※ファンタジーパロディ



例えば、もしも世界が無色透明で、どんな宝石よりも美しい雨が降り続けるとしても。

君の笑顔をこの瞳で見ることが出来ないのならば、それは何よりも空虚な世界にしか感じることが出来ないのだろう。



「行っちゃったね、綱海」
「そうだね」
「寂しい?」
「しょうがないことさ。人はいつか旅に出る。それは神が定めた宿命なんだから」
「そっか……」

 今日も、長い一日が終わりを数え始めた。
 目前に広がる大海へと夕日は沈み、海は燃える橙に染まって行く。
 それは、明朝より燦然と地を照らし続けていた、偉大なる太陽がしばしの休息に入る瞬間であり――実質的には遥か遠くの異国へと顔を出すのだが――、誰しもが感嘆に息を呑む、幻想的で美しい光景であった。


 海上に建てられた荘厳な珊瑚の城の一室にも、沈み行く太陽の美しい光は差し込んでいた。
 部屋の中、並んで畳に腰を下ろし、海を見つめる二人の姿を照らし出す。同時に、単調に奏でられる三味線の音色が、燃える宙空に踊る。

 その橙の光源へと向かって旅立って行った友を乗せた帆船は、帆に煌めいていた稲妻と共に、もう影も形も見えていなかった。


てぃん、てぃてぃん、てぃん。

 三味線の弦が撥に弾かれることによって生まれる音波は、一瞬だけ小さな音符の形となって世界に具象化し、かと思えば橙の宙空へと弾けて消えて。
 泡沫のように儚い、友を送る唄を瞳で追いかけながら、少女はまたソプラノを響かせた。

「……なら、私や音村君もいつか旅立つの?」
「俺は無理だけど……喜屋武、君もきっとそんな時が来るだろう」

 少女のソプラノが彼の鼓膜を揺らし、神経を巡りて脳内へと響けば、彼はもう一度だけ三味線をてぃんと弾き、畳へとそっと撥を置いた。
 宙空に零れた三味線の漣の余韻が、静かに部屋を満たす。
 併せて口を開いていた彼の顔に浮かんでいたのは、どこか悲しげで、淋しげな。
 だけども笑みと呼ばれる表情。

「君がそれを望まぬとも、必ず何かしらの形でやって来てしまう。そういうものなんだ。この地、“大海原”に住まう者が司る宿命は」
 彼が淡々と語ったそれは、彼らが住まう“大海原”の、長以外の全ての民たちに定められた宿命であった。

 紺碧の海の中心とも呼べる場所に浮かぶこの島は、広大な海の中心地となり、様々な国の民族達が行き交う、混ざりの島として名高い。
 そのため、外界から訪れる他国の民達の口より紡がれる、果てなく遠い国々の武勇を、民たちは多く耳にする。
 故に、“大海原”の民は皆、外界へと憧れるのだ。

 母なる海と烈なる海神に守護をされたこの小さな島では無く、父なる大地と全能なる天神の恩恵を一身に授かり続ける外の世界へと惹かれ、そして結果的には旅立って行く。
 それが、先祖代々“大海原”の民たちに定められた、宿命と言う名を冠した、人々の欲を色濃く具象化したモノなのだ。

 今日もまた、彼ら二人と親の友とも呼べるべき人物が、この“大海原”から旅立っていった。
 世界を救うという、途方も無い決意と云う欲に従い。



 少女は、その言葉を聞きながら視線を海へと向ければ、嗚呼なんと美しきこと。
 広大な水平線のその先へと、燃える橙の球体は、緩慢な動作で沈んで行く。
 その先には、何があるのだろうか。

「やっぱり、そうなんだ……」

 そこで、少女は呟く。
 この自身の全身を隈なく巡る紅い血液にも、その宿命は有々と刻まれてしまっているのだと。
 何故かはわからない。だが、どこか、悲しくなってしまった。

「悲しむことは無いよ、喜屋武」

 その何とも言えぬ悲しさに、思わず、ほんの僅かに細めた瞳であったが、彼から掛けられた声に小さく見張る。
 だが、直ぐに少女はそれを戻し、彼の東雲の瞳を見つめて、分かってるよと呟いた。

 少女が見つめる彼の、その明け方に白む東の空の色をした瞳は、何も映さない。
 どんな色彩も、景色も。
 この母なる海に偉大なる太陽が沈む絶景や、父なる大地が齎す雄大な自然も、雨上がりに七色の橋を描いてくれる天空も。
 何も写すことはせず、映すと言えば一色の黒、闇のみの。

「幾ら旅立ったとしても、また戻って来れば良い。島や、俺はいつまでも此処にあるから」

 だが、その盲目の彼だからこそ。また、“大海原”の次代の長として、旅立って行く民たちを何幾人と見送って来た彼だからこそ。少女の小さな感情の変化に、一瞬で気付いたのであろう。

 余りに暖かい優しさに、胸の奥が熱くなり、涙腺がフンワリと湿ってしまった。
 本当に、彼は優しい。それが有々と実感出来るからこそ、少女の脳は彼のために何か役に立ちたいと、本能的に考えた。
 そして思考を瞬時に廻らせた彼女の脳内では、いともたやすく導き出すことが出来るほどに、答えは思考回路の頂上へと出て来ていたのだ。
 ただ、口から紡げば良いだけの位置に。


「音村君、私ね」
「……なんだい?」

 緩慢で、静かな。だけども自然の優美さが付き従う動作で。
 喜屋武の発した言葉に、音村は首を巡らせた。
 彼女の声帯から発せられる淡いソプラノだけを頼りに、だけども正確に、彼女の顔を、盲目の瞳で捉える。
 喜屋武はただその顔を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡いでいった。

「夢が出来たの」
「夢? 今かい?」
「うん、今」
「……それは、どんな?」

 音村の何も映さない東雲と、喜屋武の全てを映す若竹が、共通の橙の光を宿し、美しく輝く。
 喜屋武には、その輝きがとても至福な色に見えた。

「私ね、世界を見たくなったの。この広い世界を隈なく見回って、どこにどんな物があるのかを、しっかりとこの目に焼き付けて来たいの」

 そして、世界の全部を見てきたら、もう一度此処に戻って来るの。
 音村君がずっと待っててくれる、私の大好きなこの島に。
 そしてね、全部聞かせて上げる。

「世界の端っこが、どんな形をしていたのかを。世界の天上が、どんな色をしていたのかを。世界の四季にはこんな華が咲いて、動物がいて。異国の風がどんな彩をしていたのかを」

 全部全部、聞かせて上げる。
 私が貴方の瞳の変わりになって、世界の全てを映して来るの。
 そして、そしてね。

「もしも。もしも私たちが生まれ変われるのなら。もう一度二人でこの世界に生まれて、一緒に見に行こうよ」

 美しく、美しく。
 言いきって、満面の笑みを咲かせた喜屋武の表情。
 音村にそれを見ることは叶わないのだけれども、視覚以外の残り五感と、最後の六感が。
 彼女の顔に浮かぶ表情の美しさを、彼の脳内へと鮮明に浮かび上がらせて。

「……是非とも君が世界を見てきたら、全ての話を聞かせて貰うよ」

 俺は、耳だけは良いからね、と。
 音村もまた、柔らかく微笑む。
 彼の瞳から、ヒラリ。
 東雲の空から、雨粒が零れた。

「そしてもしも生まれ変われたならば、君と一緒に旅することを誓うよ」

この、幸せな世界に。




例えば、もしも世界に色が溢れかえっていて、濁った曇り硝子のような雪が降り続けるとしても。

君の笑顔を見ることが出来るのならば、それは何よりも鮮やかで、美しい世界であるに違いないと、確信しているんだ。




(次もきっと、君と共に幸せな世界に生まれたい)


―――――――
私が主催している企画『空想ファンタジア』に提出した作品。
今回は、我が家の“光雷戦記”設定の音村と喜屋武になります。

補足として、

∵音村→海に浮かぶ小国・“大海原”の次代の長。生れついて目に病を抱えており、盲目となってしまっている。
∵喜屋武→音村の親友のような妹のような恋人のような少女。“大海原”の有力貴族の一人娘。

という感じになります。
展開的には、アニメやゲームの大海原編が終わり、綱海が雷門に入って旅立った後という時空軸です。

詳しくは、当サイトの更新履歴兼日記の方へ後書きを載せましたので、興味がありましたら御覧下さい。


では、此処まで読んで下さってありがとうございました^^


∵冬神琥珀(101209+120808)


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