ココアを 飲みながら 眼鏡が曇るから、という理由で、私の作ったココアは彼に飲んでもらえない。 震える歯で舌を千切りにでもしそうな季節、冷え込んだ部屋。暖房がまわるまでのしのぎにとせっかく用意したのに、まったく失礼な話である。 ちゃぶ台に並ぶ二つのマグカップ。ゆ、ゆ、ゆらありと立ち昇った湯気が、すううっと消える様を見ている。仕方がない。北極から氷を仕入れよう。 まるで立て付けの悪い何かみたいにぎくしゃくぎくしゃく、骨を擦り合わせて、北極へ向かった。ずうんとそびえる四角い箱の一番下、氷はごろごろ転がっている。スコップで二つばかりすくい、彼のもとへ。 「殿下」 「なあに」 「北極から極上の氷を持ってきました」 飛沫を立てないように、慎重に慎重に、両方のマグカップへ氷を落とす。とぽん、たぽん、しばらく浮いて、のろりと溶けた。 「どうぞ」 それなりに湯気の収まったマグカップを、すすっと押し出す。 「どうも」 彼は気のない返事をして、マグカップを持ち上げた。赤茶色のまろやかそうな面がゆらありと波打ったとき、ふと、思いつく。 「眼鏡はずして飲めばいいんじゃ……」 「なにか言った?」 骨を折ったかいあって、ようやくココアに口を付けてくれた彼が、にいと笑った。まさにひやりとして押し黙ると、彼はマグカップを置いて、ふうっと息を吐いた。暖まり始めた部屋では、息に色はつかない。 「おいしいよ。ありがとう」 不器用な感想とお礼を聞いてから、私もココアを飲んだけれど、それはどうにもうすくてまずかった。氷でうすまることを考えて作ればよかったなあとか、ぶつぶつ考えながら、二口め。うすい。 いまだ冷たい手足にぬくもりをと、生ぬるいマグカップを抱えたまま、ぼへえとしていた。私たち二人は、用事が済んでしまうと、それぞれぼへえとしていることが多い。こういう時間を一緒に過ごすことができるから、結構、彼のことが好きだった。 マグカップに残っていたなけなしの温かさがどこかへ消え失せていく中、彼はまた何口か、ココアを飲んだ。曇らない眼鏡を見つめていると、ぱちり、目があった。 ぼへえタイム終了。 「なんか渋い顔してるね」 「指先が冷たい」 「冷え性だっけ」 「熱を寄越せー」 マグカップをちゃぶ台に戻してにじり寄れば、彼は「ん」と言いながら左手を差し出してくれた。あやかるような気持ちを忘れずに、両手でそうっと触れる。 少し無骨だけど、温かい。人の肌独特の、やさしい熱さ。 同じように外から帰ってきて、暖め途中の部屋にいて、ぬるいココアを飲んだのに、どうして彼だけが温かいのやら。 完全に力を抜いているらしい左手をもにもにしながら考える。もにもに。もにもに。 ぼへえタイム突入。 「……ぬるくなってきた」 手のひらと手のひらで彼の左手をぺったりとサンドしたまま、私はつぶやいた。ぼへえとしていた彼がちょっとだけこっちを見る。 「じゃあもういい?」 返事をする前に左手を引っ込められてしまった。 まさに手持ち無沙汰となった両方の手のひらは、彼の左手をサンドした形を保ちながら、不格好に浮いている。仕方がないから、手と手を絡めて、ぎゅうっと、祈るように固める。最初よりは随分よくなった。 熱心に手を組み合わせていると、彼の手元にあった空のマグカップがふうらふうらと揺れ始めた。取っ手のところに指を引っかけて、ふうらふうら、揺らす彼。 「ココア……」 「ん?」 「ココア、作って」 殿下はおかわりを所望しているらしい。 部屋も暖まり、間接もスムーズに動くようになったので、私はマグカップを受け取って立ち上がった。一杯めと同じように二杯めを作り、持っていく。 あ、しまった。湯気を立ち昇らせるマグカップをちゃぶ台に置いたとき、重大なことに気が付いた。 「濃く作るのを忘れていた」 「ん?」 マグカップに手を伸ばした彼の生返事。 「ココア。氷を入れると、うすくなるから」 中を覗き込んで、微妙に眉根を寄せたこと、知っている。その眼鏡が微妙に白く曇ったことも。 のっそりと、彼は北極へ向かった。のそのそ、がらがら、氷をすくう。 「うすいのは構わないんだ。眼鏡が曇るのが問題なんだ」 北極から帰ってきた彼は、音も立てずに、マグカップへ氷を滑らせた。 「あの、だから、はずせば……」 溶けて、小さく、沈むように姿をなくす一粒の氷。無計画にうすまったココア。まずいココア。 湯気の収まるタイミングを見計らって、彼は、それを飲む。ぐい、と。口から離したマグカップの中身はとろんと波打ち、内側に跡をつけた。 「うん。おいしい」 おいしいわけなかろうと、呆れそうになったけど、なんだかぼへえとしてしまった。 うすいココアを飲みながら、彼は仕切りにおいしい、おいしいと繰り返していた。 top |