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 風が吹いた。
 手にしたカッターナイフのスライダーに指を当てて、刃をチキチキ鳴かせながらホルダー部分から押し上げていたワタシは、その動きをぴたりと止める。開いた窓に掛かったカーテンがふんわりとふくらみ、時にぱたぱたと揺れた。風は断続的に吹いている。
 カッターナイフで木の椅子を切り付けて、また、その刃をカチカチ鳴かせながら、今度はホルダーにしまいこんだ。

「なんだよ。キミにはわからないよ」

 百均で買った、いわゆる「折る刃」式のカッターナイフ。切れ味は悪い。トモダチにはよく、刃を折ったほうがいいよと言われる。
 ワタシはもてあそぶようにカッターナイフの刃を出し入れした。
 チキチキ、カチカチ、チキチキ、カチカチ、チキチキ、カチカチ、チキチキ、カチカチ、チキチキ。
 輝きを失った鈍色の刃に指の先を当てると、断続的だった風が一際強くなり、カーテンを吹き飛ばした。思わず目をつぶる。ワタシの長い前髪も後ろへ流れて、カーテンみたいにふんわりと元の位置へ戻った。

「わからなくちゃいけないことは、他にあるよ」

 耳の奥と言うよりは頭の端に声が跳ねる。それが脳に染み渡れば、前にはぼんやりとした白い文字が並んだ。二度、三度、響く。
 わざわざ言葉にした理由や、八つ当たりに返された意味、ふりをしているジブン。すべて肯定しているくせに、表面では否定すること。
 鼻のてっぺんが痛くなった。まつげが湿る。目頭がじんわりする。
 これが本当のジブンであること。それは潜在的にわかっている。

「ボクはキミがスキだよ」

 いつものように、力を入れた眉間を撫でる。光に透かされた赤色が見えたなら、それは真っ暗とは言えない。手にしたカッターナイフのホルダーは確かな感触としてそこにある。風は胸に空いた穴を通らない。胸に空いた穴なんてない。それはリストバンドの下に傷がないことと同じ。
 開けた視界にはふんわりふくらむカーテンと、切り付けた木の椅子、ワタシの長い前髪があった。

「……ワタシはキミをアイしたいよ」

 つぶやいた。
 風を抱きしめたってキミが現れるわけじゃないけど、セカイが無くなるわけじゃないけど、だけどちょっとだけ、キミやセカイに触れられる気がした。刃こぼれしたカッターナイフも、リストバンドも、白い文字も、すべて抱きしめている気になれた。
 風が吹くたび、ワタシは風に包まれる。風が吹くたび、ワタシは風を抱きしめる。





魚の耳」さん提出(2011年12月/風が吹いた。)


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