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 息が止まるのだという。怠惰な瞳を私に向けた彼女は殆ど唇と動かさずにそう伝えた。息が止まるの。異物を挟み込んでしまった歯車が意図せずあげてしまった音のように、彼女自身、その事実をどうしていいのかわからない様に見えた。気にしていないともいえる。しばらく沈黙を続けていると、彼女はそれだけなのよと付添えた。息が止まる。それだけ。彼女が彼を失ってから大きな変化といえば、要するにそういう扱いのできるものだったらしい。それにしても息が止まるとは。死にたがりなのかしらわたしったら。つまり、彼の後を追いたいのか、と彼女の呟きはそう推量した。私が鸚鵡返しに問うてやると、とりわけ命を散らしたいという願望はないがしかし何故か息が止まるのだ。そのような返答があった。それは彼女自身の問題であって私の心中のことではないので私にその命題の正解が出せはずもなく、少々突き放す様に知ったことじゃないと言ってしまった私は彼女より幾分か子供であるということなのだろう。もちろん精神の話だ。しかし自覚があるのはいいことだ。意味もなく自分を慰めてやる(元来人間は自己愛の塊であるのでこの思考は概ね正しい)。
 と、不意に思うところがあって徐に彼女に視線を合わせた。初めて彼女の眼をみた気がするが、この長い時間言葉を交わしていた現実から導くにそれは気のせいなのだろう。息を止めてみてくれ、と私は彼女に請うた。何故。いいから。短い応酬の後、私の突然の要求に少しだけ戸惑うような視線を動かし、しかし拒否する理由もなかったのか静かに間をおいて、彼女は深く息を吐き、吸って、止めた。暫時。無表情だった彼女の眉間に少しだけ皺が寄り、胸が大きく上下すると、膨らんだ肺の中から呼気音とともに空気が吐き出された。
 なんで息をしたんだい。苦しかったからじゃないかしら。断定的でないな。ええだって、私は息を止めていたかったもの。まるで誰かに強要されたような口ぶりだ。その通りよ。口を開けさせられたわ。肺がすごく大きくなって。それをさせたものの名前を知っているかい。いいえ。脳? いいや。

「いのち」

20120516

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