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蝉の鳴き声と子供の笑い声、茹だるような暑さ。頬を伝う汗を何度も拭い、公園を駆け回る子供達をぼんやりと眺めていた。どれくらいこうしていただろう。座っているベンチは木陰になっているが、しかしそろそろ限界だった。鳴き声も、笑い声も、暑さも、ぐるぐると胸の中で渦巻く何かも、全てが限界だった。

「銀時」

涼しげな声だ。唐突に名前を呼ばれ顔を上げると、彼は一つも汗をかかず無表情で自分の前に立っていた。
鳴き声も、笑い声も、暑さも、胸の中で乱れる何かも、全てが消えた。










「…、」

夢見が悪い。異様なまでに高鳴る心臓に対して、呼吸は可笑しな程平坦なものだった。深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。そっと身体を起こすと、あの日と同じように汗をかいていることに気付いた。ぐっと眉根を寄せて汗を拭った。

「どうしたの、…大丈夫?」

しかし隣で声をかけてくるのは彼ではない。心配そうな表情を浮かべながら優しく背中を撫でてくる彼女を暫く見つめていると、自然と笑みが漏れた。彼女の優しさに対する笑みだとか、安心した笑みなどではない、ただの自嘲だった。

「おー。起こしてごめんな」

さらりと流れる彼女の黒い髪が、嫌に眩しく見えた。









「おい、知ってるか」

大学の食堂でカレーをつついていると、向かいに高杉が腰をかけた。主語がない言葉に眉を寄せてそちらに顔を向けると、高杉は同じカレーに卵を落としてぐちゃぐちゃと掻き混ぜていた。

「うわ、混ぜ方が女の扱い方と一緒」
「土方が学校の同級生と付き合いだしたらしいぜ」

皮肉を無視して高杉は事もなげにさらりと告げた。一瞬、時が止まった。

「付き合いだした?」
「らしいな。まあ俺も聞いた話だけどな」
「…へぇ」

カレーが喉に詰まりかけた。

「てめえと別れてから誰とも付き合ってなかったのになぁ。もうてめえのことなんざふっきれたってことだな」

ぼんやりと目の前の皿を見つめる。不敵に笑っていた高杉は、途端真顔になって短く息をついた。

「いい加減、前を見ろ」









土方に別れを告げられたのは、三年前、高校三年生の夏の終わりだった。
その日は酷く暑い日だった。呼び出された公園のベンチで座っていると、蝉の鳴き声や子供の笑い声が嫌に耳に響いていたのをよく覚えている。そんな喧騒の中、土方は汗一つかかずに表情無くやって来た。無表情ではあったが、その表情からは静かな決意が見て取れた。

土方と付き合いだしたのは高校二年生の丁度この時期だった。
夏休みの補習が終わった誰も居ない教室で、土方は小さく、しかし強い口調で好きだと呟いた。伝えるだけ伝えると、土方は泣きそうな表情で一度だけこちらを見て、俯いた。唐突に愛おしさが込み上げて来て、考えるより先に土方を抱き寄せた。
人を愛するということを教えてくれた。愛することがどれ程幸せなことか教えてくれた。人への本当の愛情を教えてくれた。土方が自分の全てになった。何の確証も無いのに、この先ずっと一緒に居るのだろうと当たり前の様に思っていた。今思えば、甚だ阿呆である。幸せを感じること、ただの自己満足だった。
結局は自分のことしか考えていなかった。

男同士で、誰にも相談出来ず、未来に明確な確信もない。そんな先の知れない暗い闇の中で、土方は藻掻いていた。土方は、綺麗だった。見た目は勿論だが、心が、感情が美しかった。そんな土方に、こんな恋愛は酷以外の何物でもなかった。最初に好きだと伝えたことも、きっと自分の不毛な感情に終わりを告げる為だったのだろう。そのはずが、俺は土方の想いを受け入れた。尚更辛かっただろうと思う。例え一時の間愛し合えたとしても、終わりは来るのだからと、土方は見切りをつけていた。生憎脳天気な自分はそんな思慮は無く、土方を愛せるという自分だけの幸せにただ毎日浸っていただけだった。
どれ程辛かっただろうか。などと今更考えた所で意味のないことで、別れた今も好きだということも、最早どうしようもないことだった。









今日も今日とてバイトが終わり、帰途に着く。携帯には彼女からのメールがあり、文末には好きだよと綴られている。俺もだよと返す気には到底なれそうにもなかった。このまま家に帰る気にもなれず、少し風にあたろうと近くの公園に立ち寄った。今日は幾分涼しい夜だった。
月が綺麗だ。顔を空にあげたままベンチに腰掛けようと歩を進めると、先客がいた。背格好から男であることは何と無く分かったが、月明かりに照らされた黒い髪を見てそっと目を閉じた。

「土方」

土方は静かに振り返った。








「何やってんだ、てめえ」

土方は大して驚いた風もなくそう言って、手に持った煙草を口元にあてた。

「お前こそ、何やってんの。ここらに住んでんの?」
「いや…、」
「…ああ、彼女?」

苦笑しながら言うと、土方は少し目を丸くしてから同じく苦笑してみせた。

「知ってたのか」
「高杉から聞いたんだよ」
「…あいつ何でも知ってんな」

視線を地面に落として、僅かばかり呆れたように呟く。そっと隣に腰掛けると、土方は地面を見つめたまま再度続けた。

「お前も、彼女いるんだろ」
「まあな。仲良くやってるよ」

まだお前のこと好きだけど。
そう言える訳もなく、言葉を飲み込む。
土方は薄く口を開いて、そのまま止まった。そのまま静かに目を伏せる土方を、ただ見つめた。

「悪かったな」

はっきりとした声音だった。はっとして、しかし訳が分からず隣に顔を向けると、土方は緩く笑っていた。
煙草を地面に落として、足先で潰す。最後にきゅっと口元を引き締めて、呆然とする俺を尻目に土方は立ち上がった。

「じゃあ、またな」

酷く暑い日で、公園のベンチで座っていると、蝉の鳴き声や子供の笑い声が耳に響いていたのをよく覚えている。そんな周囲の喧騒の中、土方は静かに別れを告げた。その目には僅かに潤んでいた気がした。あの夏の日が思い出される。土方の泣きそうな無表情、声、言葉。全てが鮮明に、脳裏に焼き付いて離れない。
目の前がカッとなった。足にぐっと力を込めて、立ち上がる。力強く掌を握る。公園を出て行こうとする土方の背中向けて、気付けば腹の底から叫んでいた。

「違えよ!ふざけんな!俺はお前に会えて嬉しかった!お前に会って色々知った!お前を愛せて幸せだった!お前がいたから今の俺があるんだよ!」

今でも愛してるんだよ。
言えなかった。嗚咽しそうになった。目頭が熱くなって、でも伝えなくてはならないことがあって、必死に眉根を寄せた。

「だから…っ、悪かったじゃねえよ!ありがとうだ馬鹿野郎!」



土方は静かに泣いて、笑った。
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