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君と、ずっと


「アリアちゃん、もうすぐ診察よ」
部屋のドアの外から誰かに言われた。

──私は、生まれたころからずっとこの部屋に居る。
真っ白な空間。たまに、自分がどこにいるのかが分からなくなる空間。
病院の離れにある、四角い部屋。その隅に置かれたベッドで、私は息をしていた。
私は何も知らなかった。自分が何でここにいるのかも、ヒトも、世界も、何も。
知っているのは、言葉と、自分の名前と、自分は死ぬまでここから出られないことくらいか。

しばらくしたら、顔を何か不格好な物で覆った誰かが来て、私の身体にコードを張り巡らせて、機械に繋ぐんだ。
そうしたら、ドンッと全身に痛みが走って、私はしばらく痙攣して、指先とかがおかしくなる。
終わったら、その誰かが黙って帰って、私は再び静寂に包まれる。
それが、私の"生"だった。
外の音も、光も、何も感じない部屋。
世界から隔離された空間。
底が私の居場所であり、全てであった。
『・・・』


でも、そんな空間は、酷く脆いものだということを、次に目が覚めて、しばらくたった或時に知ったんだ。



ウーウーウーウー
どこかで、そんなけたたましい音が響いて、私は顔を上げた。
外の音を聞いたのは、これが初めてであった。
『・・・?』
ダンッ、ダンダンダン
外で、何かの音がする。心臓が、ドキドキした。
いずれ、ガキャッ、と大きな音がして、ドアが外れた。
いつも捉えているものとは違う、尋常じゃない強さの光が視界に流れ込んできて、私は思わず目を瞑った。
目を開けた時、そこにいたのは、初めて見る"ヒト"の顔だった。
「・・・お前がアリアか」
『・・・?・・・貴方、何・・・?』
艶やかな色の髪に、長い睫、くっきりした目元。
「俺?俺は、南沢篤志。」
ニヤリ、と口角を上げる南沢さんに、心臓のドキドキが増した気がした。
『・・・?』
「お前、外に出たいだろ?」
『・・・え、』
ニヒルに笑う南沢さんの言葉が、理解できなかった。
しかし刹那、私は腕に違和感を覚え、視線をそちらに向けると、南沢さんに掴まれていた。
「とにかく、来い。」
『え』
ブワッと抱き上げられ、私は戸惑った。
つかつかとドアへと進む南沢さんを制御しようと胸板を押すも、彼は止まってくれない。
「俺は、お前を助けに来た」
彼はそういって、一室から出てしまった。
私は、初めて風を感じた。
それは、とても気持ちがいいものだった。
見えないのに、掴めないのに、とても美しいもの。
『これが、外の、・・・?』
「マジで出たことねぇんだな」
彼は、長い、白い階段を駆け下りる。あぁ、気持ちがいい。
「止まりなさい!」
途中で、誰かヒトの姿があった。何かを叫んでいた。私は恐怖に駆られ、南沢さんの着ている服の裾を握る。
「だーいじょうぶだって」
面倒くさそうに言われ、私は首を傾げる。次の瞬間、全身が浮遊感に包まれた。
彼が、思いっきり地面を蹴ったのだ。
『ひっ、』
初めて感じる光。初めて感じる音。初めて感じる感覚。
全ては私の思考を停止させた。しかし、余裕に笑う彼の顔が映ったと思うと同時に、それは一気に融けていった。
南沢さんの腕と触れている部位に衝撃が走り、再び走り出す。
さっきの、叫んでいたヒトの姿が、遠くに見えた。
『・・・?』
「ここは、山中の研究所。お前は、実験台にされてた」
『え?』
顔を上げれば、舌噛むぞ、と忠告を受け、私は口を閉じる。
「それを聞いて、助けに来た。日本が平和なんて、結局は嘘なんだよ」
『・・・』
難しい単語がたくさん出てきて、私は小さく混乱する。
そんな私の額に、なにかやわらかいものが当たって。
「大丈夫だ、これからはお前は自由」
『・・・?』
じゆう。
その単語の意味は、少なからず知っていた。
それでも、現実味を持ち合わせないそれは、私にはとても大き過ぎた。
「俺が、外に出してやるよ。」
意味など、この状況下において誰が理解できただろうか。
しかし、何か冷たい、どす黒いものが一滴、流れていって、消えた。
『あり、がとう』
私には、生涯無縁だと思っていた言葉を発する。
『ありがとう、あり、がとう、ありがとう、ありがとう、』 
何回も、何回も。そう、馬鹿のように繰り返しては、泣いた。泣きじゃくった。
「・・・ほら。」
南沢さんが足を止める。そうして、上を示した。

その時、私は初めて空を見た。
涙で、滲んで見えた。
色の名前も知らない。そこに浮いている、何かの名前でさえも。

あぁ、今から。
この人と一緒に、全てを知ることが出来たら。
それは、とても残酷かもしれない。
それでも、それはそれで幸せで。



真っ白な箱に閉じ込められていた私は、希望も絶望もしていなかった。
でも今日、初めて感じた光。音。感覚。
そして、初めて見た空。

泣きじゃくる私を見て、南沢さんは、終始笑っていたような気がする。






(その先に何があろうと)
(俺はこいつを、この檻の中の少女を)
(全てをかけて守ろうと決意した)


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