「ふむ…このアバカーンは素晴らしいな」
「でしょっ?なんてったってランデル王国の特産品だからね!」
それにこのいくつかはあたしが作ったものだしね、と胸を張った女性を見て青年の口から笑みが零れた。
「よし、分かった。オルドール王国は、前約通りアバカーン5箱分を5000万コールで買い取ろう」
「交渉成立、だね」
交渉内容を示す公的な書類を書き終えると、お互い顔を見合わせニッと笑った。
「ハンス、久しぶり!」
「久し振りだな、アニー」
ここは、ランデル王国王城。この国の財政をリゼット王女と共に担っている、アニーの本拠地でもある。
十年程前に銀行に差し押えられたというのが嘘のように、王国内は活気に満ち溢れている。
ハンスは、オルドール王国から、交易品の選定をするためにここへやってきていた。
セラ島を離れたとき以来、時々手紙のやりとりはするものの全く顔を合わせていなかったので、アニーとは数年ぶりの再会となる。
「随分髪が伸びたな」
「へへ〜、可愛くなったでしょ?」
「……相変わらず幸せな頭をしてるな君は」
「ひっどーい!!年頃の女の子に向かって!」
以前と変わらない軽口が飛び交う。そのことに内心安堵する。
「そういえば、おじいちゃん元気かなぁ」
「あの方の元気じゃない姿なんて想像つかないな」
オルドール王国で今も現役で働いている老師の企み顔が浮かんできて、ハンスは遠い目をした。あの方の元気さは半端じゃない。
そんな師でもやはり心配事があるらしく……とそこまで考えて、思い出したことを口に出す。
「ベートゲア師が嘆いていたぞ、そろそろ後継者が欲しいって」
「そんなの知らないよっ!だいたいランデル王国行きを勧めたのはおじいちゃんだし!」
わざとらしく口を尖らせてそっぽを向いたアニーを見て、ハンスは苦笑した。
「そう言うと思った。でも、もしその気があったら戻ってあげたらどうだ?」
師ももういい年だし…と続けようとして、ハンスは慌てて言葉を飲み込んだ。かの高名な宮廷錬金術士に対して使う台詞ではない。
一方、アニーはハンスの言葉にちょっと考え込む様子を見せた。しかし、次の瞬間、にまりという擬音が似合いそうな笑顔が浮かぶ。何か企んでますと言わんばかりの表情だったが、幸いなことに彼は気付いていない。
「あたしにもここでの生活があるからね。毎日が本当に充実してるし。……でも」
くるりとハンスの方に向き直る。
「ハンスが寂しくてどうしても戻ってきてほしい〜っていうんなら考えてあげてもいいよ」
アニーがその台詞を言った後、不自然な沈黙が流れた。ハンスの慌てる姿や怒った顔を想像していたアニーはあれ、と思う。
時間にしてはそれほど経っていないがいい加減に気まずくなってきた頃、ずっと顎に手を当てて何やら考察していたハンスがようやく口を開いた。
「…そうだな。確かに僕はアニーに戻ってきて欲しいと思っているのかもしれない」
「……へ?」
発せられた予想外の台詞に、アニーの目が丸くなる。何か話題を振ろうと開きかけていた口は中途半端な位置で固まり、なんとも間抜けな顔を晒している。
つまりハンスが、あたしがいなくて、寂しいと?
次いでじわじわと赤く染まっていく頬にハンスは我に返った。
「あ…いや、これはそういう意味じゃなくって!お、思ったことをそのまま…って、違う!」
言葉を発するたびに深みにはまっていくハンスにツッコミを入れることも出来ず、アニーは固まっていた。
この状況を打破したのは、思いもよらぬ人物だった。
「一緒に帰ってあげてもいいんじゃない〜?」
聞こえるはずのない場所から声が聞こえて、二人は勢い良く後ろを向いた。
「ゴメンゴメン、立ち聞きするつもりはなかったんだけど」
柱の影から現れたのは、ランデル王国の姫リゼット。
「はわっ!?リーズ姉さんっ!?」
硬直状態から抜け出たアニーが叫ぶ。
「つまりは、ハンスのプロポーズってことだよね!?ふふふ、良かったわねアニー!」
「なっ…違います!それよりっ…!リーズさんはいつからそこに?!」
「ん〜、『随分髪が伸びたな』辺りかな?」
それってほとんど最初からじゃん!という二人の心の叫びを綺麗に無視し、リーズはにやりと笑った。
「せっかくハンスがこう言ってくれてることだし、そろそろオルドールの方に戻ってもいいよ」
「……!」
アニーは目を見開いた。
それは、この国にとって、リーズにとって自分はもう必要無いということなのだろうか。二人のコンビなら、怖いものなんてなにも無いと思っていたのに。
「で…でも、」
存外に声が擦れた。さっきまでの妙な高揚感はどこへやら、心が冷えていき何だかアニーは泣きそうになっていた。
「アニー?」
リーズが怪訝そうに、アニーの顔を覗き込んだ。
「あたし、ここにはもういらない…?」
それを聞いてリーズは一瞬目を見開き、その後ふわりと優しい顔になった。
「もっと一緒にいたかったから今まで言いだせなかったけど、向こうに御家族が首を長くして待ってるからね。そろそろアニーを帰してあげなきゃなって思ってたんだ」
アニーのおじいさんとも数年間って約束だったしね、とリーズは苦笑いする。
「で…でも、あたし仕事が」
「大丈夫よ!…そりゃあ、ちょっと不安は残るけど…。ずっと一緒に居たから分かると思うけど、この国は随分豊かになった。それに、先頭に立ってくれるような優秀な人材も育ってきたしね……ここまでアニーが立て直してくれたんだもの!」
そう言ってウィンクする彼女はとても綺麗で。
「リーズ姉さん〜!!」
涙ぐんで、アニーはリーズに抱きついた。
「きっとね、アニーがオルドールにいてくれたら、あたしの国とアニーの国はずっと仲が良いままでいられると思うんだ」
子を見守る母親のような穏やかな表情で言葉を紡ぐ。
「うん…」
「二つの国の架け橋になってくれないかな?アニーならきっと出来ると思うの」
「うん…、あたし頑張ってみるよ!」
「ありがとう」
リーズは心底嬉しそうに笑った。
「それにね、アニーが王宮付きになったら…」
突然リーズの顔つきが邪悪なものになった気がして、それまで傍観者だったハンスは眉を寄せた。
その気配を察したリーズは、アニーを引き寄せ耳元で囁いた。
「アニーが陰で財政を操るの!情報を共有して二国まとめて稼ぐわよ〜!!」
途端にアニーの表情が生き生きとしたものに変わった。目がきらきらと輝いている。
「おっけ〜♪」
「ちょっと待って下さい!今アニーに良からぬことを吹き込みましたねっ!?」
今まで事態を見守ることしか出来なかったハンスが声を荒げた。
「はぁ…これだからおカタイ奴だって言われるんだって」
「ハンス〜、あたし何も聞いてないよ!」
「嘘をつけ!だったら、その態度の豹変振りは何だっ?!」
面倒なことになりそうだと思ったリーズは、とんずらすることに決めた。
「じゃあ、あたしは仕事があるからもう行くね!後は二人でごゆっくり〜!」
「あっ、待って下さいリーズさんっ!!」
追い掛けようとしたハンスの服を、アニーが掴んだ。
突然のその行動にハンスは困惑する。
「…何だ、アニー」
「えへへ、ハンスっ!これからもよろしくね!」
差し出された右手に、戸惑いながらもハンスは手を重ねた。
「よろしくな、アニー」
当初はもっと甘くなる予定だったのに…orz