オトナカワイイ | ナノ


出会い

地面に落ちてひしゃげたお弁当。
目の当たりにして思わず涙がじわりと出た。
お弁当屋さんで働き出してようやくひと月、ついに大きなミスをしてしまったのだ。

長ーい下り坂の途中、乗っていた自転車のチェーンが外れブレーキも効かず、そのまま段差に突っ込んだ。かなりの衝撃でカゴから飛び出したお弁当は、もちろん配達用だ。
6つの唐揚げ弁当すべての蓋が開き、同じくすべてが上面を下に落ちたものだから全滅だ。

「(どうしよう、店長になんて言えば!
いやそれよりも配達が間に合わないことを伝えるのが先だ!)」

ちなみに事故現場の目の前はとある小児科。ここに届ける予定だった。
エントランスのドアが開いて、白衣の男が心配そうにこちらに掛けてくる。この病院の若先生だ。
彼はうっかり泣いてる二十代の女を見つけて、かなり驚いたようだ。

「羽美さん!大丈夫ですか?」
「先生、申し訳ありません……。見ての通りお弁当の配達、間に合いません!今すぐ新しいものを持って来ますから!」
「そんなに謝らなくてもいいですよ、それより中から見えました、羽美さん思いっきり歩道の段差にぶつかっていって転ぶんですもん。俺も患者の皆さんもびっくりです」
「ほんと、まったく、すみません……!」
「その足、痛くありませんか?」
「足?……ぎゃっ!?」

若先生の視線をなぞって己の膝を見た。血だらけだった。本当のところは段差にぶつかって横倒れした自転車、そして私はどちらもアスファルトで体を強めに打っていた。
なんか痛いなって思っていたらすごい怪我をしている!思わず涙が止まってしまった、それから急に膝の力が抜けて、地面にしゃがみ込んだ。

「め、めちゃくちゃ痛い……!」
「見たところかなりの傷ですよ、涙が出るくらいですもんね」
「(それは別件で泣いてたんです!)」
「とりあえず消毒しましょう!歩けますか?」
「な、なんとか……。ひい、ひい……」
「えーっと!じゃあ。俺が運びますね!」
「えっ!?ぎゃっ!?」

ハツラツとした宣言とともに若先生に担がれて、私は潰れたような声が出た。

「だ、大丈夫!若先生!大丈夫ですから!」
「いーえ!じっとしててください!診察室に行きます!」
「わ、わあー!待ってくださいってば!」

私の制止もむなしく、どたどたどた〜と院内に向かわれ、病院中の看護士やお客さんに物珍しい眼差しを受けつつ、大の大人が肩に担がれて診察室に運び込まれるのだった。




●オトナカワイイ




まちの小児科に勤める若先生は、とびきり温厚な好青年だ。地顔はしっかり者という風情だが、ひとたび対面すれば、下がった眉に緩んだ目尻がデフォルトで、誰がどう見ても大人しそうと思うに違いない。どこにも害意のない、お日様のような雰囲気が私のお昼時を癒していた。
そんな若先生だから、私が弁当を病院の前でぶちまけたのも、病院の皆の昼食が遅れるのも、ひとつも嫌な顔をせず逆に心配さえしてくれるのだ。

「ああ、にしても恥ずかしかった……!」
「大丈夫ですよ!みなさん俺の顔見知りですから!」
「大丈夫じゃないです。全部見られてたってことですよね、受付前にいた患者さんには」
「それは、はい……残念ながら。病院前の長い坂を自転車でノーブレーキで降りてくるんですから、このまま院内まで突っ込んでくるんじゃないかってみんなドキドキしてました。あはは……俺もそのひとりです」
「それは〜!ブレーキが壊れちゃって!途中死を覚悟したんですよ……ああ怖かった」
「羽美さんが生きててよかったです」

と言いながら私の膝にガーゼを当てる若先生。
窓から入り込む風で捲られたカーテンがその背後に見えた。地毛の茶髪が陽の光に滲んできらりと輝く。
年の頃は私とそう変わらない、少し上だろうか。
私は年齢を読み取ろうと、彼の輪郭をまざまざと見た。
就職に当たりこの街に来て、つまりはまだ住んで一ヶ月程度の新参な私だ。彼は数少ない知り合いだった。

「(と言っても知り合いというか、お客さんなのだけど!早く友達を作りたいなあ……)」
「よし、できました。消毒は終わりです。派手に転んだ割に軽い怪我で良かったですね。まだ痛みますか?」
「正直めっちゃしみます……!うっかりしてると涙が出そうなくらい……」
「そうですか?じゃあ今から俺が魔法をかけますね。痛いの痛いの飛んでけ〜!ほら綺麗さっぱり飛んで……あっ!」

こちらの視線に気がついた若先生が、ばつが悪そうに目を泳がせた。

「先生、私のこと子どもだと思ってますか?」
「いえ!違うんです!つい癖が出てしまって。いつもはここで羽美さんよりうんとちっちゃな子を相手にしているので」

すみません、と言って視線を逸らしたまま白衣の襟を正す若先生だ。絵に描いたように焦るから、どうにかフォローを試みた。

「面白かったですよ、今ので痛いのちょっと忘れました」
「……あ、あはは……。なら、よかったです」

彼は汗ばんだ肌を両手でぱたぱた仰いだ。
うっかりじっと見てしまって、より困った笑みを浮かべられた。

「あ、あの。俺の顔に何か付いてますか?」
「!いえ、なんでもないです、多分……」
「多分?」

と、形容しがたい空気になったところで診察室のカーテンが雑に開けられる!
仁王立ちの筋肉質のおじさんが大きく息を吸ったと思ったらやはり大きな声を出した!

『羽美!!何をしとるんだお前は!』
「ひい!」

いかにもガサツなこの男、私の天敵だ。ほら今だって大きな声を上げるのだから、恐ろしいのだ!筋肉隆々のでかいおじさんがせっかちにも怒気をまるで隠さずこちらを睨む様は厳しい。
打って変わってスローな時間で生きている若先生が、のんびりと男を見上げると、おっとり話しかけた。

「あっ店長さん。こんにちは」
『若先生、すみませんね。こいつ何もできんでしょ』
「ひどいな、何もってことないよ!」
『配達も満足にできないじゃないか馬鹿者』
「うっ……それは、ほんと、ごめんなさい……」
『それで怪我して治療して貰ったのか。お礼はちゃんと言ったのか?』
「あっ!そうだった!若先生、ありがとうございました」
「いえいえ、とんでもない。大事なくてよかったです」

今更感謝の言葉を述べたことに、眉が釣り上がる店長。怒りを隠しもせず私の体を引っ張ったと思うと肩に担がれた!

「うわあっ!やめろ〜!」
『回収!先生、お騒がせしました。こいつはしっかり叱っておきますんで、今後ともご贔屓に』

と、店長は替えのお弁当とおまけの豚汁とサービス券とが入った大きな袋をデスクの上に置いて、かちっと礼をする。

「いいんですか?大したことしてないですよ」
『貰ってください。じゃ、失礼します』
「は、はい、えっと、ではお言葉に甘えて……。ありがとうございます。羽美さん、安静に。明日もお弁当よろしくお願いしますね」

ぺこりともうひとつ頭を下げたらもがく私をがっちり掴んで店長は病院を後にした。
診察室を出るとき、必死な形相の私をにっこり手を振って見送る若先生と目があった。なんとなくそれで毒気が抜かれて、微妙に笑みまで浮かんだのだけど、そのあと病院中の人にまたしても奇怪な目で見られては……!恥ずかしいのだ!

「下ろしてってば!店長ー!!」
『歩けないんだろう。下ろしていいのか』
「そ、それは……そうだけど〜でも!」
『お前自転車壊したろ?』
「壊したんじゃなくて壊れたんだよ……、あの坂の途中で急にチェーンが外れて……それで……」

急に大人しくなった私の態度を受けてか、店長は少し柔らかくなった。

『大怪我じゃなくてよかった。心配させてくれるな、兄さんの大事な一人娘を怪我させたってなったら責任問題に発展するんだ』

と、ため息からは呆れと安堵が伝わってくる。
店長というか叔父さんは、就職失敗した私を自身のお弁当屋さんで雇ってくれた良い人だ。

「おじさんありがとう、ごめんね」
『おじさんじゃない、店長だ』
「はーい。てんちょ〜」
『そうだ、俺はまだおじさんって歳じゃ』
「はいはい、店長店長……」





今日の配達は幕の内弁当を6つだ。
お弁当屋のロゴが印刷されたビニール袋2つの中に、おまけの豚汁も入っている。
受付で看護師さんに挨拶して診察室に入ると、若先生が手にパペット人形をはめて絵本と睨めっこしていた。
こちらに気がつくと例のごとく目尻が下がって、パッと明るく微笑んだ。

「(若先生は癒し系だな〜!)」
「こんにちは、羽美さん」
「はい、こんにちは!そのパペットはどうしたんですか?」
「実は、今度地域のみんな向けに軽いパペットショーをすることになりまして」

そう言うと、ライオンの人形をはめた左手を翳した。

「がお〜!この俺様がひとり残らず食べちゃうぞ〜!!……って感じに、練習してるんです。どうですか?」
「なるほど!かっこいいですね!」

愛くるしく且つ凛々しいデザインのライオンだ。若先生の顔に視線をずらして同意を求めると、目をまん丸くしている彼がびくりと体を驚かせた。そして困ったように目を背けるので、これはどういうわけか勘違いをされている気がした。

「えっと……」
「先生がじゃなくてパペットがですよ?」
「は!はい……そうですね!かっこいいですよね!」

合点がいった若先生が焦りをみせた。
それから、まだあるんですよ〜とうさぎやらリスやらのパペットを紙袋から取り出す。そんな彼の耳は、首元は、赤い。

「(露骨に勘違いを誤魔化している……。これは……)」

ちょっと面白い、と若先生を見つめる。すると余計と目を泳がせて、ふにゃっと困った笑みを浮かべられてしまった。八の字に下がった眉、緩みきった目尻、長身のお兄さんのわりにこのか弱さ?はなんというか

「(可愛いぞ……?)」
「あの、えっと、ほら、羽美さんもどうぞはめてみてください!」
「え。私もですか?じゃあひとつください」
「よいしょ……、ああすごくよく似合ってますね。この絵本は、うさぎとライオンの話なんです」
「へえ?珍しいですね。うさぎとライオンって生活圏被ってるのかなあ」
「そこはきっとファンタジーですね。湘南に住んでる設定ですし」
「ライオンが!?」
「はい。みたいです。そしてそして、サーファーなんです」

なんだその絵本と思いつつ、それでの言葉の続きがこないので顔を上げると、若先生の右手についてるライオンのパペットに私の左手のうさぎが食べられてしまった。

「えいっ!がぶっ!」
「わっ!?何ですか!」
「あはは。最初はすごく仲良くなるんですけど、こんなふうに物語の最後は食べちゃうんですよ」
「ええ!?ライオンがうさぎを食べる話なんですか?」
「そうなんです。なんだか切ないですよね」
「オオカミと羊みたいな話かな……?」
「似てます、似てます!」

そうなると若先生はライオンって言うより……。

「取り替えっこしましょう!うさぎとライオン!」
「え?どうしてですか?」
「なんとなく、そっちの方が似合うような……」
「……?俺、うさぎっぽいですか?」
「ライオンとうさぎならきっとうさぎですよ」

というわけでパペットを交換してみた。
若先生は眉を下げて、小首を傾げた。一緒に傾く右手のうさぎがすごく様になっている。

「しっくりきますね!」
「えっと……そうですか?」
「(そして良いのか悪いのか私はライオンが似合うな……)」

片手に寄り添うワイルドフェイスのライオンと向き合ってうーんと唸る。

「いいえやっぱり、俺みたいな大きな男より羽美さんのがよっぽどうさぎです」
「だって私がぴょんぴょんってキャラなんて、キツイですよ。がおー!食べちゃうぞー!のがまだいけます」
「ぴょんぴょん、似合うような……。ちょっと言ってみてください」
「いやです……」

ぽやっとした面持ちでこちらの演技を待っている若先生だ、期待されても何も出ないけれど、彼の周りだけ時がゆっくり進むのか、じっと待たれて困ってしまった。観念した私は嫌々ながら、開かれた絵本のウサギの台詞をなぞった。

「ぴょんぴょん、人参が欲しいんだぴょん……」
「……あはは……!」
「えっ!ちょっと、何笑ってるんですか!やらせたくせに!」
「ふふっ、だって……うさぎな羽美さん、とっても可愛いから」
「はっ!?」

ぎょっとした表情の私にぎょっとする若先生だ!あーえっとー、なんて曖昧な言葉で場を繋いだと思ったら、のぼせたような顔で下を向いてしまった。

「すみません、俺、ちょっと変なこと言いましたね」
「い、いえいえ。気にしないでください!ちょっとびっくりしただけで!」
「……はあ、熱いです、ほっぺが」
「(ほっぺ……)」

手の甲を頬にぴとりとつけて熱を逃がす若先生。出会って間もないけれど、こんな様子を本当によく見るのだ。

「(果てしなく照れ屋だな?)」
「羽美さん、そんなに見ないでください、できれば……」
「(どう見ても大人の男の人なのに、こう、もっと照れさせたくなるなんて不思議だな!)」
「あ、あのお……」
「はっ……!すみません、ジロジロと!」
「俺はその……いいんです、けど。あは……」

先生の手は自身の首の後ろへ。そわそわと落ち着かない。妙な空気を変えようと私はかねてから抱いていた疑問をぶつけてみた。

「先生っておいくつなんですか?」
「えっと。27歳です」
「タメだ!私もですよ!」
「わあ俺たち同い年だったんですね。就職でこちらに引っ越してきたと聞いていたので、もっと若いかと」
「院卒なので!」

なるほどと、にこりと笑顔を見せられてこちらもつられて笑顔になる。よこしまさがまるでない気の抜けた顔だ、なぜか驚かせたくなってしまって私は彼の耳元によってわっ!と大きな声を出した。

「っ!!な、なんですか?」
「出来心で!びっくりしましたか?」
「しました、すごく……。ああ、まだドキドキしてます」
「あはは!先生は驚かせがいがありますね!」
「だって急に近づくんですから、……びっくりもしますよ。院内ではいたずら禁止ですよ、患者さんも、あなたもです」
「(……んん?)」

伏し目がちの若先生が妙に気になった……ことに戸惑って、私は少し体を離した。

「(むむむ……?)」
「ふう。もう。あなたくらい元気だともう色んな人と仲良くなっているんじゃないですか?小さなまちですから」
「ああそれが……。知り合いはたくさんできたんですけど、それ以上はなかなか、まだ……。はあ……。すごく、めちゃくちゃ、友達が欲しいんです!」
「なるほどそれは深刻ですね。……あ!なら俺はどうですか?」
「え?」
「友達第一号、なりたいです!」
「い……」

いいんですか!?と身を乗り出すと、驚いて少し体を引いた若先生が、おっとり笑った。

「もちろん、俺でよかったら」
「やったー!!嬉しい!!」
「あはは。俺も嬉しいです!」

思わず両手を胸の高さまで上げて小さな万歳をしたら、若先生が軽いハイタッチをくれた!

「(そういうつもりじゃなかったんだけど……まあいいか!)」
「俺もはしゃいじゃいます!この歳から新しい友達ができるなんて思ってなかったから、えへへ」
「(えへへ……?)」
「それに、俺、羽美さんともっと仲良くなれたらなって思っていたので」
「私もそれ一緒です!」
「!あはは……」

同じ気持ちだと言われて、驚いて目を大きくして、それから溶けたように細める若先生だ。嬉しいって気持ちがそのまま滲み出るような照れた笑顔を見ていると……、なんかやっぱり……。

「(女の私より所作がよっぽど可愛らしい……気がするな!)」

可愛いというか愛嬌というか?どうにもガサツだと店長にも常々小言を言われている自分の現状を思い出して苦い気持ちになる。

「そうだ。せっかくなんで、どこか遊びに行きませんか」
「それいいですね!」
「今週末、実は行きたいお店があるんですが、俺ひとりだとどうも……入りづらくて」
「私ちょうど良いじゃないですか!お伴しますよ」
「あ……えへ。ありがとうございます、じゃあちょっと付き合ってください。俺の用事は買い物なんですけれど、終わったらご飯でも食べましょう?」
「はい、やった〜!」
「俺も、やったーです!」

ここで視界の端に壁掛け時計が入った。思ったより時間が経っていて、私はすぐさま立ち上がった。

「ヤバイそろそろ他の配達に行かないと。じゃあ失礼します!楽しみです!お願いしますね」
「はい、さようなら。こちらこそ、不束者ですがこれからよろしくです」

病院から出て自転車にまたがる、走り出す前にちょっとタンマ……、だって、友達できちゃった!
喜びを噛みしめるのが先だ!
にしても、

「(えへへってリアルで言う人居るんだ……?)」

新しい友達はどんな人だろうか、これから色々知っていきたい。私はわくわくを隠しきれずに、おじさんに買ってもらったピカピカの赤い自転車を勢いよく漕いだ。
 


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