このやり取りを思い出して今の私は後悔をした



「うう、実習行きたくない……。看護師さん怖いんだろうなあ」

 げっそりとした面立ちでぼやいた目の前に座る友人の声に私は眉を寄せる。近い未来起きるであろう惨劇を思い浮かべたからだ。にっこりと笑った表情で注意をしてくる指導者さん。表現するのならまさに白衣の天使が悪魔に代わる瞬間だ。此方に非があったことは重々承知しているがあの怖さは就職しても忘れることはないのだろうと思う。……うわ考えただけで鳥肌が立ってきた。

「だからこうやって事前に勉強してるんでしょ。患者さんにも迷惑にならない為にも」
「そうだけどさあ。でも如何せん量多くない?」

 もうやだああ!!と机に突っ伏した友人の頭に教科書をお見舞いする。ゴンっと小気味良い音が図書館に響いた。……嗚呼、少々説明が遅くなってしまったが今私たちは在学している大学の図書館にいる。別に勉強が好きなわけではない。寧ろ家でゴロゴロしている方が私は好きだ。ゲームも出来るし。
 ではそんな夏休み真っ只中の私達が何故こんな場所にいるのか。まあそれは冒頭のやり取りで何となく察して頂けたと思うけど……それもこれも長期休暇明けに病院実習があるせいだ。看護学部に在籍している学生にとってはこれは避けては通れない道なのだ。(あ、ちなみに2学年だったりする) ――1年時の実習で味わった恐怖を思い出して震え上がるのは看護学生ではもう通過儀礼のようなものではないかと頭を抱えながら文句をいう友人を前にする度私は思う。……いっておくが別に看護師を卑下している訳ではない。私だって目指している身だし、憧れてもいる。ただ“白い”のは白衣のみだということを分かって貰いたかっただけだ。

「……なんか疲れた。私アイス買ってくる」

 そう言って立ち上がった私に「アタシも食べるー!」と意気揚々に早足で出ていく友人。おいコラ、さっきまでの元気の無さは何だったんだ。なんて口に出すのも面倒臭かったので、心の内でツッコミを入れながら嬉々とした小さな背中を追って階段を下りていく。

「あーあ、二次元行きたいー」

 まーた始まったよ。なんて思いながら私は溜息をついた。最早彼女の口癖と化したその言葉にどんだけだよと恒例の(今度はきちんと)ツッコミを入れれば、夢が無いなー。と唇を突き出してぶーぶー文句を言ってくる。うっさいわ、確かにアニメもゲームも好きだけど私は現実主義なんだよ。

「あんたの行きたがる二次元ってどれもこれも戦闘必須じゃん。んな所ごく一般人の私達が言ったら即お釈迦になるよ?主人公補正とかないし」
「うっ……、良いじゃん!戦っているとことかカッコいいじゃん!!」
「私なら一般人Aもしくは通行人Aとしてこっそり見てるわ」

 論点のズレたやり取りをしている中で「じゃあどんなものなら良いのよ?!」と膨れっ面で聞かれたので笑いを堪えながらふと考えてみる。戦いが無くて(=平和)且つ一般人Aとして紛れ込める作品……学園ものとか?その辺りが良いかなあ何て思いながら、そういえばこの間目の前にいる奴に勧められた“黒子のバスケ”とか良いんじゃなかろうかとか考えていた。黒子君っていう主人公がバスケをするっていう程度しか知らないが友人も好きだし答える分には良いんじゃないかと思ったからだ。……今度アニメ見よう。うん。

「うーん、行くなら戦いとかない普通の学園系ものに行きたいかな。……ってあんたドジなんだから、あんまり急いで降りてると落ちるよ」
「うっわ、酷!玲アタシの事なんだと思って……っ?!」

 此方を向きながら降りようとしたせいで階段を踏み外した小さな体がぐらり、と後ろに傾いた。ヤバい。そう思った瞬間一気に全身の血の気が引いた感覚がする。
 離れていく体が何故だかコマ送りに再生される映像のように見えて、気が付けば私は階段を渾身の力で蹴っていた。腕を引っ張り抱き寄せるとぶつけないように彼女の頭を抱える。……多分これで大丈夫だ、そう安堵したのも束の間、嫌な音が聞こえたと同時に私の視界は真っ白に染まった。

「玲……っ、玲……っ」

 ――鼻を啜る音と嗚咽交じりの声に重たい瞼を開く。あー頭痛い。くらくらする。目が覚めた時一番にそう思った。霞む視界の中で声の主を探せば真っ赤に目を腫らした友人の姿。良かった、怪我していない。ほっと胸を撫で下ろしたのと同時に1つ疑問が浮かんだ。この子は何で泣いてるの?と。
 その疑問に答えるかのように友人とは違う誰かの顔が私の顔を覗き込んできた。

「白村さん、分かる?!」
「救急車まだなの?!」

 そういえば何でこんなに煩いんだろうなんて思って今見渡せる範囲を見てみれば機材やら何やらを運んでくる沢山の先生らしき人達。そこで私は漸く自分の立場に理解した。あーどうしよう、助かるかな。なんて思っていたら必死に私の手を握って泣く友人に自然と目が行った。
この子はきっと気に病むだろうなあ、私のせいだって。……そんな顔見たくないな。

「大……丈、夫」

 手を握り返そうにも上手く力が入らなくて、仕方がないから声を出したら全然出なくて思わず苦笑してしまった。
 ――大丈夫、だから先にアイス買ってて。後で行くから。そう言わないと。言って安心させなきゃ。
 遠くなる意識の中でそう考えていた。

2012/08/13

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