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 天狗である彼は、歳をとらないらしい。

「そりゃあ間違いさお嬢さん。歳はとる。ただその速度が人間より遅いだけさ」
「私からしたらそれは歳をとらないのと同じことよ」

 そりゃそうかと、彼の口が笑った。
 天狗の仮面を被った彼の表情は見えない。見たことがない。この十四年間ずっとだ。最初は、鼻から上を隠すようなその仮面の所為で、この男は人間じゃないかと疑ってみたものだけど、十四年間、顔に皺の一つもできず、髪も伸びなかったら、疑う気力もなくなるというものだ。

「私は十四年の月日をきっちり身体に刻み込んでいるというのに。不公平だわ」
「人間だから仕方ないさ」
「だからずっと言ってるじゃないの。どうやったら天狗になれるのよ」
「だからずっと言ってるじゃないか。どうやっても天狗にはなれないのさ」

 そう言ってやっぱり笑いながら、落ちていたどんぐりを指で割って、中身を口に放りこむ。そしてもう一つ拾って、私に差し出す。
 四歳の時に、生贄だか何だかでこの山に捨てられてから、ずっとこの天狗と生きてきたものだから、兎やら蛇やら鼠やら、十二支にでてくる動物の肉だとか、少しぐらいの毒茸なら平気な顔して食べられるようにはなったけれど、どんぐりだけは駄目だった。苦いし、パサパサしているし。要するに美味しくない。煮ても焼いてもその味は変わらなくて、一口も口にできない。

「いらない」

 私がそう言って、差し出されたどんぐりを押し返すと、天狗は何も言わずにそれも口に放り込んだ。

「時にお嬢さん、正しい人間というものはどんなものか、知っているかい」

 いきなり問いかけられたその言葉に、しかし私は動揺することなく答える。

「知らないわ。私人間の中でもちょっと特殊だもの」

 ふむ、と天狗は勝手に頷いて、煙管を銜えた。ゆらゆら、ゆらり。白い煙が天へと昇っていく。

「それがどうかしたの?」
「いや、どうもしないさ。ところで、こんな話を聞いたことはあるかい?」
「ないわよ」
「まあまあ。まだ話してすらいないじゃないか」

 煙管の灰を落としながら、岩の上に胡坐をかいて、私を見下ろす位置に収まってから、彼は再び口を開く。

「太古の昔、とある仙人が天狗になったそうだ」
「ちょっと待って。仙人って、人間?が、天狗?」

 身を乗り出した私を制するように。まあ待て、と手の平を見せる。

「彼は言ったそうだよ。『正しき人間、是即ち天狗の質あり』。つまり正しい人間というのは天狗になる素質があるということさ」

 山の中を生暖かい風が通り抜ける。役目を終えて落ちる葉が、私や天狗の肩に乗る。

「正しい人間?じゃあその仙人は正しい人間だったってこと?」
「ところがだ、彼も自分のどのような所が正しかったのかは分からない。けれど天狗になれた途端、自分が正しい人間であることが分かった」
「・・・・・・」

 どこか正しいのか分からないけれど、正しい人間だった?
 理解が追いつかなくなりそうな話を、頭をフル回転させて聞く。湧いては消える疑問を口に出す暇はなく、天狗が何を思ってこの話をしているのか、考える頭の容量はなかった。

「だから彼はとりあえず、これから天狗になりたい人間が困らないように、正しい人間の条件を三つ決めたそうだ。勿論、自分が当てはまる三つをね」
「三つ」
「そう。ただし必ずしも天狗になれるとは限らない。あくまでも素質が持てるというだけだからね」

 しかし少なくとも、一歩近づけるということだ。
 そう言えば、くすりと天狗は口端を上げた。口から白い煙が吐き出される。風はもう吹かなくて、くるくると私にまとわりついた。

「その一、人を不幸にしない」

「その二、物に固執しない」

 指が二本。
 まあ仙人だから、当たり前よね、と私はどこかで納得する。

「案外、あっさりした条件ね。簡潔で、難しいけれど」
「まあね。それで、三つ目」

 指が三本。
 天狗は私の方に身を乗り出しながら、ふうっと息を吐く。先ほどの風みたいに生暖かい煙が顔に吹きかかった。

「その三、好き嫌いをしない」

 立派に猛烈に急速に働いていた脳が、ゆるやかにいつ通りの動きに戻っていく。
つまり、この天狗は、もの凄く遠まわしに、どんぐりを食べろと言っていたのだ。

「天の狗というくらいだからさ、雑食でなくちゃあいけないよ」

 したり顔(声で分かる)の天狗は、いつのまに集めたのか、数個のどんぐりを私に渡した。

「じゃあ」

 私は口を開く。指の隙間から、どんぐりが零れ落ちていく。

「天狗になるのは、諦めるわ」

 そう言ったときの、残念そうな天狗の溜息が、とても面白かった。


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