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『本日、世界が終わります』

 雪化粧に染まったクリスマスの朝に、地球上のすべてのラジオがそれを告げた。

『本日、世界が終わります。神に感謝し、隣人を愛し、家族を抱きながら最後の時を迎えましょう。メリークリスマス、神のご加護を』

 夢うつつの意識の中に響いたノイズ交じりの言葉は、そこでぷつりと切れる。そうしてまた、何かに追い討ちをかけるように、その言葉を繰り返した。本日。世界が終わります。
 僕はといえば、とりあえずベッドから降りて、顔を洗った。冷たい水が蛇口から噴出して、もう十二月かとなんとなく認識する。部屋には昨日着ていた服が床に散乱していた。
 インスタントコーヒーにお湯を注いできっかり五十回。スプーンでぐるぐるとカップの中をかき混ぜる。
 小さいながらも長く住んできたマンションのベランダに出て、町を見下ろした。冷気が頬を掠めると、僕は小さく肩を竦めた。温かいコーヒーが、喉を通る。
 街は騒然と化していた。
 クラクション、喧騒、怒号、喚声。おおよそ楽しげでない音が、街に響いている。お隣さんの部屋もなんだか騒がしい。
 はてさて、今日は祭でもあったかと首を捻ったところで、再び。

『本日、世界が終わります』

 ああ、成る程。このせいか。
 世界が終わるんなら、どこに行っても同じだろうとは思うけど、そこはそれ、人間の混乱状態の心理というやつ。心底どうでもいいしよく分からないけど。

「どこに逃げるつもりなんだろ」

 地震や津波じゃあるまいし。
 そもそもこの世界終了宣告が、性質の悪い悪戯であるという選択肢は皆の中にないのだろうか。回線がジャックされた、とか。

「あれが言ってるんのは、嘘じゃねーよ」

 色を失っていく街を見送って、僕が小さく白い息を吐くと、下から昇る声。視線を下に下げれば、ベランダの縁に小さな手が掛かっているとこだった。

「世界は今日終わるのさ」

 ベランダの柵の向こう≠ゥらぎゅいんッと飛び跳ねてきたのは、予想するまでもなくツナギだった。

「おはよう、ツナギ」

 相変わらず目も眩むような真っ赤な「つなぎ」を来たツナギは、「よう」と不適に笑いながら柵の上に胡坐をかいた。こいつのバランス感覚に驚くほどの純粋さは、既に僕から失われている。

「ぐっもーにん、ガレキ。食いもん寄越せ」

 本名でもなんでもないその名前で呼ばれた僕は、黙って部屋の中を指差した。たしか冷蔵庫の中に昨日貰ったケーキがあるはずだ。生クリームを大量に塗りたくった、真っ赤なイチゴのショートケーキ。
 ツナギは柵から降りると、スニーカーも脱がずにそのまま部屋に上がっていった。がちゃん、と冷蔵庫を開ける音が聞こえた。

「真ん中の段」
「んあー・・・」

 返事なのかなんなのか、気の抜けた声を上げながら戻ってきたツナギの片手にはケーキの乗った皿。再び柵に腰掛けて(今度は胡坐ではなく足を下ろしている)、ぐちゃり、とケーキを鷲掴んだ。きれいな三角形はあっというまに崩れ去る。

「フォークあっただろ」
「めんどい」

 あっさりと僕の言葉を一蹴して、ケーキであった食べ物をむさぼっていく。みるみるうちに顔は生クリームでどろどろになっていった。

「むぐ、ん、ごきゅん」

 なんで食ってる効果音を口で言うんだよ。

「ツナギ」
「あんだよ」
「世界が終わるって話」

 ごくり、とあらかたのものを喉の奥に流し込んで、心底楽しそうに生クリームだらけの顔をゆがめた。べろり、着ているものをと同じくらい赤い舌を出す。

「あー終わる終わる。今日終わる。ラジオで言ってたろ」

 ツナギの言うとおり、今もその言葉は部屋の中で流れている。

「なんで悪戯じゃなくて本物なんだって分かるんだ」
「俺だから」
「・・・成る程ね」

 僕は寒さで頭をやられたらしい。そういえばこいつはそういう奴だった。さっきまで分かっていたはずなのに、何故かその瞬間すっかりと抜けてしまったその情報を、丁寧に頭の中の箱にしまった。空っぽになったコーヒーカップに、ぽつりとつぶやく。

「ツナギだからしょうがないか」
「そのとーり」

 ぎゃはは、と笑ったツナギは、べろりと顔についた生クリームを舐めた。
 僕がツナギと遭遇したのはもうかれこれ九年も前。
 僕は何の疑問もなく平凡に生きる高校生で(平凡に生きているという点では今とあまり変わっていない)、時々授業をサボるくらいには不良だった頃。
 呆れるくらい真っ青な空が広がる夏の日だった。太陽は高く、雲はなく。あまりの暑さに屋上は白く輝いていた。
 蜃気楼のように揺れる赤い影。

「お前、瓦礫みてーな目してるな」

 陽炎の中に佇んでいた影は、唐突にそう言ってニヤリと白い歯を見せた。
 小学生くらいの小さな体躯に赤い「つなぎ」と、くるくると先の跳ねた頭。足元は真っ赤なスニーカー。青い空との対比に、視界にちかちかと光が舞った。
 そのあまりに歪んだ笑顔とむせ返るような暑さに、不意を突かれた僕は動けない。

(瓦礫みたいって、なんだ、よ)

 きっと、疑問に思うところはそこじゃなかったと思うけれど。

「よう、俺腹減ってんだ。お礼に今度からいつでも俺が助けてやるから、なんか寄越せ」
「誰、」

 ようやく喉の奥から搾り出した言葉に、彼は何でもないことのようにあっさりと。

「俺、ツナギ。職業は正義の味方。お前はガレキな。職業は高校生」

 それが、始まりと、始まりでしかない遭遇。
 そうして、ツナギはふらりと僕の前に現れるようになった。あれからツナギに助けられるような状況になったことはないけれど、会えばすぐに食べ物を要求して、しばらく隣でだらだら過ごした後にまたふらりとどこかへ消えていく。一時間だったり、一週間だったり、その時間はバラバラだ。
 正義の味方を名乗るには、あまりにも悪だ。慇懃無礼を、象徴するような。
 どこに住んでいるのか、とか。
 その異常な身体能力はなんだ、とか。
 正義の味方って何やってるんだ、とか。
 なんで九年前と姿かたちが全く変わらないんだ、とか。
 浮かぶ疑問は多々あれど、それを口に出したことはない。言えばあの歪んだ笑みで「俺だから」と一蹴にされるに決まっている。
 それにその答えがわかっても、どうなることもないんだろう。
 ツナギと僕の間にあるのは、曖昧で不確かな、鎖のようなもの。

「これまた買っとけよ、美味かったから」

 ようやく生クリームを全部め取ったツナギは、皿を僕に手渡しながらそう言った。

「貰い物だからな」
「なんだ」

 がっかり。分かりやすく肩を落とすツナギを見つつ、貰った箱に確か店の名前が書いてあったことを思い出す。今度調べてみるか。
 と、そこで。
 その「今度」が、はたしていつ来るのか、と、思い至った。

「世界は、どうやって終わるんだ」

 お前なら分かるんだろうと視線を投げかけると、予想外にも「さあね」という返事。

「それは知らない」

 ベタに、隕石衝突、とかだろうか。それなら予測もできて、ラジオでも流せるんじゃないだろうか。・・・まあ、そうしたらあの放送でそういうことも言うだろうから、これは却下だ。

「ガレキ、気になんの?」
「別に。ただの暇つぶしだよ」

 世界が終わるまでの、暇つぶし。
 ツナギはふらふらと柵の上に立つと、あーあ、とつぶやいた。ゆらりゆらり。今にも落ちそうだ。ツナギなら、この高さから落ちても大丈夫な気もする。

「会いたい奴とか」
「親も死んでるし、恋人もいないし」
「友達」
「最後にしんみり会うような奴らじゃないな」

 せいぜい携帯で電話してバイバイ。そんなものだろう。
 本日。

『本日、世界が終わります。神に感謝し、隣人を愛し、家族を抱きながら最後の時を迎えましょう。メリークリスマス、神のご加護を』

 ラジオは口を閉ざす術を失ってしまったように雄弁だ。
 心残り、とか、未練、とか。この状況でおおよそ人が思うであろう事柄は一通り思い浮かべたけれど、どれもピンとくるものがなかった。今までのんべんだらりと過ごしてきた自分には、なかなかにお似合いな心理状況だろう。褒められもせず、苦にもされず。宮沢さん、僕はあなたのなりたかった人間になれたのかもしれません。
 指先の感覚が失われていた。寒い。なんで僕は家の中に入らないんだろう。さっさとコタツに入って、テレビを見て、みかんを食べたい。まだまだ箱いっぱいのみかんが部屋の片隅を占領している。食いきれるはずもない。

「正義の味方でも、世界は救わないんだな」
「そりゃヒーローの話だろ。正義の味方は自分の正義だけ持ってりゃなれんだよ」
「身勝手」
「正義なんてそんなもんだ」

 いつのまにか、街から音が、消えていた。
 あれだけ街の住人たちは、出て行ったのか、それとも諦めて家に引き返したのか。
 草木までもが時を止め、空間を静寂と安定が支配している。

「世界で一番静かな日になったかも」

 僕がそういうと、ツナギは小さく鼻で笑っただけだった。
 ラジオは喚く。

『本日、世界が終わります。神に感謝し、隣人を愛し、家族を抱きながら最後の時を迎えましょう。メリークリスマス、神のご加護を』
『本日、世界が終わります。神に感謝し、隣人を愛し、家族を抱きながら最後の時を迎えましょう。メリークリスマス、神のご加護を』
『本日、世界が終わります。神に感謝し、隣人を愛し、家族を抱きながら最後の時を迎えましょう。メリークリスマス、神のご加護を』
『本日、世界が終わります』
『神に感謝し、隣人を愛し家族を抱きながら』
『メリークリスマス、神のご加護を』
『本日、世界が終わります』
『本日、世界が終わります』
『本日、

 がしゃん。
 突然、大きな音を立てて、何かが崩れる音が響いた。何事かと後ろを振り向けば、僕のラジオが、床に落ちてその中身をぶちまけている。近くには、僕が持っていたはずの皿の破片。

「・・・ぎゃは、」

 ぎゃはは。
 ラジオをぶっ壊した張本人は、柵の上でしゃがみ込み、だらりと腕を下ろして嬉しそうに笑った。ぎゃはは。

「言い訳を聞こうか」
「なーあ、ガレキーぃ」
「なんだいツナギ」
「俺、この前言った気がするんだけど」
「何を」
「お礼のハナシ」

 ツナギのいうこの前、が、九年前のことを言っていると分かるまでに、数秒かかった。

「ああ、いつでも助けてくれるって、あれか」
「俺は約束はやぶらねーから、さ」

 空を見上げ、何かを抱きとめるように 大きく腕を上げた。赤い「つなぎ」が青い空と対比して、ちかちかと光が舞う。

「ガレキ」
「なに」
「ちょっと世界救いにいこう」

 そうして。
 正義の味方は立ち上がる。
 僕を助けるという、その正義のために。

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