夜、という定義をすることが些か面倒な時間で区切られた暗い世界は、静寂に好かれている。太陽が明るく照らす昼間ならば、賑やかなほどに囀る鳥の音色も聞こえず、季節に応じて響く虫の声音も、やはり昼間とくらべものにならないほどに遠慮がちで、時たま近くの道路を通り過ぎる夜行トラックのエンジンに掻き消されてしまう。こうも静かになると、まるでこの世界には自分以外の人間がいないのではないか。そんな空想じみた錯覚に囚われかけてしまうものの、隣から聞こえる恋人の穏やかな寝息によって、確かに彼女もこの世界にいることを実感するのだ。

「……Alex」

 眠る恋人の、うつくしい小金の髪をそっと梳く。愛しい彼女の幸せな夢を邪魔せぬように、穏やかな眠りを妨げぬように。そんな彼の心を表すかのように、彼女の髪は、滑る彼の指を妨げることはなかった。その一房を持ち上げ、磨き抜かれた刃に触れる、丁重なキスを一つ、落とす。金色のシルクで編まれたその一房からは香る、自分の使っているものと同じ柑橘類のシャンプーの芳香が、彼にとっては何よりも甘く心地よいものに感じた。

「……mn、……Tatsuya?」(……んんっ、……タツヤ?)
「Oh……Sorry , Alex. Has it started.」(あぁ……すまない、アレックス。起こしちゃったね)
「It doesn`t.……What`s the matter?」(構わんさ。……それより、どうかしたのか?)

 ふと、眠る彼女が身じろいだ気配に顔を上げれば、至近距離に零れる鮮やかな翠色をした飴玉と視線がぶつかる。その翠色の大半は睡魔に占められ、生理的な水の波に覆われていたけれども、その波の間に穏やか過ぎるほどの愛しさが隠されることなく揺れているのを見とめることが出来て。一瞬、ほんの一瞬だけであるけれども、彼は泣きたい気分に襲われた。
 だけども、ぐっとそれを飲み込み、「There`s nothing anything.」(なんでもないさ)と常通りの笑みを返す。
 きっと、炯眼に優れた彼女には、飲み込んだ気持ちを見通されているだろう。だが、同時に彼女は気付いてくれるはずだと、彼は分かっていたから。なんでもない、その一言で深夜の静寂に始まろうとした会話を断ち切り、彼女の眠たげな瞼に口づける。
 彼女は不満げに眉根を寄せはしたものの、次の時には仕方ないと言いたげに緩められ、瞼に降りてきた口づけのお返しに、彼の手にキスをし、それをぐいと引っ張る。

「明日は久々にタイガとストバスする約束だろ? 遅刻なんてしたら拗ねるぞ、きっと」
「…………ふふ、だね。早く、寝なきゃかな」
「その通りだ。……Have a good night,Tatsuya.」
「Yeah , Good night.…………Alex,」
「What?」
「……I love you more than whom in the world.」
「…………っ、私もだ、バーカ」

 横になっている彼女の隣に入り込み、自分より少しだけ華奢な彼女の身体を腕の中へ閉じ込めると、彼は熱された砂糖菓子を思わせる声でそっと囁く。そのささやきに彼女もまた、甘い甘い微笑みを浮かべて胸の中からそっと答える。
 触れ合った肌の体温と、それを通して聞こえる少しだけ駆け足な心音を子守唄に微睡み始めたころには、ずっと感じていた夜の静けさを、氷室は感じなくなっていた。二人分の規則正しい寝息が、おしゃべりな星明かりに紛れて、ふわりと漂った。



夜の静けさに日本が少しだけ恋しくなった氷室さんと、それを察したアレックスさんの話。



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