★小説 | ナノ


―やあ、こんにちは! これから、君を別の世界に跳ばすよ。

 聞き覚えのない、不思議な声が響く。

―そうだ、初回だから難易度は低い方がいいね。あちらの君はヤグー飼いだ。ヤグーは15匹。いざとなったら売ってもいいし、誰かに譲ってもいい。あとは1ヶ月分くらいのあちらの通貨をあげよう。そうそう、あちらの細かい慣習に合わせるのは大変だろうから、別の大陸出身で記憶喪失ってことにしておいてあげよう。他にはないかな? それじゃあ、いってらっしゃい!

 一方的に喋るだけ喋り、不思議な声は聞こえなくなった。代わりに聞こえてきたのは、小鳥の声や風が葉を揺らす音、そしてメエエという鳴き声だった。
 目を開けると、気持ちの良い青空に白い雲が浮かんでいた。体を起こすとそこは広々とした野原であり、植物は皆これから来る夏に向けて、精一杯緑を濃くしていた。
 その緑を思い思いの場所で食べている白い生き物、あれがヤグーだろう。豚に羊の毛を巻きつけ、角を生やしたような姿をしている。時折思い出したようにメエエと鳴き、うつらうつらしている奴もいる。

 呆然とその光景を眺める。見渡せども野原とヤグー。少し遠くに森が見え、さらに遠くには頂を霞む山が悠然と佇んでいた。

「ここは一体?」

 シンヤはまるっきり混乱していたかというと、そんなことはなかった。見たことのない風景に動揺こそしたが、正気を失いはしなかった。シンヤ自身、どうにでもなれという気持ちで家を飛び出してきたわけで、今がどういう状況でも割と平気そうである。
 周囲を見渡し、さしあたって危険は無さそうだと判断する。立ち上がって体に異常はないか確かめ、大きく伸びをした。既にそこまで冷静に振る舞えることに、一番驚いていたのはシンヤ自身であった。苦笑いを浮かべ、片手で顔を覆う。そして大きくため息をついた。





「なしたんだいリッター? ぼーっとしてェ」
「んー? なんでもないよ、母さん」

 リッターと呼ばれた青年は、井戸から水を汲み上げていた。
 鍋に水を入れ、火を付けようとしたところで薪がないことに気が付く。

「母さん、薪拾いにいってきます」
「はい、はい。気をつけてね」

 籠を背負い、森に出掛ける。
 十分に拾ったところで、少し離れたところから聞き慣れない鳴き声が聞こえてきた。なんだろう、と耳を澄ますと、メエエという鳴き声。もしかして、と声のした方に行くと、思った通り一匹のヤグーの姿があった。
 リッターは心底驚いていた。ヤグーなどという高級な家畜を生で見たのは生まれて初めてだったのだ。捕まえて売れば、リッターの住む村で考えれば半年は楽に過ごせる額が手に入る。
 いやそんなことは泥棒だ。絶対に飼い主がいるはずで、こんなところにいるのははぐれたからのはず。飼い主に届けなくては。そう、届けるために捕まえるんだ。
 自分に言い聞かせ、確か角を掴めば楽に捕まえられるはずだと、ヤグーの背後から角に手を伸ばした。
 角を掴んだ途端、ヤグーが暴れ出し、大きく首を振り始めた。

「うわっ?! こいつ!? こら大人しくしろ!!」
「メエエエエ!!」
「この…!」

「あっ?! いた!!」

 ヤグーの鳴き声が響く中格闘していると突然背後から人の声が聞こえてきた。驚いて振り向くと、リッターと同じ年頃の青年が走り寄ってきた。

「捕まえてくれてありがとう。探してたんだ」

 真ん中分けのその青年はリッターにお礼を言った。なんでも、作った柵を越えて行ってしまったらしい。話から察するに、ヤグーの飼い主だろう。相手は、リッターが善意で捕まえてくれたと思っているようなので、決して嘘ではないため特に訂正はしなかった。






[back]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -