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「かぼちゃさん。かぼちゃさんは、いつも静かね。」

大きなかぼちゃ頭が私の言葉に頷いたのを見て、私は小さく微笑み返した。蝋燭に照らされた橙色は、より一層、影を濃くさせるようだった。
世間がハロウィンパーティに騒がしくなる十月三十一日の夜。私の家では十年前から恒例となっているかぼちゃさんと二人だけの小さな会食の準備が始まっていた。私と、かぼちゃさんは向かい合わせに座る。そうした方が居心地が良い。かぼちゃさんはいつも静かに、私が料理をする姿を眺めている。
かぼちゃさんはいつも、目と鼻、そしてギザギザとした口をくり抜いた大きなかぼちゃを頭に被っていた。暗闇に隠された顔を、見たことはない。黒くて長い、ローブのような布を体に巻いて、そして毎年十月三十一日の夜に、私の家の木戸を叩くのだ。十年前、私は、初めて家にやって来たかぼちゃさんを見上げて、私の背より、数センチだけ大きいその姿に、それを近所の誰かが扮装したものだと思っていた。けれど何度喋りかけても、期待した声での返答はなくて、代わりに、ふるふると大きなかぼちゃ頭が揺れていた。誰だろう。どうしよう。困惑する私の目の前で、かぼちゃさんのお腹から大きな音がして、そうして、二人だけのささやかな食事会が始まったのだ。

「かぼちゃさんは、砂糖は多めで良かったかしら。」

かぼちゃ頭がゆっくりと動く。肯定。食事をテーブルの上に並べた私は、淹れたてのコーヒーの中に角砂糖を三つ入れて、かぼちゃさんに差し出した。食前のコーヒーは、私の習慣だった。受け取るその手は、黒い手袋に覆われている。
かぼちゃさんとの意思疎通は、主に、イエスかノー。私が喋りかけて、かぼちゃさんが頷くか、首を振るか。だから必ず、イエスかノーで答えられる質問じゃないといけないのだ。理由は分からないけれど、かぼちゃさんは声を出してお話するのを避けているから。私はそれに、干渉しないようにかぼちゃさんとお話をする。
黒い口の中にコーヒーカップを傾けて、ふるりと頭が揺れた。どうやら今夜のコーヒーはお気に召したらしい。去年は少しだけ苦味があったらしくて、苦しそうに傾いた頭がちょっとだけ申し訳なかったから。今年はあまり苦味のない豆を買ってみたのだ。
そうしてふと、かぼちゃさんの顔の向きが、私の背後を見つめていた。振り向くと、そこにあるのは古びた戸棚だった。一人暮らしを始める際に、実家から持ってきたものだ。その上には、写真立てに収められた彼が、優しい瞳で私のことを見つめ返していた。

「彼も、かぼちゃさんが来るのを楽しみにしていたと思うわ。」

それは殆ど、私の願望だったのだけれど。彼はいつも、私が楽しみにしていることを、一緒に楽しみにしてくれる人だったから、あながち間違いじゃないだろうな、と思った。
彼とは、大学生の頃に出会った。二人とも田舎から出てきた若者で、すぐには都会に馴染むことのできなかった者同士で話をするうち、友人になった。彼との最初の挨拶は、今でも覚えている。

『や、やあ。パンプキンパイは好き?』

あとから聞けば、初対面の女の子と話すことに緊張し過ぎていた彼が、女の子から甘いものを連想して、そうして自分の大好物だった故郷のパンプキンパイのことを思い出した結果が、あの挨拶だったのだとか。なんとも間抜けな話で、同時に彼らしいなとも思った。決してハンサムとは言えなかったけれど、そんなこと気にさせてもくれないくらい優しくて、誠実な人だった。人よりも随分と違う時間を生きている人だと感じていた。時間や、空間、その他様々なもの。ああ、ちなみに、彼の嫌いな食べ物は、きのこ全般だった。食感も味も、吐くほど嫌いと言った彼の顔は、ちょっと人には見せられない。
初めて出会ったときから、少なからず惹かれ合っていた私たちが恋人となるのに、そう時間はかからなかった。出会ってから、二年後。大学で行われたハロウィンパーティーの夜に、彼の方から思いを伝えられて、私は多分真っ赤になりながら、それに頷いた。かぼちゃさんみたいに、ゆっくりと。彼は照れたように笑って、そうして私を抱きしめてくれた。彼からいつも香っていた、甘やかなかぼちゃの匂いと、彼が好きだった焼き菓子の匂いに包まれた。その後ろから友人たちが、おめでとうと言って飛び出してきたのには、驚いたものだった。
それから彼と過ごした時間は、およそ普通の恋人たちのものより、若者らしい刺激が少なかったけれど。
彼は料理が上手で、私はご馳走になってばかりだった。だから、記念日であるハロウィンだけは、なんとか私だけでごちそうを作ろうと、密かに決意した。隠れて練習して、それはいつも彼に見つかっていたけれど。私の下手くそなパンプキンパイを、彼は笑顔で食べてくれていた。
毎日が、暖かくて、幸せで。
そんな日々は、きっかり一年で、終わりを迎えた。

「もう、十年経つのね。」

かぼちゃさんは、答えない。かぼちゃさんはいつも、私の独り言には、聞こえないふりをしてくれる。
不幸な事故だった。とても、運の悪い。きっと、誰に責任があるわけでもなくて、それぞれがそれぞれの運命に従っただけだったように思う。今でこそ、そう思える。あの時は、そんなこと、考えることすらできなかったけれど。
彼が、死んでしまって。
私に残ったのは、微かに残る彼のぬくもりと、思い出だけだった。
枯れてしまうかと思った。涙が。想いが。一日中、毎日、毎日、泣いていた、あの日々。彼を思い出しては泣いて、夢を見ては泣いて、彼の写真を眺めては泣いて、頭の中の、彼の声を聞いては、泣いて。大学にも、一時期は通えなくなるほどに、私はみるみるうちにやせ細っていった。
そんな毎日が、一年近く続いて。
やっと気持ちが落ち着いてきた頃、ハロウィンの夜とともに、かぼちゃさんはやってきた。

「せっかくのお料理が冷めてしまうわ。さあ、いただきましょう。」

肯定。スプーンで掬われたかぼちゃのスープが、かぼちゃさんの真っ暗闇の口の中に吸い込まれていった。かぼちゃさんはかぼちゃ頭だけれど、かぼちゃのスープを食べることができる。かぼちゃさんには、それは当たり前のことだ。
ハロウィンの食事は、いつも同じメニューだった。鶏肉のトマト煮と、かぼちゃのスープ、手作りのバゲットと、キノコとほたてのマリネ。そして食後に、彼の好きだったパンプキンパイ。安い赤ワイン。
蝋燭の灯火のもと、夜の静寂の中で二人。
思ったよりも濃くなってしまったトマト煮に、口を窄めた。失敗したわ、なんて言ってみると、そんなことない、とでも言うようにかぼちゃ頭が震えた。
かぼちゃさんは、優しい。
何かが、私の奥で、心をつつく。
かぼちゃさんはパクパクと、いっそ気持ちがいいくらいに私が作った料理を平らげていった。けれど食べるのが遅い私に合わせてもくれているみたいで、不思議と食べ終わるのは同時だったりするのだ。
私がマリネの最後の一口を飲み込んだのを見るや否や、かぼちゃさんは急にそわそわとマントやその頭を揺らし始めた。かぼちゃさんが甘いものを好きなのは知っている。私が作るパンプキンパイも、いつも楽しみにしてくれているのだ。ワインは、二の次なんだそうだ。
さくさくと、パンプキンパイも二人で食べ終えてしまって。
少しだけ水っぽい赤ワインを飲み合う。
静寂。夜は更けていく。

「かぼちゃさん・・・私ね。」

蝋燭は最初よりも短くなっていて、少しずつその身を削っている。この火が消えるとき、かぼちゃさんは帰っていく。

「この一年、とっても楽しかったわ。あのね、両親が、花屋を始めたの。」

相槌。肯定。

「小さなお店なんだけど、ちょっとずつお客さんも来てくれてるみたい。」

相槌。肯定。

「私もね、デザイナーの仕事の依頼も、増えてきたの。来年からはもっと忙しくなるかも。」

相槌。肯定。
かぼちゃさんは何も言わない。かぼちゃさんはいつも、うなづいてくれる。静かに私を見守ってくれていて、そうしてきっと、かぼちゃ頭の奥で微笑んでくれている。

「・・・ねえ、かぼちゃさん、」

呟いて、その時、ふっ、と、息を消すように暗闇が覆った。蝋燭が、尽きた。がたん。椅子が動く音。ばさり。マントの翻る音がして。

「っ、まって、ねえ、」

咄嗟に、縋るように、すり抜けようとするそれを掴んだ。立ち上がった勢いのまま、椅子が後ろに倒れてしまっていた。
そんなことを、気にする余裕はなかった。
かぼちゃさんを、この人を、行かせては、まだ。・・・また。
だめ。まだ、私、

「あのね、私、もう大丈夫なの。」

すぐに泣かなくなった。苦手だった料理も作れるようになった。ひとり暮らしにも慣れた。仕事もできた。
彼が死んでしまって、私に残されたものは少なかったけれど。
もう、大丈夫なの、と、繰り返しても。
暗闇に微かに浮かび上がる淡い橙色のかぼちゃ頭は、動かない。

「悲しかったけれど、辛かったけれど。あの日、貴方が来てくれて。」

ためらいがちにノックされた木戸。ドアの向こうに立っていた、貴方。

「楽しいことが増えていったの。生きていたくなったの。」

ねえ、だから。

「今まで、心配かけて、ごめんなさい。・・・でも、もう、大丈夫だから。」

貴方がいなくても、大丈夫になったから。
私は、ひどいことを言っている。でも、この人を、もう、留めていてはいけないと、頭のどこかでは分かっていた。
ごめんなさい。大丈夫。何度も、何度もそう言って。
離れていこうとするそのマントを、放さなくちゃ、と、分かっていたのに。
私は、わがままだから。
ねえ。

「もう一度・・・もう一度だけ、私を、抱きしめて。かぼちゃさん。」

ゆっくりと、彼がこちらを振り返る気配がして、そうして。
次の瞬間には、ふわり、柔らかなマントと、あの温もりを感じていた。私に残されていた、あの温もりは、今も変わらず、そこにあって。力強く抱きしめられたその腕も、私が抱き返した、その背中も、あの時のまま。
甘やかなかぼちゃの匂いと、彼が好きだった焼き菓子の匂いに顔を埋めた私は、ありがとう、と、心からそう言って、声を押し殺して泣いた。




お題元:ncls

20121103

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