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 私は貴方のことがとても嫌い。黄色と白が絶妙に溶け合った卵焼きを口に運びながら彼女は至極淡泊にそう云ってのけた。場所は、屋上に続く階段で、そこは、僕らの秘密基地のようなものだ。
 嫌い、と云っている割にその声には怨嗟の念も宿恨の想いも含有されてはいなかったのだけれど、返ってそれがその言葉の重みを表しているようで思わず白米をつかんだ箸をもつ手を止めた。

「そうだったの?」
「うん。」
「それは困った。」
「困るのね。」
「そりゃあ困るよ。」
「困ればいいわ。」
「意地悪だなあ。」

 だって私、あなたのこと嫌いだもの。そう云いながら、彼女は次に膝の上に置いていたクリームパンの袋を開けて一口サイズにちぎって、口に運んだ。これは学校の購買で勝ってきたものだ。つまり彼女に昼食を購買で買う習慣があるのかといえば、それは不正解だった。彼女には、彼女の父親が毎朝作ってくれるという、若干色合いに不足のある、けれどもとても美味しそうなお弁当があったのだ。
ただ、そのお弁当が、朝のうちにごみ箱に捨てられてしまったという、だけで。

「お弁当箱、割れてなかった?」
「ええ。丈夫な物だから。」
「箸は折れちゃってたけど。」
「百均で買ってくるから、問題ないわ。」

 そう云う彼女の髪と服は、少しだけ濡れている。聞けば、トイレに入っているときに雨に降られたのだという。

「寒くない?」
「寒くないわ。」

 クラス全体のベクトルが、何故彼女に向けられたのか、僕は知らなかった。もともとは、女子同士の確執だったらしいのだけれど、それが何故、一対多数のものへ変化していったのか。
 それは、当事者である彼女が一番分かっていないのだろうけれど。
毎日、飽きずに与えられる屈辱と暴力に、彼女が屈することはなく、抵抗することもなかった。その様子を、強いなあ、なんて、僕はまるで傍観者であるかのように眺めていたのだ。自分自身が加害者であることは知っていた。「何もしなかったこと」をしたという、害。

―――余計なこと、しないで。
 
 始めて声をかけた時、彼女は絶対零度の声音でそう云ったのだ。
 そんな彼女と、どうしてお昼を一緒にすることになったのか、もう覚えていない。

「聞いていい?」
「嫌。」
「一つだけ。」
「・・・・・・。」

 彼女は、不機嫌そうな目で僕を一瞥して、そうして漸く小さく頷いた。

「僕のこと、どうして嫌いなの?」
「これ、そんなに美味しくないわ。」

 これ、と指差されたクリームパンは、購買が混んでいたので、人混みはあまり相性が良くない彼女の代わりに、僕が買いに行ったものだった。

「そっか。ごめん。」
「卵焼きも、甘くないし。」

 おすそ分けの卵焼きは、彼女の家のものとは方針が違ったようだ

「今度は砂糖入れてみるよ。」

 そう返して、笑ってしまった。今のところ、食べ物関係しかないなあ、と、少しだけ微笑ましい。嫌い、というのは、そういうことだったのだろうか。
 彼女からそれ以上の返答はなくて、本当に食べ物の話しかないや、と驚きながら、部活用に持ってきていたジャムパンと、彼女のクリームパンを取り替えた。ジャムパンはまだ開けていないし、彼女はクリームパンをちぎりながら食べていたので、衛生面はクリアできているはずだ。

「っ、そういうのが、」

 少しだけ怒気を含んでいたその声に、だから僕は驚いてしまったのだ。

「そういう、優しいところが、嫌なのよ。」

 大嫌い。
 ジャムパンを、僕の胸に放り投げて。

「・・・えっと、優しくない、よ?」
「優しいわ。卵焼きもくれるし、クリームパンも買ってきて、それでジャムパンと交換してくるし。ブレザーは貸してくれるし、傘も入れてくれたし、話しかけて、きたし・・・!」
「・・・・・・。」
「優し過ぎる、の。優しすぎるんだもの。」
「・・・・・・それは、」

 彼女の、勘違いなのだ。と、云いたかった。勘違い。思い違い。見当違い。誤認識。なんでも、いいけれど。とにかく、それは、違うのだ。けれど、僕が言葉を続けることはできなかった。とうとう彼女の目から溢れてきたのは雨よりも透明な涙で、それは留まることを知らなかったからだ。

「もう、止めて。お願いだから。」
「どうして?」
「弱くなっちゃうもの。私、弱くなりたくないもの。」

 大嫌い。大嫌いよ。泣きじゃくりながら絞り出すような声とその涙が離れていこうとするので、僕は咄嗟に、彼女の細い手首を掴んだのだ。長い髪が、揺れる。
 静寂を突き破って、僕の中で、叫ぶものがあった。

「・・・僕は、優しくないよ。」
「うそ。嘘よ。」
「僕はね、君がいつも強くて、真っ直ぐに生きているから、」
 
 強い彼女を眺めていた。きっと牢獄のような毎日の中で、錆びた鉄のように、変わることを忘れてしまったその姿を。その強さに焦がれて、その強さに惹かれて。
 僕は、彼女の弱さを知りたいと思ったのだ。

「ねえ、だから、もっとその涙を見せて。」

 強く引き寄せた彼女は、今にも折れてしまいそうで。
 その涙の熱を感じながら、ひどいことをしてしまったなあ、と、僕は少し、後悔したのだった。

20121028

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