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例えば君が慟哭するとして


「...修二」
「...んだよ」
とある町の一角。荒んだ風景が広がる路地裏。俺ら二人は、未だにそこを彷徨っていた。
「...私たち、あとどのくらい歩くのかな」
「しらねぇよ」
「...私の所為で、ごめんね」
「お前の所為じゃねぇだろ。謝んなうっとおしい...」
修二と呼ばれる俺は、さぞ鬱陶しそうに彼女の頭を乱暴に撫でていた。
そのせいで、髪をぐしゃぐしゃにされた女は、怒るわけでも不満を露わにするわけでもなく、そうかな、と笑うだけだった。

なぜこんな状況におかされているかを説明するには、彼女の説明をしなければならない。
女は、名をアリアと言った。その外見を一言でいうなら、"屍"。
傷だらけ、痣だらけの肌に、生気を宿さない瞳。血の気のない真っ白な顔色に、薄い呼吸を繰り返していた。
そのすべては、彼女の母親から始まる。修二は、マスク越に密かにため息をついた。

彼女、アリアの母親は、娘を虐待三昧、挙句の果てに男をつくって逃亡。遺されたのは、屍と化したアリアと、莫大な借金の二つだけだけだった。

俺はというと、そんな彼女を偶然拾ったただの放浪人。
とにかく、借金取りから逃げて逃げて、迷い迷って今に至るのだ。
...早く寝床を探さないと、また野宿になっちまう。しかし、もう宿を借りる金も残ってなくて。
「・・・私は、大丈夫。外で寝るから。よく母親に外に放られてたから、結構なれてる」
そんな俺の心を見透かしてか、彼女はどこを見ているのか解らない、虚ろな目で言った。
「...そうかよ。」
「うん」
まぁ、それじゃあ野宿も悪くないか、とごちながら、俺は今度はその野宿を展開する場所を探すのだった。




「おう、嬢ちゃんとチビちゃん」
「こんなあぶねぇ所ウロウロしてたらいけませんよ?」
それからしばらく路地裏を漂っていたのだが、案の定、それに絡んでくる奴らがいた。
俺は咄嗟に、アリアを背後に庇う。
「・・・どけよ」
「あぁぁ?威勢のいい兄ちゃんだねぇ」
「それよりさ。俺ら、女を売る仕事してるわけ。
その子ちょっと、貸してくんない?金は、報酬の半分はくれてや───」
「ざけんじゃねぇょ」
行くぞ、と、背後にいるアリアに静かに呟けば、それは男共の怒りに触れたようで。
「あぁん!?無視かオラァ!!」
ガンっ、とゴミ箱を蹴飛ばされ、肩をすくめるアリア。
「・・・どけよジジイ」
「上等じゃねぇか...!!」
バキィッ

視界が動転して、口内に鉄っぽい味が広がったと思うと、刹那、頬に痛みが走った。殴られた、ということは、今までの経験と感覚から読んでとれた。
「...修二...っ!?」
アリアの声が聞こえる。彼女の動揺した目。へぇ、そんな顔もすんだ。
「調子にのんなよ!!」
ぼや、とそんなことを考えていると、男はさらに畳み掛けてくるようで。
俺は、地面に手をついて反転すると、そいつの急所に渾身の蹴りをぶつけてやる。
「グゥアッ!!?」
うっわ、痛いだろーな、ざまぁみろ。
唸って前かがみに倒れた彼を横目に、俺はアリアの手を乱暴にひっつかんで走り出した。

このおかしな世界から、一刻も早く逃げなければならないと。






「修二...唇切れてる。マスクに、染みが...」
そういわれ、ぺろりと唇のあたりを舐めると、たしかに切れていた。しかし、そんなことはどうでもいい俺は無視するにとどまる。
「・・・修二ごめんね...」
「...んでだよ?」
「私の所為で、...私の所為で...」
「だから鬱陶しいッつーの。ヤメロ、マジそういうの。」
「だってさ...私がいなかったら、あんなことにはならなかったじゃない...?」
ネガティブスイッチの入った彼女は、どこを見ているか分からない、お馴染みの虚ろな目で。
「...オマエ」
「え?」
「もしかして、目ぇ見えてない?」
「...うん。右目はね」
そういって、小さく微笑されれば。それ以上続く会話はなくて。
「...いつの間にか、夜だよ」
「・・・だな」
「...ねぇ修二」
「あぁ?」
塩らしくいう物で、俺は振り向いて彼女の顔を見た。
そして、焦った。
「おま、泣いて・・・!!?」
「・・・私なんて、生まれてこなければよかったね...」
彼女の頬を伝う大粒の涙は。留まることをしらなくて。

月明かりに照らされ、酷くきれいなその雫を。俺はただ、見開いた目で見つめていた。
しかし、数秒後。
彼女の言った言葉が理解できて。出てきたのは憤りだった。

ガツッと彼女が体を打ち付けるほど、強く押し倒せば。彼女は呻くことも表情を変えることもなく、ただ、何処かを見ていた。
「ふざけるなよ・・・!!」
「しゅう、じ」
「じゃあ、俺はなんだっていうんだよ..!!」
「・・・?」
「俺は、」
ついていた手を肘に変え、マスクをずらして、彼女の肩に噛みつけば。
う、と彼女は呻きを漏らして。
「...生まれてこなければよかった女を、好きになったっていうのかよ...?」
ふるえて、どうしようもなく情けなくて。
やり場のない怒りを、地面にたたきつければ、それはそれで悔しくて。

「クソッ!!」
アリアは、ただ、哀しそうに顔を歪めるばかりで。
「私は、何も持ってないんだ」
「俺が与えてやる」
「修二に怪我をさせてしまった」
「こんなん一晩寝れば治る」
「私は、...私は」
あの、いつもは感情のない、屍のような瞳が。こんなに美しい光を零しながら、揺れているなんて。眩暈がした。
「だいたい、私なんかを修二が好きなはずない」
「好きじゃない女だったら拾ったりしない」
「嘘、...ありえない」
「そーだよ、俺は最高に趣味の悪い男だよ」
外気に触れる唇で、彼女のカサカサの唇に貪りつくように重ねれば、彼女は目を見開く。
そうして、ゆっくりと閉じて、絡めた指を握り返した。
唇が離れるや否や、彼女は泣いた。

そんな彼女を守るかのように、俺はずっと固く、出来る限り優しく、抱きしめていた。






例えば君が慟哭するとして

逃げて逃げて逃げて、その先にあるのが骸だとしても
それはそれで幸せで。



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