Novel
裁きと救いの境界線

★この作品は以下の創作者さま・お子さまの協力のもと書かれています。
青田田楽(アマリ) (敬称略)



シロ、と呼ばれた時から、シロだった。
シロになる前は、どこにでもいるような学生だった。吸血鬼伝説なんて正直信じていなかったし、それなりに生きて、それなりに死んでゆけたらそれでいいと思っていたし、そんな当たり前の生活が当然だと、傲慢にも、思い続けていた。

―朝起きて、自分の首筋に、真新しい傷を見つけるまでは。
15になった朝、私を待っていたのは、人生の唐突な終焉だった。
吸血鬼になってしまった私の唇からは、尖った牙がのぞいていた。そのまま素知らぬ顔で登校し、自分の机で弁当を広げ、卵焼きを口にした、その瞬間に、クラスメイトがざわついた。

「あいつ、きゅ、吸血鬼だ!飯食って赤くなるなんて、ああ、本当だったんだ!」

手鏡に映る瞳は、真紅。髪はいつの間にか、星の光のような色に変わっていた。
突きつけられる十字架。
殺意を込めて振り下ろされる椅子。無我夢中で逃げる途中で、私を見つけたありとあらゆる人間が追ってくる。
殺せ、殺せ。教会に連絡を急げ。
彼奴は生かしておいたら人間を殺すから。

それなりに生きることが、許されなくなった。
それなりに死ぬことも、できなくなった。
永遠の命を押し付けられた日から、名前も、戸籍も、家族も何もかもがなくなった。
家に入ることも許されず、まるで獣を見るかのような視線を、母から向けられた。私は、空想上の怪物に、なってしまったのだ。

「早く、お願い、殺されて」

そんな願いを口にされたら、どうしたらいい。昨日まで人間だった私は、殺されるのが、怖かった。
…でも、人を殺してしまうのも、怖かった。教会に行ったら殺される。行かなくても殺される。
雨の中、一歩一歩を踏みしめて、それでも、向かう先は教会だった。いつ殺されるかわからない環境で怯え続けるくらいなら、早く終わらせてもらったほうがいい。
突如背後に忍び寄った影。生暖かい吐息に背筋を戦かせて飛び退くと、青い目と目が合った。
セルリアン・ブルーの蒼に滲む、私の赤い瞳は悍ましく、泣きそうに歪んでいた。

「いただき、まあす…」
「…え」

牙を剥いて飛びかかってきた其れは、おそらくは私と同じ吸血鬼だった。なのに、彼が狙ったのは、私の首ではなくて、心臓。どくどくと鼓動を打ち続ける、臓器。理性などない、あるのは野生に飲み込まれた野蛮な笑みばかり。少しでも時間を稼がなければ、と、みぞおちに向かって拳を繰り出した。女の非力では、与えられる衝撃などたかがしれている。そう信じて疑わなかった私の腕は、いとも容易く彼のみぞおちを貫いた。一瞬遅れて、鮮血がふきだし、辺りをみるみる内に鉄錆の匂いに彩った。

「…なんで、?」

訳も分からず立ち尽くした私の、吸血鬼をあやめた腕を引く手があった。
怖がりもせずに、ぐいと引き、彼女は笑った。

「君、成り立てだね。おいで、白い子。君の力になれるよ」
「待って、」
「すぐに教会が感づくから、逃げてから。いいね」

月の色をした髪がふわりとなびく。彼女にいざなわれるがままに走る道中で、ついに気づいた。気づくのがあまりにも遅かった。
私はもう、人間の女じゃない。吸血鬼の女なんだ。

「私は吸血鬼だから、殺してしまったの…」
「吸血鬼だから、喰われそうになったんだよ」
「私は吸血鬼だから、殺されるの?」
「……そうだね。…でも、君はそれだけじゃない」
「どういうこと?」

私の問いに、虹色の瞳を持った彼女は少し言いづらそうに、それでも真摯に向き合って答えてくれた。

「君は相当強いんだ。赤目を持った吸血鬼は、みんなそうだけれど―――君は、まだ体の使い方が分かっていないから、加減をしらない。だから、余計に、強い」
「………」
「だから、加減を教えてあげる。私とおいで、白い子。…シロ」

彼女の手は、心地いいくらいに冷たかった。氷のようにつややかで、白魚のようにしなやかで、綺麗な指先が、私の手を握りしめた。

「ひとりじゃないよ、シロ。私も君と同じ、赤目の吸血鬼だ」



***


七色の瞳だから、ナナ。
私の提案に頷いた彼女は、それからずっと、私といてくれた。
一緒に教会から逃げ続けた。誰も殺したりしなかった。人間の血は、ナナの仲間が流してくれた輸血のパックからすこしずつ飲んで、命をつないだ。
隠れ家でふたりぼっち、いろんな話をした。吸血鬼になる前の話も、なってからの話も、なにもかも。ナナは、私の相棒だった。
そして生きる意味だった。
いつだってナナと一緒だった。一緒じゃなかったのは、ナナがナナの仲間のもとに輸血パックを取りに行く、たった数時間だけだった。寂しさを隠せない私に、ナナはいつもおまじないのように、あたたかな言葉をかけてくれていた。

「シロ、好きよ。じゃあ、行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」

無償の愛にも似た愛が気恥ずかしくて、私はナナに好きだ、と返すことができないままだった。かえってきたらおかえり、とあわせて好き、だなんて言ってみようか、なんて思いながらも、ずっと、ずっと。その代わり、ナナの好きな花を飾っておいて、気づいたナナが笑うのを、楽しみにしていた。その日も、ナナが出て行ったあとにこっそりと、セントポーリアの花を摘みに外に出た。
腕いっぱいに花を摘んで、それから家に帰ろうと家路を辿り―――

そこで、ナナの頭を見つけた。
思わずばさり、と落とした花に埋もれた顔は、いっそ微笑んでいるように見えた。
首から下の体さえあれば、まるで眠っているかのようだった。

「ナナ」

答えはない。

「ナナ…?」

首は何かに噛みちぎられたかのような、形をしていた。大きな歯型だった。私をあの夜襲った吸血鬼も、こんな口をしていただろうか。私の頭は、水をかけられたかのように冷静なままだった。全身の感覚が鋭く研ぎ澄まされてゆくような心地に、今までなりをひそめていた自分の中の鬼が目覚めたことを知った。
ナナと一緒にいたから、私は私でいられたけれど、ナナがいなかったら私はただの、怪物だ。

だから、ナナの心臓を、返してもらおう。
ナナの身体を、取り戻しに行かなくちゃ。

ナナの頭を抱いて、飛んだ。ナナについた血の匂いが、ナナを殺した相手の元へと導いてくれる。
香りの糸をたどりながら、走る。走る。全く息も切れないし、疲れることもない。
だから、私は殺されないとならないんだ。だって、私は人を殺せてしまう。今ならどんなふうにだって、手を出せる。
青目の吸血鬼たちが、一団となって、何かを貪り食っていた。
ナナの体だった。だって、ナナのブレスレットが、打ち捨てられている。心臓は、もう動いていなかった。まるごと、肋骨に包まれて眠っていた。
思わず心臓に手を伸ばした。

「お前、」
「餌だ!」
「のこのことやってきた」

「心臓、返して」

有象無象の声など聞こえない。大動脈をそっと切って、ナナの身体を守り続けた命を手中に収めた。何か言いながら、叫びながら、襲ってくる吸血鬼は、振り払えばそれだけで、命を落としてゆく。何もしていない。ただ、払い除けただけ。それだけでも、脆弱な組織があっけなく崩れ落ちてゆくのが肌で感じられた。
いつの間にか泣いていた。頬が冷たくて、首筋に落ちる涙が気味悪くて、泣きながら、辺りを見回すと、濃厚な死の匂いに包まれたそこには、最早生きている者の姿はなかった。

「ナナ、ごめんね。体、ダメだった。間に合わなかった。私…心臓だけしか、心臓だけじゃ、生きられない、ね」

ナナの頭と、心臓。
でも、私が好きだったナナには、到底足りていなかった。あの笑顔も、優しい手も、この世界のどこにも、在りはしない。軋み捩れるように痛む胸に、彼女を強く強く抱きしめた。

「あなたがいない世界なんて、なんの意味もないのに…!」



***

ナナを亡くしてから、私は積極的に外へと出るようになった。
ナナのもとに、ゆくために。
けれど、青目の吸血鬼も、金眼の吸血鬼も、誰ひとり、私を殺すことができなかった。
理由は簡単だ。殺してしまいたくなくて逃げる私と、私を殺そうと追う彼らの鬼ごっこで、どうしても負けられなかったから。ナナを守れなかった私ごと殺して欲しいのに、あの日のように腕を振るったら、きっと彼らを殺してしまう。
強くなんてなりたくなかった。赤い目なんてだいきらいだった。
強くなんてなってしまったから、殺されることができないんだ。

日に日に、私を追う吸血鬼は増えてゆく。私を殺せない吸血鬼が増えてゆく。
絶望的な日々の中で、とうとう見つけた吸血鬼は、聖職者だった。鋭い武器を持って、私の前に現れた。

「やっと見つけた。…動かないほうがいいわよ、狙いが外れたら大変」
「…あなた、私についてこられるの?」
「…は?」

いつものように撒いてしまえ、とやる気なく地を蹴った私の前に、彼女は息も乱さず華麗に着地した。私よりもずっと早かった。久しぶりに、死の恐怖を感じる。あれだけ殺されたかったはずなのに、それがいざ目の前にあると、背が冷たくなる。

「…あなたが、助けてくれるの?」
「……助けるのではない、教会の命令に従い、殺すの。悪く思わないで」
「………教会の代行者、聖職者、アマリ。貴女を私、知っていたわ」
「赤目の吸血鬼、追うものを煙に撒く"シロ"。奇遇だわ。私も知っていた」
「私、本気で逃げるわ。…だから、お願い」
「本気で逃げようが何をしようが、私は忠実に目的を果たすのみ」
「殺して」
「殺すわ」

跳ねる。舞う。腕を振って、飛び上がって、逃げて、吸血鬼になってから初めて、思い切り動いた。逃げた。逃げた。逃げて、逃げて、逃げて、殺してしまうことを恐れずに、全てを振り絞るかのように、逃げ惑った。建物の壁を蹴って、ロングヘアを靡かせ一歩も遅れず追ってくる吸血鬼から逃げ続けた。
その胸に、銀色のナイフが突き刺さるまで。

さくり、と突き刺さった其れは、存外心地が良い冷たさを帯びていた。自分の体から流れ出す血液は、漸くの解放を喜ぶかのように、勢いよく波打っていた。かあ、っと熱くなった背中に、ナナの温度を感じる。それは、私の幻想だったのかもしれないけれど。

「ナナ、ナナ、私、ねえ、やっと会える―――」

はあはあ、と息を荒げながら、彼女は衣の裾をぱん、と払った。酷く消耗させたようだった。私だってもう一歩も動けない。情けなく首を差し出すのではなく、一生懸命戦った末の結末だから、これなら許してもらえるはずだ。後を追ったりしていない。必死に、これでも必死に生き続けてきた。

「アマリ、」

彼女は任務を遂行しただけだ。ただ、それが私にとっての幸福であっただけで、彼女にとっては、息の詰まるような仕事に違いない。人を殺さなければならないなんて。

ありがとう、なんて言葉は、良くないわ。
彼女自身の救いには、きっと、なり得ない。

だけど、あなたは、その衣にたがわぬ聖職者。
あなたは吸血鬼として裁いたのではなく、聖職者として導いてくれた。
最期までもがいた私を、鮮烈な泉下へと届けてくれた。

どうか、どうか。
彼女の泣きそうな顔が、綻ぶ日が訪れますように。
学生だった頃の私、―――が、稚拙ながら、神様に願いを込めて祈ります。

暗転。遠ざかってゆく足音の先に、どうか―――

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