触るなと、言ってしまった。
そのとき僕はどんな顔をしていたのだろう。…わからない。驚いた表情…それとも泣きそうな顔?……どっちだっていい。どちらにせよ自分の顔はわからないのだから。
僕にわかるのは1つだけ。
僕は確実に咲月さんを傷つけたということだけだ。
「咲月…さん…」
「っ…」
絞り出した声は小さくて掠れていた。それでも咲月さんには聞こえたようで、彼女はピクリと身を震わせると、ごめん今日は帰るねと呟いて、カバンをひったくるように掴んで教室を出ていってしまった。
後に残された僕は1人、嘆息して、先程まで咲月さんが腰掛けていた窓枠に寄りかかった。……やってしまった。僕は馬鹿だ。自分の都合だというのに咲月さんを拒絶した。なんて脆い。こんなだから、だめなのだ。
「………」
僕は目を閉じると、今度は長く深い溜め息を吐いた。
「うっわ、もうこんな時間」
ふと腕時計を確認して、驚いた。時計は4時30分を示していて、俺が教室を出てから約1時間が経過していた。やっべえな…今日は青空と咲月と街に出かける約束をしていたというのに、陽日先生ときたら延々と青春について語るものだからたまったもんじゃない。あの人の真っ直ぐなところは長所だと思うが、その真っ直ぐさが祟って人の都合を考慮しないのは短所だと思う。
駆け足で神話科の教室に向かって「悪い、遅れた!」とドアを開けた。
「あれっ、青空?」
「ああ、犬飼君。おかえりなさい」
教室には、窓枠に寄りかかってぼんやりする青空しか居なかった。あれ、咲月は?
「青空、咲月は?」
呼び掛けながら近付くと、青空は一瞬だけ身を竦ませると、ぎこちなく笑った。
「咲月さんは先に帰られたようです」
「何かあったのか?」
「…いえ…何も…」
青空は薄く笑うと、静かに目を伏せた。……妙だな。咲月はあんなだが約束破って先に帰るような輩ではない。…これは絶対何かあったな。
「そういうわけですので、街へ行くのはまた今度……」
「何があった」
「別に何もありませんよ」
「……そうかよ」
青空はあくまでもしらばっくれるつもりらしい。クソ、厄介だな。こうなったらカマかけてみるか。
「青空…」
「……なんでしょう」
「お前、咲月を傷つけたな」
「…………」
ビンゴだ。
こうなったら話は大体読めた。俺はやれやれと溜め息を吐くと、青空の胸ぐらを掴んで言った。
「俺たちは、しばらくお前に話しかけないし、近付かない。だから、その間に頭を冷やせ。待っててやる」
「…………」
青空の沈黙を肯定と受けとった俺は、青空から手を離すと「じゃーなー」と気持ち普段通りの口調で教室をでた。
「………くそ、咲月……」
犬飼君の言葉を脳内で何度も反芻した。「頭を冷やすまで、話しかけないし近付かない」と彼は言った。
「別に、1人は慣れています」
呟いたあと、妙な寂寥感に襲われた。
また、僕は置いていかれるのか。
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