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 きらきらを振りまいて回るメリーゴーラウンド。星の溶けた夜空の下、ライトアップされただけのアトラクションが人工的に輝く。愉快な音楽を流して、作り物の白馬は走っていた。

「夏彦(なつひこ)ー!」

 楽しそうな声。俺はメリーゴーラウンドの周りに張り巡らされた鉄の柵にもたれながら、年甲斐もなくはしゃぐ香織(かおり)を見ていた。

 ぐるぐる、ぐるぐる、回転木馬。

 こちらにぶんぶん手を振る成人女性、あれが俺の恋人の香織だ。つやつやと光を跳ね返す無機質な白馬の首に抱き付き(取手は付いているのに無視しているらしい)、子供のようにキャッキャと騒ぐ。こんな奇天烈なやつ、一生忘れられるわけないだろうなあ。
 彼女が見えなくなると、俺はその視線を腕時計に移した。ガラスのカバーが光を反射して、時計盤がうまく確認できない。でも、直に閉園時間のはずだ。三回も連続であの白馬に笑顔を向けている彼女をそろそろ引き剥がさなければならない。

「夏彦ー!」

 回転する床の上、また現われた香織は、飽きもせずに俺の名前を呼ぶ。正直言うと恥ずかしいから止めてほしいんだけど、楽しそうな姿に毒気を抜かれて言葉も溶けてしまうのだ。軽く手を振って応えると、彼女の笑顔はより一層輝いた。

 馬の走る速さが落ちていく。上下運動も遅くなり、彼女以外は誰も客のいない遊具は、完全に動きを止めた。

「おーい、香織。そろそろ閉園だぞー」

 ……。反応がない。

 不思議に思って鉄の柵を乗り越えると、彼女は俺から見えない位置で支柱に背を預けて座り込んでいた。ぽんぽん頭を叩いてやる。

「香織、帰るぞ」
「……やだ」
「はあ?」
「やだ、帰りたくない。私ずっと乗ってる」
「お前な、幾つだと思ってんだよ。もう23だろ?」
「やだ。夏彦も乗るの」
「乗らねえよ。明日から仕事もあるんだぞ」
「……いやだよう」

 すると、あろうことか、彼女はボロボロ泣き出してしまった。
 俺は言っていいことと悪いことの判断はできるし、人の心も気遣えるから黙っているけど、引いた。ドン引きだ。
 何を甘えてやがる、この女。

「いや、だ、やだ、うう」
「分かったよ、話聞く。だから、まず立て。移動するぞ」
「うええん」

 よく、恋は盲目だとか言うけど、俺は彼女を完璧な人間だと思っていないし、思えないし、その盲目期間は三年前に過ぎてしまっている。今は冷静に、お互いの気持ちはプラスでもマイナスでもきちんと伝えられる仲だ。魔法のような時間は過ぎたけど、俺たちは好き合って仲良くやってる。
 べそべそする香織を近くのベンチに座らせ、背中を擦ってやった。

「で、いきなり何」
「うう、お腹減ったあ」
「帰ってから軽食作ってやるよ。本題に入れ馬鹿」
「うー」

 彼女はもごもごと言い淀み、こちらを見ようとしない。

「香織」

 泣きじゃくる彼女は、俺にはあまり理解できないような変なことを考えたりする。自分の思ったことで勝手に悲哀を覚える、正真正銘の馬鹿だ。それは現実じゃないのに。起こるかどうかも分からないのに。

「だって、だって終わっちゃうんだよ? 今、すごく幸せなのに、もうおしまいなんだよ。まだ此所にいたいよ、変わらないまま此所にいたいよ」

 案の定、訳の分からないことを言い始めた。多分、飛躍してる。何かを伝えたいって気持ちは、分かるような、分からないような、とても曖昧な雰囲気が運んでくる。気持ちすべてを理解するなんて恐らくできないけど、それでも理解したいような気はした。
 だから、胸にストンと落ちてきた言葉だけを口にする。

「俺は嫌だな」

 幸せなのに終わるとか、何の話かさっぱりだ。このまま此所にいるのも、無理に決まってる。
 遊園地には開園時間と閉園時間がある。定休日もある。それにだ。日が昇るなら、いつかそれは必ず沈むもので、そうじゃないと俺たちは眠れもしないし、起きられない。きっと、歩き続けたら足が痛くなる。座り込んでいたら尻が痛くなる。それでも休めない、そういうふうになってしまうだろうから、やっぱり此所からは離れなくちゃならないんだと思う。

 不安そうに睫毛を湿らせている香織。ゆらゆら揺れる瞳の光が綺麗だった。

「お前、忘れられたりしないよ。きっと」

 香織が何を怖がってるのか想像も付かないけど、羨ましいという気持ちは俺の口から勝手に出てしまっていた。もしかしなくても、感化されたんだな。情けない。ここは俺がパッと明るく振る舞って、香織のほうを励ますべきところだったのに。
 吐き出したのは弱音みたいなものだった。

 彼女は、不思議そうな顔付きで、かくんと首をかしげた。飛躍してるのはどちらも同じか……。

「どうして?」
「香織は、どれだけ時間が経っても、忘れられそうにないくらい変人だよなって話」
「そうなの?」
「少なくとも俺にとってはな」
「……」

 柄にもなく、場を和ませるためにハハッと笑ってみたのに、香織はかしげた首を元に戻すと黙り込んでしまった。このタイミングでスルースキルを発動する必要はないだろう、何だよ、こいつ。

 しばらくして。

「私がどれだけ変わっても忘れない?」

 走らない木馬たちをぼんやり視界に収めていると、隣りに座った、少女のようなひとは確かめるように尋ねてきた。変わるはずないのに、変わるだとか、意味の分からないことを言うのが彼女の十八番である。
 動かない人工的な光が辺りを照らす。まぶしくて、ずっと眺めているのはつらかった。

 答える代わりに頭をぐしゃぐしゃ撫でてやる。艶のある黒髪がイルミネーションの光で輝いた。

「……うん。私もずっと夏彦のこと忘れないから、平気だね」

 ぽつり、香織はくすぐったそうな顔でつぶやく。

「こんなに付き合ってくれた人、いないもの。よし、夏彦が嫌なら私も歩く」

 にへっと笑った彼女は、やはり成人した女性なんかには見えなかった。
 まだあどけないけれど、さっきみたいに世界を拒むような様子は無くて。表情の違いを事細かに説明しろと言われても、できないだろうけど、俺は彼女の笑顔に「違う何か」を確かに覚えたのだ。

 チカチカまばゆいメリーゴーラウンドに乗っていたとき、降りたとき、そして泣き出したときとは確実に違う、何か。

「じゃ、行こ。帰ったら夏彦が夜食作ってくれるし、明日もお仕事あるし」

 吹っ切れたとかいうのでも無くて、だけど、引きずっているふうでもない。

 さっきの会話のどこが彼女の元気スイッチを押したのかは知らないが、彼女自身は復活したらしいのでそれはそれで良しとしよう。
 立ち上がった香織に腕を引っ張られ、俺たちはもたつきながら遊園地をあとにした。

 メリーゴーラウンドの光が、星空に溶けた。


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