NY解放200周年記念――かつてヘルサレムズ・ロットと呼ばれた霧にのまれた異界の街が消滅して、200年。NYでは毎年はしゃいだパレードが2日2晩行われ、最終日の3日目には、散らかりまくった街中を全員で掃除して終わる。
 200周年の今年は盛大な祭りとなった。そしてその祭りの片づけの日にすら、ダニエル警部補は殺人事件の捜査に追われていた。くそったれ、とスラングが口から飛び出す。
 とはいえ、事件自体はすぐに解決した。問題は、容疑者の一人でありながら事件に関係なかった男だ。

 尋問室で、男はぼーっと何もすることもなくどこかを眺めている。どこから見ても、イケメンで高身長、さびれたパイプ椅子に座っているのにそのままポスターにでもなりそうな伊達男だ。頬に走る醜い傷が、よりいっそう男の美を引き立てる。
「ほんっとに何も覚えてねえのか」
「困ったことに、さっぱり」
 ダニエルは頭をかかえた。拾ってくるんじゃなかった、と。ただし殺人現場、死体のすぐ近くで寝こけていたこの男を、野放しにするという選択肢は端からなかったので考えるだけ無駄な話だ。
「おい誰か記憶喪失ってググれ」
「警部補まるなげしないでくださいよー」
「いやぁすみませんね」
 泣きそうな新米に比べ、飄々としたこの態度である。ダニエルからすれば、なんとも殴りたくなる男だった。
 そのときちょうど入口のあたりから女性がやって来た。金髪でグラマラス、いい女だ。記憶喪失の傷男をみてまっすぐこっちに向かってくる。
「あーすみませんミス、一般人は奥へは入れませんよ」
「ジョン! 私よジョン!」
「はい? ジョンさん?」
 制止もおしのけて、女性は涙をうかべまっすぐ傷男に抱きついた。
「えーっと、お知り合いですかね?」
「婚約者です!」
 現場でパトカーに乗せられるのをみていたと言う。どこかぼんやりとした様子だった上に、現場にいたやじうまが記憶喪失だと言っていて慌てて追ってきたらしい。
 あっさりと解決しそうな気配に、ダニエルが傷男を見れば、男のほうも女性を抱きしめ返して泣いていた。
「……お前」
 覚えてるのか?
 傷の男は一度ダニエルをみて、また女性の肩に顔をうずめた。
「わからない。なんでかな、涙が出てくるんだ」
 覚えてないはずなのに、そういってほろほろと涙をこぼす男に、署内がみな涙腺を潤ませた。新米警部はいい事件だ、と号泣する。
「あーまぁ解決ならそれでいいか。ジョンさん?」
 一件落着、というときだった。
「ぐしゅん!」
「やだジョン、大丈夫?」
「ぐしゅ!……ぐしゅんっぐしゅん!」
 明らかに様子がおかしくなったジョンに、女性刑事たちがティッシュをさしだしたり水を差しだしている。感動一色だった署内の空気がどこかおかしくなる。
 ダニエルは女性に近づくと、彼女の服についていた茶色い毛をつまみとった。
「えーっと、ミス、もしかして猫でも飼っています?」
「ええ10匹ほど」
「ジョンさんはどうも猫アレルギーのようですが」
 署内一同、「えっどういうこと?」とクエスチョンを飛ばす。女性だけがキリっと眉を跳ねさせてダニエルを睨んだ。信じ切っていたポリスの面々よりも、嘘をついた本人のほうが察しがいい。
「知らないわよそんなこと!」


 つまり、彼女は婚約者でもなんでもない。
 たまたま見かけたイケメンの傷男(しかもイケメン)とお近づきになりたくて、嘘をでっちあげていただけだった。


 女性にはおかえりいただいて、一同みんな肩をおとした。振り出しに戻ったどころか、もはやドン引きだった。騙されきった新米は、世の無常さに打ち震え、女性陣は「まぁわからなくもないけどねー、いややっぱり理解できないわー」なんて言う。
 がっくり落ち込んだ傷の男にダニエルは肩をたたいてやった。
「どっかに本物の恋人がいるさ」
「なぜそんなことがわかるんだ」
「そんだけイケメンで、あんた首にキスマークつけてるからだよ」
「……まるで運命の相手探しだな」
 匙を投げた空気になっているなか、しょうがねぇなぁと呟いてダニエルは書類を一枚差し出した。何回以上の警告で罰金されるだとか、72時間は拘留できるだとか、そういう基本的な同意書だ。
「まぁこれ頼むわ」
 男は長ったらしい文面を上から下まで目で読むと、一番下にある欄にさっとボールペンを走らせた。記名欄である。
「あぁ!」
 新米刑事はびっくりして声をあげた。記憶喪失だったはずの男は、きっちり迷わず自分の名前をサインして見せたのだ。
「テレビで見た技だが、使えるなコレ」
 記憶には二種類ある。陳述的記憶と、手続き記憶。つまり脳みそで覚えるものと、体で覚えるものだ。普段頭で考えずにやっていることっていうのは手続き記憶。サインはこれに当てはまる。
「ジョンさんじゃねえなぁ。あんたはスティーブン・A・スターフェイズさんだ」
 鮮やか、と仲間から拍手を送られるなかダニエルは鼻を鳴らした。

 名前が分かればそこから芋づる式に分かっていった。勤め先、住所。それからはもう事務的な手続きだった。会社に連絡を入れ、彼を自宅マンションへ送る。
 中からはひょっこりエプロンをつけた少年がでてきた。ブルネットのくせ毛、近眼なのか目は光彩が見えないほど細められている。
 ダニエルは手順通りに少年に警察手帳を見せる。
「警察!? スティーブンさんに何か!?」
 ダニエルと横のスティーブンを交互に見ながら、慌てた様子で顔を真っ青にした。それに違う違うと訂正をいれる。
「えーっと、君は?」
「スティーブンさんの家政夫です。何かあったんですか? 昨日家に帰ってなかったみたいだし……」
 ダニエルはざっと記憶喪失であること、事件性は見られないことを説明して、あとは少年に任せることにした。雇い主が記憶喪失と聞いてショックな顔をしていたが、年の割にしっかりしている。一応確認したが身内にも連絡できるらしい。家政夫ならスティーブンの衣食住を世話できるし、ある程度の情報をもっているだろう。
 病院につれていくように、と釘をさしてマンションを後にした。NYは平和じゃない。犯人どころか病人まで構う暇を警察は持ち合わせていないので。


 家政夫の少年はレオナルドと名乗った。
 用意された夕食をつつきながらスティーブンは署でのことを一通り話した。特に書類で名前が分かったくだりはレオナルドも興奮に声を上げて、実際にスティーブンにサインをねだった。流れるように書かれたそれを、レオナルドは大事そうに指でなぞった。
 そしてレオナルドもスティーブンの知る限りのことを教えた。どんな仕事をして、夜が遅くなることが多かったこと。双子の弟にスティーブンが仕送りしていること。親友のこと。
「弟かぁ」
「ザップ君とツェッド君っていうんですよ。久々に連絡をとってください」
「緊張するし、親友の方が先がいいなぁ」
「クラウスさんですね。気まずいようでしたら僕から週末の予定でも聞いてみます」
 食後、ワインを開けながらスティーブンは迷うように視線をさまよわせて、やはり我慢できずにレオナルドに尋ねた。
「僕の恋人は?」
「……えっと、僕スティーブンさんに恋人がいたことすら知らなくて」
 レオナルドはまるで自分も傷ついてるような顔でうつむいて、スティーブンは気落ちした。あの、婚約者だと名乗った女性を抱きしめた時に感じた安堵。
 自分は一人ではなかったという安心感は、おそらく家族や親友でも安心感はえられるだろう。けれどスティーブンはどうしても恋人に会いたかった。彼女は全く違うのだとわかった途端、顔も知らない相手に身を焦がすような喪失感と愛しさが溢れてきた。
 ワインを掲げて、スティーブンは歌うように口から言葉を滑らせる。
「Here’s looking at you」
「え? なんです?」
「乾杯の合図だよ」
「あなたをみているって?」
「君さては英語圏の出じゃないだろ。意訳すると、君の瞳に乾杯、ってね。決まり文句だよ、相手を見つめていうセリフさ」
 いつか恋人がみつかったときに言うんだ、と呟けば切なさに胸が締め付けられる。恋人の瞳をみつめながら、彼女と出会えたことを祝いたい。
「じゃあ今日は僕がいいます。スティーブンさんの瞳に乾杯」
「まじか」
「はい、あなたが帰ってきてくれて安心しました。おかえりなさいスティーブンさん」
 少しだけ寂しそうな音をのせるレオナルドに、スティーブンはワインを注いでやった。署にいたときと違い1人ではないのだ。自分を知ってる彼がいれば、何もわからなくても希望はどこにでもある気がした。




 スティーブンは仕事もすぐ覚えなおし、記憶がないままではあるが問題なく生活していた。日中はレオナルドも家の掃除をし、いままでと変わらない生活を送っている。
 ベッドメイキングをした後、レオナルドはエプロンのポケットからチカチカ点灯している携帯を取り出した。留守電が入っているのをみて、慣れない動作で再生する。
『スティーヴィー。どうして急に連絡をくれなくなったの? 電話にもでてくれないし』
『ねぇ私何かしちゃったかしら。この前まで普通だったじゃない』
『おねがいよ、話会いましょう。まだ貴方が好きなの』
『別れたくないわ』
 もう一度再生する場合は、1を。消去する場合は、2を。機械音にしたがってレオナルドは2を押した。そのまま何事もなかったようにポケットに戻してしまう。
 女性がスティーヴィー、と呼ぶように、携帯はスティーブンのものだった。
 けれど、とレオナルドは思う。電話の主は、スティーブンの恋人ではない。


 だって彼は、書類に『スティーブン・A・スターフェイズ』と署名した。


 “今生”の彼にAのミドルネームは付随しない。確かにスティーブン・スターフェイズは一時期は彼女と恋人だったかもしれない。でも、Aを掲げるスティーブンはもう彼女の恋人ではない。
 レオナルドが携帯のメッセージを消すのはもう3度目だったし、彼に携帯を返すつもりもない。もうじき彼は“なくした”携帯を解約して新しいものを作る手はずになっている。
 罪悪感はない。

 だって、“記憶のない”スティーブンを先に奪ったのは彼女の方だ。
「あの人は、俺の恋人だよ」
 うすく開いたレオナルドの目は、湖のようなアイスブルーだ。生まれ変わって、芸術品と呼ばれた神々の義眼はもう埋まっていない。
 NY解放200周年記念――かつてヘルサレムズ・ロットと呼ばれた霧にのまれた異界の街が消滅して、200年。
 レオナルドは200年越しに恋人を取り戻しただけだ。



150819

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