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「先生。先生が好きすぎて生きるのが辛いのでどうにかして下さい」
「夢の世界に飛び立っちゃえば?」
「そうかその手があった!」

 うっひょーう。夕暮れ時、生徒が既にいなくなった教室で、奇天烈な声が木霊した。机の陰が長く伸びて、ふと目を向けた窓の外は夕日色に染まっていて、あと一時間もすれば真っ暗になるのだろう。
 バンッ、ガッ

「いやいや」

 窓の枠と手摺に足と手をかけて、この三階から飛び降りおうとする女学生の腰を両手でつかんで「いやん、先生のえっち」「人助けをしているはずなのに何この屈辱。可笑しくない?」引きずりおろす。とすん。「どすん」じゃないのが女の子を感じさせる。床へしりもちをついた彼女のスカートは堂々とその職務を放棄しており、その結果僕の目に飛び込んできたのは、派手な柄と色の芸術。何もときめかない。

「なんでだ。普通白だろ」
「いつの時代の夢見てるんですか先生。最近は見せパンが主流なんです」

 阿呆な生徒のまともなツッコミ。畜生これこそ屈辱。

「青春ってのは見せることから始まるのでした」
「何かしら色々な含みがありそうで、実は君何も考えてないよね」
「さすが先生よく分かりますね。はっ、もしかして先生も私のことを! きゃー! 相思相愛! さっそく婚姻届をもってこないと!」
「同時に離婚届も必要になると思う」

 一体この子の頭のネジは何本紛失しているんだろう。

「やだ先生、恋は盲目って言うじゃないですか」
「誰かプラスドライバー持ってきて!」
 
 目もなくなっていたらしい。これは重傷だ。医療費がかかるのを考慮して、直接墓地に埋葬したほうがいいのではないかと本気で思ってしまう。いや、保健所か。そうか。
 彼女は何事もなかったかのように席へ戻ると、僕が作ったプリント類をもくもくとやり始めた。僕が振り回されているのだろうか? それだけはいやだ。とても認めたくない。
 カナカナカナ、と、僕を哀れむように蜩が鳴いた。 
 
「夏休みの補習、このクラスで君だけってどうよ」
「だって先生、私、期末テストでひどい点だったんですよ」
「実はわざとだったり?」
「実はわざとだったり」

 深い溜息。僕のもの。

「ストーカーとかしないでくれよお願いだから」
「そんなあからさまな犯罪はしません」

 未来の僕はどんなあからさまでない犯罪に遭うのだろうか。キツイなあ。
 中庭の片隅に植えてある向日葵の何本かが、夏の日差しに耐え切れずにしおれていた。まるで疲れきったサラリーマンのようだ。そう、僕のように。
 油蝉が、本日最後の力を振り絞って、一斉に鳴き始める。ジャカジャカジャカ。蜩の声はあっという間に聞こえなくなった。

「夏っていうのは、なにか間違いを起こしたくなりませんか」
「そういう感情は中二の頃に卒業しておいてくださいね中二病患者さん」
「違います。私は恋の病です。先生しか治すことはできませんよ!」
「じゃあそのまま放置としましょう」
「放置プレイですか!」

 目をキラキラさせながら女の子が言う言葉じゃない。どこで知った。誰に教わった。連れてきなさい。

「縦横無尽に張り巡らされた網をくぐり抜けたその先にありました」
「畜生、これだからネット社会は嫌なんだ!」

 僕は大げさに頭を抱えた。
 そんな僕を見ておかしそうに笑いながら、彼女はサラサラと下に流れていく髪をかき上げる。生ぬるい風が扇風機の機械音とともに訪れると、その髪はまた、宙に投げ出される。黙っていれば普通の子だろうな、と思った。個人的感想、顔も悪くないと思う。まつげも長いし。目も大きいし。胸は、ほら、貧乳はステータスっていうから。

「先生これあと何枚あるんですか」
「何枚もあるけど、何枚やる?」
「じゃああと百枚くらいかな」
「ちなみに僕はあと三十分で帰ります」
「あと二枚で」

 分かりやすい。話している間に彼女のプリントは数字の羅列で埋まり、僕はプリントを二枚手渡す。一枚十五分計算。
 よーい、はじめ。カリカリ。
 貰ったプリントの答え合わせをしつつ、自分の作った問題をしげしげと眺めながら、こんなんもう早く解けないな、なんてことを思いながら、同時におっさん臭くなったなと感じた。

「おっさん臭い先生も大好きなので安心してください」
「今の文章のどこに安心する要素があるのか三十文字以内で説明しろ。そして心を読むのはやめなさい」
「邪気眼!」
「黙れ中二病」

 赤いボールペンで彼女の頭を小突きながら、目を遣ると、既に窓の外は薄暗くなっていた。夕方から夜の移り変わりは速いなあと、しみじみ思った。

「終わる頃にはきっと真っ暗だけど、自転車?」
「あー、そうです自転車。夏なのに夜が早いですねえ」
「送っていこうか」
「そのまま部屋に連れ込んでアーッ!ですね分かります!」
「主に僕がね」

 カナカナカナと、蜩の鳴き声が流れた。
 カリカリカリと、彼女はシャーペンを走らせる。

「せんせー、大好きですよー」
「はいはい僕もだよ」

 小さな溜息が、僕の心から出ていった。

(やれやれ、僕もどうかしている)

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