悲しいくらい強かな君へ






「りんたろーくんが怪我しなくてよかったよ」

そう言って、満さんはいつものように綺麗に笑ったのを、俺は覚えている。









次の授業は学年共通の必修科目のため、科に関係なく成績でクラスが振り分けられた授業だった。俺と満さんが一緒に受けられる数少ない授業のひとつだ。そのため、俺は内心浮かれていた。それ故周りを配慮する余裕なぞ無かった。それがいけなかったのだ。

満さんと話ながら階段を降りている途中――踊り場辺りだったか、後ろでふざけあっていた人に、誤って押されてしまった。
突如、俺を襲う浮遊感。

「―――え?」

「り、りんたろーくん…!」

あ、落ちるな、と自覚した瞬間俺はぎゅっと目を瞑り、恐らく来るであろう衝撃や痛みに備えた。が、そんなものは一向に来る気配がなく、

「…………?」

訝しんだ俺が目を開けると、そこには望んでもいない世界が広がっていたのだ。

「おい、大丈夫か日立!?」

「日立さん…!!」

俺をかばって、満さんが階段から落ちていた。彼女は俺の15段下で、うつ伏せになったまま微動だにしない。彼女のクラスメイトが必死に話しかけるが、何の反応もなし。

「っおい、三上!何やってんだよ、お前こいつの彼氏だろ!!」

柊くんの声にハッと我に返り、階段を転がるように降りると、俺は満さんの頭を自分の膝に乗せて仰向けにさせ、彼女の名を何度も呼んだ。

「満さん、満さん…!」

お願いだよ、目を覚ましてよ。柊くんが機転を利かせて、濡らしたハンカチを満さんの額に置く。それに効果があったのかなかったのかわからないが、満さんはうっすらと目を開けて、俺に微笑んだ。

「りんたろー…くん」

「な、なに?満さん」

「怪我ない?」

「あるわけないじゃないか!」

君が…、と言葉を続けようとしたが、満さんが綺麗に笑ったのを見て言葉がでなかった。

「りんたろーくんが怪我しなくてよかったよ」

「…………ッ!!」

なにを…ばかなことを。そんな言葉が聞きたいんじゃない。俺は、俺は、

「おい!星月先生呼んできたぞ!」

誰かの声に顔をあげると、星月先生が普段じゃ見れないような形相でこちらに駆けてきた。そして満さんを見るなりサッと青ざめて、そっと満さんを抱き上げる。

「ほしづき…せんせ…」

「しゃべるな日立。目を閉じてろ」

「は…い…」

「お前らは次の授業に行きなさい。三上、お前は来い」

「はい」

「日立さんを頼んだよ」という柊くんの言葉に頷いて、俺は星月先生のあとを覚束ない足取りで追いかけた。



刧刧



「りんちゃん、りんちゃん」

「えっ…あ…」

ハッと我に返ると、そこは病院で、目の前には笑ちゃんと咲月ちゃんが心配そうな顔で俺を見つめていた。ああそうか、2人とも満さんの心配をして…。

「大丈夫?」

「あ、はい…満さんは今検査して…」

「違うって、満じゃなくて倫くんの心配よ」

「へ…」

俺?
どうして、と首を傾げると、咲月ちゃんは怒ったように顔をしかめた。

「そんな死にそうな顔して、心配しないわけないでしょ」

「そうそう。りんちゃん、みっちゃんは別に死んだわけじゃないからだいじょぶよ?」

だから、元気だして?
そう言って微笑む笑ちゃんと、未だにしかめっ面の咲月ちゃんを交互に見比べて、俺は小さく頷いた。

「倫くんが倒れちゃ意味ないんだからね」

男ならしっかりなさいと叱咤激励してくれた咲月ちゃんにもう一度頷く。
2人は「それじゃあ私たちはあっちにいるから」と言い残して、行ってしまった。2人の行く先をぼんやりと見送っていると、そこには月子ちゃんや錫也くん、哉太くんだけでなく木ノ瀬くんや天羽くんなど、たくさんの人が心配そうな顔で待っていた。

「(それなのに、俺は…!)」

守れなかった。逆に、守られた。なんて、なんて情けないんだ。

自分の不甲斐なさに思わず唇を噛み締めた。じわり、とかすかに鉄の味が滲む。と、その時。

「ありがとうございましたー」

診察室のドアが開いて、重苦しい雰囲気に、いつもの明るい声が響いた。
その声に弾かれるようにして、月子ちゃんたちがぱたぱたと近付いていく。

「満ちゃん!」

「満!」

「あらっ皆さん、どうもお騒がせしてすみませんねー」

でへへ、と頭を掻く満さんの片足にはギプスがはまっていて、脇には松葉杖を抱えていた。腕にも何個か生傷が見える。

「もう大丈夫なの?」

「うん、平気だよ」

満さんは、辺りを見渡したあと、少し離れた位置にいる俺に気付いて慣れない松葉杖でゆっくりと俺に近付いてきた。

カシャン、と松葉杖を響かせて俺の前に来た満さんを、俺は直視しない。いや、できない。
どうしようどうしよう、とテンパっていると、満さんが小さくりんたろーくん、と呟いた。そこで俺の感情は一気にざわざわと波立って、俺は気付いたら叫んでしまっていた。

「この…っバカ!!」

「へっ…?」

水を打ったように静まる病院。だが俺は構わずに続けた。いや、もう続けるしかなかった。

「なんで…なんでっ助けたんだよ!!そんな、自分を犠牲にするようなことして!!それでもし!もしさぁ…怪我で済まされないことになってたら、おれ…っ」

どうすれば、いいんだよ…!と涙まじりに吐き捨てる。満さんはしばらく棒立ちになっていたが、

「ねえ、りんたろーくん」

私のこと見てごらんよ、と言って、満さんは自らの手を俺の頬に添えた。俺はしばらく目を泳がせていたが、意を決して満さんを見た。揺るぎない、澄んだ瞳と目が合う。

「ほら、大丈夫でしょう?」

ね?と微笑む満さん。

「……っ」

俺はもう限界だった。添えられた手を確かめるように握ってうつむく。満さんはそれにね、と続けた。

「それに、りんたろーくんの方がもっとバッキバッキになってたかもしれないよ?」

なんて、ね!

「………っ…」

普段の調子で笑う満さんを、俺は思わず抱き締めた。もちろん、怪我を配慮して優しくだけれども。

「――っ…ひっ、ぐぅっ…」

「あ、あららー?りんたろーくん?」

そして、今まで堪えていたものが崩れるように俺は満さんの肩口を濡らした。

「みっ、つる、さ…みつ…っ」

「…だいじょぶよ、りんたろーくん」

何度も何度も満さんの名前を呼ぶ俺を、満さんは小さい子を宥めるように優しく優しく、俺の頭を撫でてくれた。



刧刧



帰りの車で、俺は絶対に満さんから離れまいとして、これでもかというほど満さんに寄り添った。

「ねえ、満さん」

「んー?なんだい?」

「今度は、俺が一番に守るから、ね」

もう二度と、そんな目になんか遭わせないから。
そう誓うようにして、俺は彼女の頬に唇を寄せた。






原案はY子さん



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