episode.6


 202号室の鍵はなぜか開いていた。鍵、ちゃんと閉めたはずなのに。
 今朝の記憶を探す。大門さんとの待ち合わせの前。電車に乗るまでの道筋。あれ、おかしいな。思い出せない。

 ハイとはいえどまだティーンなのに、もう老化の症状が!?

 とにかく、泥棒にでも入られていたら大変だ。私は急いで扉を開けた。

「……だれか、いる」

 短い廊下の先。正面のワンルームの奥。壁にもたれるようにして、足を投げ出し、うつむいて、誰かが座っている。
 暗闇の中でぼんやり光る、金色の髪。小さな体。

 あれは……あの姿は確か……確か、私の?

「あまつかい、くん……?」

 私の、テンシだ。

「ただいま、天使」

 天使くんに駆け寄ろうとした私の腕を掴み、大門さんが笑った。

 天使くん、動かない。声を掛ければすぐに、どうしたんですかって、エンジェルスマイルを向けてくれるはずの天使くんが、全然動かない。胸の奥がざわざわして、とてもよくないことが起こっているような気がした。

「離してください、大門さん!」
「柊さ、忘れてただろ」
「えっ……」

 強い力でぐいと引っ張られて、ううん、それだけが理由じゃないけど、大門さんに捕まった私は動けない。

「ヒトは忘れる生き物だ。それを責めてるわけじゃない。それでいいんだよ」

 大門さんのことを忘れないって言ったばかりなのに、私は、もう一人のお隣りさん……大切な天使くんのことを、忘れていた。
 何か言えるわけがない。

「なつきさんから……、離れろ……」

 天使くんの頭が持ち上がった。ああ、よかった。

「オレを非力なテンシだと思ったら、大間違いだ」

 そちらを見ると、天使くんは腕を伸ばし、何かを構えていた。天使くんの羽みたいに光る、何か。
 構え方は銃に似ていた。

「破壊のテンシの羽根か。なるほど」

 大門さんの声は楽しそうだった。くつくつと笑っている。
 でも、どうして大門さんがテンシのことを知っているの?

「だけど残念だったな、天使。もう遅い。柊の『初恋』は俺のものだ」

 天使くんの構えた何かから光が放出されるのと、大門さんが動いたのはほぼ同時に見えた。拡散するような光の欠片をすべて避けて、大門さんは私に口付けた。

 視界が端のほうから暗くなって、意識は宙へ浮かぶように、体から離れていく。大門さんのキスは続く。
 まぶたを閉じたら、もう、私というものは溶けてなくなってしまうかもしれない。ううん、世界がなくなってしまうのかも。でも、それも悪くないよ。

 ああ、どうしてかな。
 幸せな気持ちでいっぱいなのに、どうして、奥から、切なさがにじんでくるんだろう。


 記憶の向こう側で、彼女がそっと、微笑んでいた。



 つづく

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