main | ナノ


君が隣にいてくれるから


入学式当日。


「おい、アリア?」
俺は、彼女の手を掴む。すると彼女の肩が跳ね、ゆっくりとこちらを向いた。
「...倉間?」
彼女は俺の名前を呼んだ。
「そっちじゃない、雷門への道はこっち」
そういって軌道修正をしてやると、彼女はにわかにありがとうと言って笑った。その目は、俺を見てなんかいなかった。

コイツの名前はアリア。俺の幼馴染であり、俺の初恋の相手。だが、視力を完全に失っていた。何やらディープな理由があるらしいが。
「...倉間は、サッカー部、入るの?」
ふいに、彼女が俺に質問を投げかける。
「まぁな」
そういうと、彼女は微笑して、いいなぁ、と言った。
「お前もサッカーするっけ?」
率直に疑問に思ったことを言うと、アリアは
「違うよ、私も、..倉間がサッカーしてるとこ見たかったなぁ、って」
とはかなく笑った。何も言えなくなった俺に、彼女は少し慌てた。
「あ、ごめんね?こんな無理事いってさ、いい加減諦めたらいいのにね」
えへへ、というような言葉が似合う笑顔で。こいつはいつも笑顔だ。いつかその理由を問うたことがあった。それに彼女は、『自分には見えないけど、周りの人の目に映る自分は、綺麗であってほしいんだ』と言った。
「じゃあ、」
俺は彼女の小さい手を引くのをやめ、立ち止まる。
「代わりに、学校とかはずっとフォローしといてやるから。だから、俺の隣に居とけ。」
解ったか、とでも言うようにその手を握りなおせば、彼女はとても美しく笑った。刹那、少しだけ頷いた。


「早くクラスに馴染めるよう、一人ずつ自己紹介を行う」
マジかよ。いきなりの危機かよ。俺は、隣でもはや顔面蒼白しているアリアを振り返る。
「お前、大丈夫か?」
俺はそういったのだが、彼女は引きつった頬で笑うだけだった。

俺の番の次に、彼女の番。俺は、適当に名前と、あとサッカー部に入部希望だということを告げた。小学生じゃないの?と茶化してきた名前も知らぬ男子の足を帰り際に踏んできた。
そして、彼女に声を掛けると、わかってるよ、と苦く笑って立ち上がった。教壇とは少しズレた方向を指さしてあっち?と聞いたので、俺は黙って立ち上がる。そして、その手を取り、前へ歩いて行った。周囲からどよめきの声が聞こえる。
「そこ。段あるから」
「あ、ここ?うん」
アリアは笑顔でありがとね、と言う。俺は黙って前にいる教師に言った。
「こいつ目が見えてないから、配慮してください。ってか、こういうのって普通前もって聞いてるはずだろ」
この好奇の目に晒された苛々を教師にぶつけると、そいつは唸って、小さく謝罪した。
次にアリアの方へ眼を向ける。彼女も簡素な自己紹介を終わらせた。そうしたら俺は、再び席への誘導の為、手を取るのだった。

「アリアさんって目ぇ見えないの?」
やはり、周囲の興味を引いてしまう彼女は、放課後、人だかりに囲まれていた。席が隣の俺も巻き添えだ。
「うん」
「どうして?」
「いろいろあってね、」
笑顔でアリアは受け答える。
「ってかどこ見てんの?私はこっちなんだけど」
「あ、ごめん。見えないからさ...こっち?」
「いや、こっちだけど...ふざけてんの?」
指をさして位置を問うアリアに、明らかに顔をしかめる女。何様だよ、と俺は密かに呟く。
「ごめんごめん。じゃあ、話すときは目ぇ瞑ってるから。これで気にならない?」
ニコニコと、それでも笑いながら言うアリア。そんな彼女の態度が逆に癪になったのか、女は立ち上がって
「意味不ー、ってかアンタと話すことなんか何もありませーん」
キャハハ、と甲高い声で笑う女。合わせるように、周りも笑った。少し困ったように笑うアリア。俺は、机を蹴り飛ばした。ガシャン、と結構飛んだ。前の机をなぎ倒して、床に伏すそれ。その轟音に、女共は固まる。
「てめぇらが意味不なんだよ」
俺は、苛々の頂点に来ていた。アリアの腕をやや強引に掴むと、教室を出た。


『...倉間、』
「黙れ」
校門を出、人けのない錆びれたスーパーの裏地まで行った後、心配するような声で言うアリアの腕を振り払うように離した。
「言い返せよ!お前、バカじゃねぇの!?あれはどう考えても理不尽だろ、意味わかんねー...よ、...」
竜頭蛇尾という表現が正しいか。俺の怒鳴り声は、徐々に勢いを亡くした。その原因は、彼女の焦点の合っていない瞳を直に見てしまったからだろう。
「クソッ!」
代わりに、俺は落ちていた石を蹴り飛ばす。ガッと音を立て、砕け散っていくそれ。
「...私に怒れって言うの?」
首を傾げるアリアに、俺は呆気にとられた。
「は?」
「...私は怒る必要はないでしょう?」
さぞ不思議だ、とでも言うように、彼女は笑った。
「私の目はつぶれてるんだから。周りから見たらおかしいに決まってる。そんな私が虐げられても当然でしょ?どんなに綺麗に映ろうとしても、そんなことできないしさ。」
言い切った最後に、もう、笑うのも疲れてきたよ、と付け足して。そしてその笑みを、くしゃり、と歪ませて見せた。俺はたまらず、彼女を抱きしめる。それは小さく、異常なほどに細かった。そして、信じられないくらいやわらかかった。
「...じゃあもう笑うなよ」
壊れてしまいそうな体が怖くて怖くて、守るようにそれを抱いた。
「無理して笑わなくていい。無理に怒る必要もない。」
「...くら、」
「俺が、」
彼女の動悸が少しだけ上がるのを感じた。俺の心臓もそうなのか、と思うと、それを止めたく感じた。
「俺が、お前の代わりに笑うし、さっきみたいに怒ってやるから。サッカーだってするし、いっぱいいろんなもん見る。だから...」
ぎゅう。
身体の締め付けを感じて、俺はハッとした。抱き返してくれているのだ。震える手で、腕で、精一杯。
「倉間、...迷惑かもだけど、」
耳元で声を感じて、思わず羞恥に彼女を突き飛ばしそうになる。そういう年齢なのだ、今は目を瞑って欲しい。
俺は耳に全神経を集中させた。熱い。彼女に触れてる部位が熱い。
「...ずっと、...好きだった...だから、ずっと私と一緒に居て...?」
意思より先に体が動いていた。彼女の肩を掴み、お互いの顔が見えるように、少し押した。
それを拒否と受け取ったのか、アリアの目から涙が一滴、こぼれる。
「あ、」
しかし、そんな猶予はやれなかった。俺は、少しだけ乾いてしまっていた唇に噛みつく。アリアは少し身を引いたが、そんなことを許すほどの余裕はない。しばらく繋がったのち、離れる。
「・・・え、」
頬に朱を差し、泳ぐ視線。今彼女は何を見ているんだろう。きっと、真っ暗な空間のなかで、俺を探しているに違いない。それがたまらなく嬉しいような気もした。
「...俺は、ここにいるから...」
そう、もう一度だけと、彼女を抱きしめた。
「ずっと、お前の隣にいる」

もう、暗がりの中で一人になんてさせない。俺が、その手を引いてやろう。
一人で、周囲の目を気にする無理な笑顔で、彷徨うことが無いように。

そう、信じてなどいない神にさえ誓う俺の胸に頭を預けて、アリアはただ、壊れた瞳から涙を流し続けていた。






(貴方だけを見ていたい)
(俺だけしか見させない)







back