泣いてしまったことについてだろうか。高尾さんが言うにはすごく落ち込んでいたみたいだし…。
いやそれともまさか、あの女の子について…とか。
女の子の事を思えば不安に心臓が音を立てた。聞くとは決めたものの、怖いものは怖いのだ。
まだ見たことがない紗枝の恋敵ともいうべきその子。考えはそちらへ移り、読んでもいない本のページを落ち着かない気持ちで捲った。
一体どんな子なんだろう。電話の印象だと大人しいという感じではなかったし、元気な子かな。
もし、もしその女の子がすごく美人さんだったりすごく可愛い子だったりすごく魅力的な子だったらどうしよう。
緑間くんすごく格好良いし(紗枝によるフィルター補正含む)、いつも一緒に帰っていてそれでお似合いだったら完全に周りから恋人に見られて…。
「…」
だめだめ、さっき黒子くんが励ましてくれたばっかりなのに。そうだ、彼が言ってくれた。あの頃、あの頃の私はただ彼に選ばれたくて一心に…。
ネガティブな考えを振り払うかのように頭を左右に振ったその時、勢いよく図書室の扉が開かれた。
「はあっ、はっ…。間に合った…か」
本を片手に息を切らして入ってきた人物。それは昨日紗枝がお世話になったばかりの先輩だった。紗枝の目が丸くなる。
カウンターに向かって歩いてきた彼は見覚えのある女子生徒を目にして、歩みを遅めた。
「ん?君は確か…」
「木吉さん、ですよね。こんにちは」
「ああ、こんにちは。君、図書委員だったんだな」
カウンター前まで来た彼に会釈をすれば、木吉は人の良さそうな笑顔で応えた。本を持っている所を見ると返却に来たらしい。
紗枝は彼から厚さ2センチほどの本を受け取り返却手続きをした。するとそれはなんとちょうど1週間前が返却期限の物だった。今日が期限だと思い急いで返しに来たのに全く間に合っていなかったようである。
事実が分かって木吉は笑って「いや悪いな」と言い、図書室を出ていこうとした。が、それを紗枝は引き止めた。
「あの、すみません…少しお話があるんですけど」
小声でそう申し出た彼女に木吉はぱちぱちと瞬きをする。
「話?別に構わないよ」
「そうですか、ありがとうございます。ちょっとごめんね。少し頼んでもらっててもいいかな」
紗枝と同じ1年の当番に頼めば、指で丸を作って了承した。紗枝は声を出さず口の動きだけでありがとうと伝えて図書室を出ていった。
図書室から少し離れた廊下で向き合う二人。紗枝は丁寧にお辞儀をした。
「昨日はありがとうございました」
「いやいやそんな礼を言われる事でもないさ。それよりもう具合は平気なのか?」
「はい!今日はすっかり元気です」
ぱっと顔を上げ、胸の前でぎゅっと握り拳を作って答えた紗枝。明るい様子の彼女に木吉は人好きのする笑顔で応えた。
「そっか。それは良かった」
それから、「ところで」と笑顔のまま繋げた彼。紗枝は背の高い先輩の顔を見上げて言動に注目した。
「緑間とは上手くいってるのか?」
「…あ」
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