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思い出す


 一人の「患者」が一人の「医者」とどろどろの泥沼にはまり、躍起になって「愛」を思い出していた頃。
 女はスーパーで食材を選びながら、彼との出会いを思い返していた。

 もうどうにでもなれとばかりに飲みまくり、泥酔し、道端で泣きながら眠っていたところを彼に見つけられたのが最初だった。優しい目をした彼は穏やかで、女はすぐに彼のことを好きになった。そうだ。あれはきっと間違いなく「恋」だった。
 彼はどこまでも優しかった。女の「入院生活」はそう長くは続かなかったけれど、それでも彼女はそのとき初めて自分というものを認められた気がしたのだ。ここにいてもいいのだと、ここで生きていても構わないのだいう許しを得られた気がした。
 しかし、彼と過ごすうちにわかったことがある。彼の優しさは人を救うものであるけれど、それと同時に人を堕落させるものでもある、ということだ。
 彼との生活はぬるま湯に浸かっているかのように心地良く、女はうっかり風邪を引きそうになった。けれど、彼の危うさにきちんと気付いていた彼女が、そんな生活を続けることはなかった。
 女は確かに彼のことが好きだった。だからこそ、彼女は「退院」の道を選んだのである。
 彼のことを好きだというのなら自分がしっかりするべきだ、彼に甘えて自分に甘えてどうしようもない関係になってはいけないと、自制した。
 ベッドが一つきりのあの部屋に彼を残すことは気掛かりだったし、あのどろどろに甘い生活を手放すことには恐怖もあった。何せ彼はどうしても誰かを救う「医者」でありたいようだったから、彼の求める「患者」をやめてしまえば、自分は興味の対象から外れる。女はそれが怖かった。
 だけど。でも。だからこそ?
 「退院」してからも足繁く彼の元に通い続けた女が彼女を見たときに、言い知れない感情が膨らんでしまったのは仕方がないことだったのかもしれない。
 痩せっぽちの彼女はその瞳に侮蔑の色をたたえて、女を見下していた。

 スーパーの袋を両手に下げて川沿いを歩く女は、何とかしてあの「患者」の素性を探ろうと考えていた。彼が拾ってきたというからには恐らく彼女もまたどこかおかしなところがあるのだろう。しかし、彼女がもし彼から与えられる「治療」を欲していたとしても、女にそれを認めることはできなかった。
 無償に思えるそれは、本当は無償ではないから。それと引き換えにするものがどんなに危ういものか、女にはわかっていたから。
 それに、救いたがりの彼は、救われるべき側の人でもあるということを、女はよく知っていたから。

 アパートが見えてきた。
 女は気が付く。
 遠目に見える彼の姿。あの部屋の主であるはずの彼もまた、どこかからあのアパートへ帰ってこようとしているところだった。
 距離があったこともあり、あえて声は掛けなかった。追い返されるなら追い返されるで、あの部屋の前まで行かなくてはならないと思っていたから。
 せめて、あの女の子の様子を見ておきたい。
 そう考えただけだった。

 それがまさか、血相を変えて飛び出してきた彼とぶつかることになろうとは、思いもせずに。


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