+++ | ナノ

 

 貴方の名前は何だと問うたとき、其の人は愛想など知らぬ顔でカラスだと答えました。そのあと私も自分の紹介をしたら、ふうんと一言、相槌を打ってくださいました。其れから私はカラスの元へ通うようになったのです。
 カラスは何時も薄暗い路地裏にいました。私が其処へ初めて迷い込んだ日もそうでしたが、カラスは何時も独りで立っていて、紙煙草を吹かしているのです。短くなった紙煙草は地面に落として幾らか踏みつぶしたあと、携帯用の灰皿というものにしまうのが常でした。一通りの作業が終わりますと、カラスはシガレットケースを取り出し、また紙煙草を銜えるのです。
 何故其の様な毒物を好んで吸うのだと尋ねてみましたら、カラスは一度口から紙煙草を離して、濛々と煙った視界の向こうで寂しいからだと云いました。煙が晴れると、カラスはやはり無愛想な様子で紙煙草を吹かしています。何と云ったのだと訊いても黙ったままでありました。
 カラスは非常に情の厚い男でした。私を見て厭そうな顔をしますのに、追い払うことはせず、怠慢な印象を受けますが、私の話にきちんと相槌を打ってくれるのです。私は此の寡黙な男を好きになりました。
 春になれば団子を片手に会いに行きました。夏が薫ればラムネを持って行きました。秋が来れば紅葉を手一杯土産にしました。冬に入れば外套を二人分運びました。路地裏のカラスは何れも無言で受け取ってくれました。
 何時しかカラスは私の名を呼ぶようになりました。私がカラスを訪ねると、幾許か表情を和らげるようにもなりました。カラスは煙草を止めました。
 季節が巡りました。幾度も幾度も、巡りました。光陰矢の如しと二人でくすりと笑いました。
 其れはほんの数日前の事でしたのに、カラスは私の世界からいなくなってしまいました。カラスは紙煙草のように灰になりました。私は其れを微かに吸ったような気がします。
 私は彼の遺した紙煙草に火を点けて銜えました。薄暗い路地裏で其れを吹かしました。
 幾分経つと、私の元に少年が訪れるようになりました。其の少年は私に問いました。貴女の名前は何だと問いました。
 私はカラスだと答えました。
 


top
 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -