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 人が空なんか見上げているときは、たいてい、ろくなことを考えていないときだ、と、オレは思う。
 だって、空なんか、何も考えずに見上げるか? 首が疲れるのに。そこにあるのはただの青色で、違いがあるとしたら、雲があるかないかくらいだ。飛行機が飛んでいるときは別だけど、今日の空だっていつもとそんなに変わらない。晴れていることはいいけど、観察できるような雲もなくて、つまらない。
 ひゅん、ひゅん、ひゅひゅっ、ばしっ、と、音が鳴る。何回めかわからない鈍い音。オレは肩に乗せていた頭を首で支えるほうに切り替えて、正面を見た。
 髪の毛を高いところで二つに結んだ女の子がなわとびのなわを握ってうつむいている。膝上までしかないズボンから出した足が赤くなっていた。とろいから、また、引っ掛かったんだ。
「無理だよ」
 きっと、目にいっぱい涙をためて、痛みをがまんしているんだろうな。オレはそう思って、そいつに声を掛けた。
「そんなことない……」
 そいつは情けないほど弱々しく、オレの言葉に反抗した。
「無理だよ。お前にはやぶさ跳びなんかできっこないよ」
「そんなことない!」
 そいつはなわを握り直して、跳び始めた。ひゅん、ひゅん、ひゅん、と、なわは小気味よく空を切る。だけど、オレは知っている。この後はいつも、ひゅひゅっ、ばしっ、だ。
 草地と砂利の敷かれた地面が半々に広がる公園のすみで、やっぱり、ひゅひゅっ、ばしっ、は響いた。やつの足はなわに引っ掛かり、はやぶさ跳びなんかできない。
「なあ、オレ、帰ってもいい?」
「だめ! 私が跳べるまで帰っちゃだめ!」
「そんなの、夜になっちゃうよ。あきらめて帰ろうぜ」
「いや……」
 女の子は頭を横に振る。髪の毛がばさばさ揺れた。
「シュウくんにできるなら、私にだって、できるもん!」
「オレにできてもお前にはできないの。無理なの。わかる?」
「わか、わかんないよ……」
「お前はピアノひけるけどオレはひけないのと一緒。オレははやぶさ跳びできるけどお前はできないの」
「でも、シュウくんの友達はみんな、はやぶさ跳びできるでしょ?」
 何を言っても引かないやつにいらいらし始めたオレは、その手からなわを引ったくった。
「だーかーらー、とろいお前には無理なんだってば! ほら、帰るぞ」
 歩き出そうと思ってつんのめる。
「返して!」
 叫んだ女の子がなわを引っ張ったのだ。こいつはかわいい顔をしているらしいから、男子には人気らしいけど、そういうやつらはこいつがすごくがんこだってことを知らないんだ。
 頭にかーっと血がのぼったオレはなわを投げ付けた。なわは女の子の足にばしっと当たった。
「オレだっていらねーよ! 勝手にやってろっ」
 オレは女の子とけんか別れをした。その日はぜったい、仲直りなんかするもんか、あいつなんか知らない、と思いながら眠った。


 風が吹いた。
 オレは屋上の塔屋の上に寝そべって空を見上げていた。眠りの入り口に立ち、うろうろしているうちに、幼いころの記憶を辿っていたらしい。働きの鈍い頭に、あの日の空模様が浮かぶ。それはいま見ている空と重なった。秋だったんだな、と、思った。
 ああほら、やっぱり、ろくなことを考えていない。
 むくりと体を起こせば、隣接した高校の屋上に見知った人の姿を見つけて、息が詰まった。かぶったニット帽を少し前にずらすと、下方から声が聞こえた。
「無理だよ」
 誰か確かめなくてもわかるけど、オレは立ち上がって屋上を見下ろした。
「シュウには無理」
 セーラー服のスカーフと、あのころより少し伸びた髪の毛を風になびかせ、腐れ縁の幼なじみはオレを睨み上げていた。
「無理じゃねーよ。決め付けんな」
「あんなかわいい人があんたを好きになると思う? 無理だよ」
 見透かしたような目で、呆れたような口振りで、あのころのオレもそんなふうに、言ったのか。それならこいつがキレた理由も、まったくわからないということもない。
 そんな幼なじみは、オレの知らない間に、はやぶさ跳びをマスターしていたけど。
 こいつはいまでも顔だけはかわいいらしいから、男子には相変わらず人気がある。頑固は健在。最悪なことに、その上、性格がひねくれた。
「ほら、もう昼休みは終わり。教室へ行きましょう」
「余計なお世話だっつってんだろ」
「だから無理だと言うの。わかる?」
「はあ?」
「鈍いあんたには無理なの」
 秋空を映した目でそう言い捨てて、腐れ縁の幼なじみは視界から消えた。
 ばたん、という仰々しい音を立てて、恐らく、屋内へ繋がる鉄の扉が閉まった。足元に響いた震動の向こう、あいつのしゃんとした背中が見えた気がした。

 あのときのあいつは、はやぶさ跳びを習得し、それをオレに見せびらかした。誰に教わったのか、手首のスナップをうまく利かせて、ひゅん、ひゅん、ひゅひゅん、ひゅひゅん、と、空を裂き、跳んだ。
 あいつは、自分の言いたいことすべてを、その得意顔に詰めて跳んでいた。それはぶれたりしない直球で、本当にストレートで、オレは何も言えなかった。何かを言いたい気分にならなかった。
 あいつはそれを覚えているだろうか。忘れてなんかいないだろうな。それならやっぱり、オレの台詞は変わらない。
「無理だよ」
 それを証明したのは他でもない、あいつだったのだから。
 オレは今日のこの空を覚えておくために、ずらしたニット帽を元の位置に戻して、頭を肩に乗せた。観察できるような雲のない、高い高い、見事な秋晴れだった。



魚の耳」さん提出(2011年10月/again)
title:DOGOD69


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