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 うん、と思う。ね、とぼくを見上げてくる彼女は、失敗した笑顔みたいなものを浮かべていた。
 空はいつものように曇っていた。小さい頃に見た青空や、太陽の記憶がぼんやりと思い出される。

 あの頃は色々なものがきれいだったと母に言うと、母は決まって、私の子供の頃のほうがもっときれいだったと言った。そう返されるたびにぼくは、わかってないなあと思った。だけど、そんなことを考えるぼくも、きっとわかっていなかったのだろうと思う。

 音もなく降ってくる灰色の雪。触れたら毒だとわかっているのに、彼女はまるで童女のようにそれに触れて、また、笑うのに失敗した。

 泣きたいなら泣けばいいのに、とか、無理して笑わなくていいよ、とか。弱いぼくはそんなことを言えない。誰かを傷付けるのが怖いぼくは、どんな言葉が人を傷付けるのかわからないから、口を利くことすらできなくなっていた。
 そんな態度そのものが誰かを傷付けるってことも、知っていたのに。

 ぼくは醜い。人の痛みを受け入れられずに、一人で殻にこもって、心の中で泣いて。こうやって自分を責めて、罪を償った気になっている。誰かに咎められることが恐ろしくて、何を言われても耐えられるように、先回りをして予防線を張っているんだ。

 彼女はそんなぼくを、わかっていたんじゃないかと思う。
 何も言わない弱いぼくを、何も言えないくらい自尊心の高いぼくを、こんなに面倒なぼくを。わかっていて、そばにいてくれた。そんな醜さを不真面目なふりで隠していた、こんな、ぼくの、そばで。
 きみは、よかったの?

 だだっ広い場所。
 防護スーツもなく、一歩だって動けないぼくらは、真綿で首を締めるように、ゆるりと欠片になっていく。
 茶色の草原。乾いた硬い大地に熱はなく、降る雪は地面にぶつかってぱらっと砕けた。

 そういうので一緒にいるんじゃないよ。

 いつかのきみの声が、聞こえた気がした。もらったぼくの息が詰まるくらい、うれしかった言葉だ。なんて陳腐で、なんて普遍的な言葉なんだろう。静かに打ち震えていたぼくは、そのうれしささえ、素直に伝えられなかったけれど。
 きみはよかったの、なんて、そんなことを聞いたら。あの日のことなんて覚えていないはずのきみなのに、きっと同じように返してくれるんだろう。

 雪は、ぼくたちを覆い隠すように降ってくる。日が暮れるころには物言わぬ雪だるまになっているかもしれない。

 彼女の言葉に、ぼくはまだ返事をしていない。目も、合わせられないでいる。

 雪。灰色の雪。ぼくの幼い頃に降っていた雪は、真っ白で、きれいだった。滅多に降らなかったから、なんだか特別なものみたいで、価値があるもののように感じていたんだ。
 だけど、今は。

 ね、いい日だね。なんて。誰がそんな嘘みたいな言葉を信じるだろう。
 もうすぐぼくたちは、この世界からいなくなってしまうのに。世界の、最後の日なのに。
 誰がそんな、嘘みたいなものを信じるんだろう。
 誰がそんな泣きそうな顔を笑顔だと信じるんだろう。

 こんな最後までぼくは情けないままなのか。こんな最後まで。彼女を傷付けるんじゃないかって、怖がっている。

 ね、いい日だね。
 うん、そうだね。

 開いた口から、言葉は出てこない。
 頑なな心から、ぼくはまだ出られないまま。

 信じられたら、いいのに。
 彼女のことも、彼女が信じてくれている自分自身のことも。その、優しい言葉と笑顔を。
 嘘だって構わないんだ。本当だって関係ないんだ。大切なのはそんなことじゃない。大切なのは、そんなことじゃなくて。
 でも、わかっていても、言葉にしたり行動したりしなければ、わかってもらえるわけがない。

 頬に触れた雪が、溶けて、伝った。ぽたりと落ちる。
 彼女が目を見開いて、また、下手くそな笑顔を作った。そして、ね、と言う。ぼくはそれがまるで最後の言葉のように聞こえてしまって、だから、何か言わなくちゃと始まりの音を探した。

 ね。ね、って、どんな音なの?
 臆病なぼくは、聞くことも怖くてたまらなくて、強張った。
 強くないぼくは、その言葉をただ真似して口にしようとした。

「……ね、」

 思っていたよりもしゃがれていて、悲惨な声が出てしまった。
 それ以上しゃべれない気がした。今度こそもう二度と。そうなる前に。何か、言わなくちゃ。

「いい日だ、ね」

 そうして同じ言葉を返したぼくの弱さを。
 彼女はそのまま受け入れて、すべて許してくれたような気がした。

 ね、と、ぼくを見上げて、うれしそうに笑った。

 そのとき初めて、わかったような気がしたんだ。絡まっていた気持ちがその一言でほどけて、ひんやりとした粘土みたいな心を少し抉った。
 雪に価値があるんじゃなかった。誰かと雪遊びをしたことに、意味があったんだ。
 そういうことだったんだ。

 欠片になっていくぼくたちは、枯れた草原で一人ぼっちだった。でも、一人ぼっちでも、二人いた。確かに二人いたんだ。
 ぼくたちどうしたってすべては分かり合えないだろうけど。その記憶は、確かに同じものを見ていたっていう記憶は、同じ場所にいたっていう記憶は、ぼくたちのものだから。間違いなく、ぼくと彼女の思い出だから。

 この雪は積もるだろうか。積もるのなら、ぼくたち雪遊びをしよう。ね、と、笑い合って、手の中で溶けていく特別で体温を感じよう。


 ね、いい日だった、よね。


title:DOGOD69



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