text | ナノ


「好きでした」

 私にとって生まれて初めてとなる告白は、過去形だった。正直に言ってしまえば彼は特別顔が整っているとか女の子に優しいだとかそんな世の中の理想とされているらしいスキルは何も持ち合わせていないような男の人だったのだけれど。料理が上手で、意地の悪い人だった。よく人をからかって遊んでいるような。日常茶飯事的に嘘をつくような。嫌な人ではあったけれど、周囲に嫌われてはいなかった。
 驚くべきことに、茹だるような夜の繁華街の人混みの中、先に声をかけてきたのはあちらだった。私が普段使い慣れないその道を通っていた理由は、体内に這入った苦手とするアルコールを飛ばそうと躍起だったからなのだけれど、そんなものは彼の声に振り返った瞬間に吹き飛んでしまった。何年ぶりかに出会った彼は、背も少し高くなって、当時見ることなかったスーツ姿で、とても大人の顔をしていた。以前のように出会い頭に憎まれ口を叩いたりはしてこなくて、けれどそれは彼にとっての他人行儀であることを私は知り過ぎるほどに知っていた。親しい人になるほど、彼のからかいは酷くなるのだ。要するにそれはつまり、彼なりの友情表現であり、愛情表現であったわけで。それが起因だった。まだ私が少女だった頃に諦念の想いと共に捨ててしまった恋心が何故かそこで捻じ曲がって、膨れて、破裂した。

「先輩のこと好きでした。一目惚れじゃあなかったですけど初恋でした。料理を作ってる手も意地の悪い笑顔も酷い冗談も嘘も全部好きでした。声掛けてきてくれてありがとうございましたとっても嬉しかったです」

 意趣返し、のような。そんなつもりだった。初恋は実らなかった。実らせる努力もしなかった。していたとして、きっと花も咲いていなかったはずだから。彼にとって私は数多くいる後輩の一人で彼の女性の好みは私とは到底かけ離れていて、だからというわけではないのだけれど、蕾のまま固まってしまったような、そんな恋だったように思う。もともと曖昧なものだった。人を好きになるなんて、確固たる事実と証明を以てして確立するようなものではないのだけれど。けれどあれは、確かに恋だった。
 云うだけ云って、さっさとそこを立ち去ろうと踵を返した。全く彼にとってはとんだ災難だと思う。けれど吹き飛んだとは云ったけれどきっと慣れないアルコールの所為もあって、衝動的なこの想いは止められなくて、もう二度と会うことはないだろうと殆ど祈るような気持ちだった。こんな慣れない夜の街を歩くからこんなことになったのだ。だから踵を返して、たった今歩いてきた道を、引き返した。
否、引き返そうと、した。

「返事、聞かないの」

 そう云った彼は怒っているように見えた。もしくは、苛立っているように。引き止められた腕は彼の相変わらず大細くて大きな手に掴まれていて、それだけで私は絶対零度に触れたかのように固まってしまった。漸く自分の喉から漏れたのは、上っ面だけの、自嘲と自虐に満ちた薄い含み笑い。

「過去形に返事して、どうするんですか」
「俺、云い逃げされるの嫌いなんだよ。すっげえむかつくの」

 ああ、それじゃあ、やっぱり怒っているのだ。さっさと逃げれば良かったなあなんて、後悔した。きっとそんな思いが伝わっているのだろう、私の腕を掴む力はより強くなって、痛いと感じる手前のような感覚だった。痕が付くかもしれない。そんなことをしなくても、私は縛り付けるような緊張で指先一つも動かすことができなかったのだけれど。自業自得だ。

「ったく折角見つけたと思ったらこれだもんな。あーもう最悪」
「そっ・・・そこまで」

 云わなくても、いいじゃないですか、と、そう云おうとして、はたと気付いた。思考回路が止まる。繁華街の喧騒が、やけに脳に響いた。
 見つけた?

「み、見つけたって、」
「お前最後の夏ン時なんつったよ」
「最後の、夏・・・?」
「『私のタイプって先輩と真逆なんですよね』だ。 覚えてないだろ。けど俺は心に刻んでるからな。あの時も相当ショックだったけど今回はそれ以上だ馬鹿。なんでお前って俺のトラウマに残る台詞しか云わないの? 馬鹿なの死ねばいいのに」

 さっきまでの大人の表情はとうの昔に消え去っていて、けれど私はそんなことに気付けるほど脳内が正常に動いていなかった。確かにその言葉は私が胸の底に持つ想いを諦めようと躍起になって云い放った言葉だったけれど、そんなこと、今の今まで云われるまで忘れていたのに。
思考が上手く繋がらなくて、彼の言葉の半分も理解できていない。ましてやその裏に潜んでいる意図なんて。

「し、死にません」
「違うだろ、反応するのはそこじゃないだろ。なんでお前いつもそう・・・だあぁッ、もう、くっそ」

 がしがしと、綺麗にセットされいていた髪を崩してしまって、なんだか本当にあの頃の先輩だった。そうして彼は両手で固定するように私の肩を掴むともう一度馬鹿と云って、俯いて、大きく息を吐いて、吸った。

「好きでした」

 彼の口から出た言葉はやっぱり過去形で、次に降ってきたのは勢いしかないキスだった。

20120816

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -