Solitudes.-Another- | ナノ


▼ Prologue.

白い巨塔の下には、窓のない部屋があった。窓がなく、光も届かない代わりに、天井にはパネルライトが敷き詰められていた。時刻に合わせて色の変わる照明は、今、夕焼け色に染まっていた。
救急車のサイレンも届かない、静寂に呑み込まれた部屋の壁には、柔らかなスポンジが敷き詰められている。そのスポンジの隙間から、隠す気もないカメラが覗いていた。
部屋の真ん中には、せんべい布団が一つだけ敷かれている。
たったそれだけしかない部屋の中に閉じ込められ、カメラに見つめられていたのは、、一人の少年だった。少年は、7年前からずっと、この部屋で一人、過ごしてきた。自分の名前など、とうに忘れてしまった。呼ばれもしない名に必要性など感じなかったから、思い出そうともしなかった。
肩からずれおちそうなTシャツと、ぶかぶかのズボンをはいて、遠くを見つめる少年の左の眼窩には在るべきものがはまっていない。2年前、8歳を迎えた日に、自分でえぐり抜いてしまったのだ。痛かったかどうかなんて、覚えていない。存外頑強な視神経に繋がれ、ぶら下がったまま取れなかった瞳の根元を、鋏で盲目的に切り裂くと、眼球はころりと少年の手の上に転がった。それを見ても、少年は何も感じることができなかった。退屈そうに壁に投げ捨て、蹲っていた少年の元に、慌てた様子で駆けてきた男が、何かを叫んでいたことだけは、なんとなく覚えている。その日の夜、いつもと同じように、ちくりと針をさされ、血を抜かれたことだって。
今日も、少年は血を抜かれる。
それは、少年がこの部屋に監禁されてから、毎日欠かさずに行われてきた儀式だった。

少年は、己の体に流れる血の為に、生かされていた。この部屋から、出ることも許されないままに。

しばらく人形のように動かなかった少年の口から、突如として鮮血が溢れだした。
喉の方まで流れ込んだのか、けほけほと小さく噎せた少年は、夥しい量の血液を吐き、つるつるとした床を瞬く間に赤く染めた。少しだけ微笑んだ少年は、口の端から溢れる血もそのままに、咳込みながら、ぼんやりと天井を眺めた。日の入りと共に光をなくしてゆくパネルライトが、ぱっとひかり輝いた。

「また、お前は!」

間髪入れずに駈け込んで来たのは、白衣を纏った男性だった。まぶしさに目を眇めた少年の口を、強引にこじ開けようとした彼の手には、小さなシリンジが握られていた。しかし、唾液交じりの血液は、何の役にも立たないと、彼はあきらめたように、それを投げ捨てた。壁のスポンジに一回バウンドし、音もなく転がるシリンジに視線を向けた少年に、彼は言った。

「お前の血液は、たくさんの人を救うんだ。それなのに、無駄にしてはいけないよ、試験体001」

返事の代わりに、少年は何かを吐き出した。それは、舌の残骸だった。じわじわと血液の滲む切り口は、綺麗な歯形だった。何のためらいもなく、噛み切ってしまったのだろう。男は、舌を白いハンカチに包んでシャーレの中に閉じ込めた。この舌からなら、まだ綺麗な血液を抽出できると判断したのだった。
ごほごほ、えづく少年の口にガーゼを詰め込み、圧迫止血を試みた医師はため息をつく。

眼球の自損に続いて起こった、舌の自損。痛覚がないわけでもなかろうに、少年は、自傷を繰り返した。最初は、爪がはがれるほど、壁をひっかいていたから、壁に緩衝材を貼った。ぼろぼろになるたびに、何度も何度も張り替えた。鋏や家具のほとんどを撤去し、出来る限り、自傷しづらい環境を整えたはずだった。それでも、少年は自傷を繰り返す。
その痛ましい姿を見て、地下研究施設を去った者も多い。

しかし、少年の血がなければ、救えない命が多く存在する。

試験体001と呼ばれた少年は、相変わらず痛みも感じていないかのように、ただ、男にされるがままになっている。もともと青ざめていた顔が、ますます白く見える。今日の採血は中止だ。
今日、救えるはずだった何人もの命を、救うことができなくなってしまった。試験体001が、無駄な血を流してしまったからだ。麻酔もかけずに舌を縫われても、彼は平然としている。

―もう、何も見たくなくて、目をえぐった。
―伝わらない言葉など吐きたくなくて、舌を噛み切った。
―あと、何をなくせば楽になれるのだろう。

試験体001は、この部屋に閉じ込められる前のことを、思い出すことができない。
昔、友達がいたような気もした。気のせいだったかもしれない。
自分が死ぬことで、多くの人が亡くなるのだと聞いたけれど、そんなことは、本当はどうでもよかった。

「試験体001。…見張りをつけなくてはならないね。今よりももっと厳重に。お前が誰かに奪われそうになった時、お前を救うのはもちろん、お前自身からお前を救うために…」

不思議なことを言うものだ、と、試験体001は頭の隅で考える。
試験体001を救うことができるのは、試験体001を殺すことができるものだけだ。

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