努力と弱さと嘘‐1
都内のある高校の昼休み。
購買の混雑がピークを迎える頃、一人の女子生徒がパンを両手で持ちぼうっと宙を見ていた。袋は開いていて一口かじられた跡があるが、以降なかなか口がつけられていない。
そんな彼女の元へ友人が購買にある自販機で飲み物を買って戻ってきた。手にはミルクティーとココア、どちらも紙パックで温かいものである。
「飲み物買ってきてやったよー」
言って、向かい合わせにくっつけてある机に飲み物を一つずつ置いたのだが。
「…深雪?」
「…」
「おーい」
呼び掛けても顔の前で手をひらひらさせても一向に反応がない。
友人はぼんやりとした表情を浮かべる顔の目の前に両手を持っていき、パンッと鳴らした。
「うわっ!」
深雪は驚きで目を大きく開き身を引いた。
幸いにもパンは落とさなかったが、「何すんの」と眉間に皺を寄せている。自分が上の空で、名前を呼ばれていた事には全く気づいていないらしい。
友人はじいっと深雪の目を見つめながら向かいの席につき、それから一言。
「…あんた、昨日何かあった?」
すると深雪の眉間から皺が解かれ、真顔になった。昼休みで騒々しかったはずの音が遠のく。
「…何でそう思う?」
「何でってだって、昨日まではさぁ、会うたびに真太郎君がー真太郎君がーって言ってたじゃん。煩いうざいって言ってもやめないくらい夢中で喋ってたでしょ」
「………」
「なのに今日は一度も緑間真太郎の話をしてない。だから何かあったのかと思ったわけ」
そう、彼女の言う通り。昨日までと違って深雪には気軽に彼の事を語れない、ひっかかる事が彼女にはあった。
深雪はパンを机に置き、腕を机の上に乗せた。それから頬杖をついて目をあわせず、思い出すように話し始めた。
「…一昨日さぁ、すごい雨降ってたでしょ」
「一昨日って日曜日?そういえば、夕方から結構降ってたね」
「その時傘貸してくれた子がいたんだよね」
「…は?」
え?まさかもう気変わり?その人に恋したとかじゃないよね…?
一体何を言っているのかと目を注ぐ友人に深雪は構わず続けた。
「誠凛の子でさ、紗枝っていうんだけど」
「……女の子?」
「聞いての通り女の子」
「あーうん。だよね。で?その子が何?」
さすがにこんなにも早く気が変わるわけないか。
ほっとしたような、やっぱり依然として心配なような気持ちになった友人。しかし次の言葉に彼女は度肝を抜かれる事となる。
「その子、真太郎君の彼女なんだよね」
「へー………は!?」
驚愕の声と同時にガンッと机下で音が鳴り、紙パックが1本倒れた。どう考えても痛かっただろうが、それよりも驚きが勝ったようで彼女の口は止まらない。
「かっ彼女に会ったの!?緑間真太郎の!?それマジ!?」
「マジ」
友人は驚きのあまり、深雪の机に拳を乗せてずいっと顔を近づけた。
「どんな子!?まさか揉めたりとかした!?鉢合わせなんてしてないよね!?」
「…何もない。ていうか、初めて会った時は気付かなかったし。それにあっちはまだ何も気付いてない」
「はぁ?あんたは気付いて向こうは気付いてないって…何であんたその子が彼女だって分かったの?」
「それは昨日…」
借りた傘を返しに誠凛高校に行った事。彼女の母親と会って家に招かれた事。部屋で大きすぎるジャージを見つけてもしかしたらと思った事。友人に事のあらましを話した。
彼女の話を聞いた友人は始終驚きっぱなしであった。緑間の恋人である紗枝と、「身を引くなんて無理。あたしの運命の人なんだから」というような事を言っていた深雪が友達になって仲良く話をしていたと言うのだから、無理もない。
一通り聞き終えた友人は緩慢な動作で先ほど横倒しになった飲み物を手に取り、ストローを挿した。人差し指でこつこつと先端を叩く。
「…いやいや、スリルありすぎでしょその展開。てか、世間狭すぎ」
深雪を見つめたままストローに口をつけてココアを飲む。それから、「それで、どんな子なの?」と興味深く聞いた。なんたってあのキセキの世代の一人の彼女なのだ。
キセキの世代と言えば、学生でバスケをやっていれば知らない人はそうそういないだろう、そのくらいの有名人。そんな天才の彼女など、物凄く興味をそそられる対象である。
「どんな子っていうのは…」
深雪は迷う素振りを見せた後、表情を曇らせた。
「…言いたくない」
昼食を食べ終えた紗枝は少し外の空気が吸いたいな、と思い椅子から立ち上がった。窓を開ければすぐに外気が待ってはいるが、暖房の利いたこの教室ではさすがにそれは出来ない。
「柚木さん」
周りのざわめきに混じってしたのは聞き慣れた声。すぐ側に立つ、自身よりは幾分背の高い彼を紗枝は目を瞬かせながら見た。
「黒子くん、どうしたの」
「少し話があるんです」
「はなし…?」
こくりと紗枝は頭を傾けた。
「はい。出来れば静かな所で話をしたいのですが」
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