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捧げましょう。



俺は孤児院で育った。親がどうとか、そういうのは知らなかった。それでも悲しいと思ったことはなかった。
俺はサッカーが好きだった。サッカーさえあれば何でもいいと思っていた。しかし、そんな考えは、俺が7歳の時に孤児院へ入ってきた女により打ち砕かれた。
そいつは、今まで見てきたどんな奴より細く、すぐ折れてしまうのでは、と思った。
それでいて、汚れているくせにとても綺麗な髪と肌、瞳を持っていた。
光を発するのでなく、まるで拒むかのように反射する美しいそれら。俺は純粋に、惹かれた。サッカー以外に、夢中になれるものを見つけたのだ。
「倉間」
彼女とは、すぐに仲良くなれた。彼女は、名をアリアと言った。苗字は教えてはくれなかった。というか、自分の家族について決して、語ろうとしなかった。それでも俺は気にしなかった。
それより、アリアが俺を名前で呼んでくれないことに不満を持っていた。とはいえ、名前呼びしてくれなんて恥ずかしいことを言えるようなタチでもなかった。
「なんだ?」
「僕ね、将来の夢見つけたよ」
ある日。彼女と、裏庭に咲いた花がきれいな事を発見し、その日はそれを間近に見に来ていた。
雲一つない、まさに理想の快晴だった。
「どんな?」
「倉間は、サッカー選手でしょ?」
「あぁ、」
「僕はね、────になりたいの」
まだ幼稚で、高く透き通った無邪気な声が、頭から消えない。
じりじりと、日差しが自分を射止めている気がした。
「だから、倉間はずっと僕と一緒に居てくれる?僕、絶対叶えるよ。...約束する」
俺は、彼女のふわふわした髪を撫でた。そして、子供っぽくも指切りげんまんをした。


俺は、目の前で眠る彼女を見つめながら、そんなことを思い返していた。
「・・・」
ハァ、とたまった空気を短く吐き出す。
いつも通り、彼女の部屋を見に行ったら棚のまえで倒れてる。その手に、先の折れた注射器が握られていた。吃驚して、大急ぎで病院に運んだ。帰ってきたのは、ついさっき。
...アリアは薬漬けで、もう、薬がないと禁断症状がヤバイらしい。
しかしそれは、大変な副作用を有するものだった。...命を縮める薬。
「・・・」
不意に、彼女の目が開いた。
「目、覚めたか」
冷たく言ってやれば、敵意の視線を向けられた。
「お前、...もうしないって、約束しただろ?」
声が震えている。そんなこと、自分が一番よく解っている。
注射器の針は、故意に折ったものとみられた。その目的は火を見るより明らかで、俺は小さく舌打ちを打つ。あぁ、いらいらする。
俺は、彼女の棚から勝手に引っ張り出してきた薬と注射器を、床にたたきつけた。思ったより力は入らなかった。その分の埋め合わせとでもいうように、それを力の限り踏みつける。頑丈なはずの注射器は、無残にも砕け散った。
「...僕、...無理だ」
不意に声が聞こえた。振り返って、直に見た彼女の顔は笑顔だった。あぁ、どうしてそんな泣きそうな顔で笑うんだよ。そんな、許しを請うような顔、すんなよ。
「もう、正常に戻ることなんて出来ないよ...」
正常。正常って、いったい何なんだろうか。何故か、そんなことを真剣に考えようと思った。
薬をしないことが正常なのか。違う。彼女は、何を言っているのだろうか。
ギリリ、と奥歯を噛む。俺にはとても理解できそうになかった。
俺は、床に散らばった毒的に真っ白な粉を、掃除機で全て吸い取った。そして、それをトイレに流した。これで終わることが出来たら。酷く頭が痛んだ。
「これで、何もないぜ」
「また必要になったら、きっと僕は体を売ってでもそれを手に入れようとする」
言い放ったつもりだったが、彼女はそう言い返した。それに、背筋を何かが這った。
それは、怒りや悲しみなどではない。恐怖だった。それはあまりにも明確で、俺は少し戸惑った。
「じゃあ俺がここに縛り付けとく」
俺は、おもむろにビニール紐を取り出す。この前、雑誌を古紙に出すのに使ったやつだ。
手をアリアに伸ばして、腕を掴む。彼女は、ろくに抵抗しなかった。
抵抗してくれれば。せめて拒んでくれたら、自分はアリアに手を下さずに済んだのに。まだ自分が幼いことを知っていた俺は、その行為を自己で中断することさえ、滑稽に感じた。
「・・・、」
ビニール紐は鬱血させやすいので、そうならないように慎重に結ぶ。
「...なんで」
「...フン」
彼女の目に、涙がたまっていた。俺は目を逸らすにとどまった。
彼女はしばらくもごもごと動きながら、俺を見つめる行為をやめないように思えた。
「何で僕に構うの?」
次には、更に震えた声が聞こえ、俺は振り返る。目があった。慟哭した瞳を直に見る。
「僕の事を笑えばいいし、罵ればいいじゃない?僕のパパとママみたいにさ。...どうして優しくするの、僕を助けようとするの!?意味がわからないよ、...僕、...もっと惨めになるじゃん...もう偽善なんていらないんだよ!!」
頭を弾丸で突き抜かれるような。そんな、奇妙な感覚を覚えた。
『もう、堕ちていくお前を見ているだけなんて、嫌なんだよ』
正直に口から飛び出ようとする言葉に制止をかける。そんなの、本当に偽善にしか聞こえないような気がしてならなかった。
「...知るかよ」
言えたのは結局、その四文字だけ。しかし、体はそれでは満足しない。



「僕はね、────になりたいの」
「だから、倉間はずっと僕と一緒に居てくれる?僕、絶対叶えるよ。...約束する」



足が動いた。涙を抑えているのか、頑なとして目を瞑る彼女の髪に触れる。そして、自身を唇に押し当てた。
「・・・あ、」
「黙って俺に感謝しとけ。だからもう自殺なんて考えんなよ、わかったか」
必死に考えて、その言葉を選んだ。お前はまだやり直せるんだから、とも、聞こえたかさえ定かではなかったが、付け加えた。それに弾かれたように、アリアはボロボロと涙を零した。



げましょう。

「僕はね、この花みたいになりたいの。」
『醜い自分が大っ嫌いなの』





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