ダイナーの客たちには顔見知りが多い。常連は常連を覚えるもので、誰がどの椅子に座るのかもだいたい頭にある。
 レオナルド・ウォッチは、間違いなく顔を覚えられている常連の一人だった。日頃通い詰めていることに加えて、よく目立つからだ。
 彼の見た目は貧弱な少年でしかない。もう少し気を配ればと思うようなスウェットの上下がますます、若さだけを誇る十代といった印象を与える。
 ただしこのヘルサレムズ・ロットにそんな普通の少年は珍しい。しかも、レオナルドはビヨンドと連れ立っていることがある。
 ダイナーを父親と切り盛りしているビビアン女史からは、いいやつだなぁという評価をもらう反面で、どうにも倦厭されているような気配もあった。
 きっと、なにかにつけてネタを引っ掛けてしまうからだろう。しかしダイナーの客である限り、店員はきっちり対応してくれる。ビビアンはそこそこ客の扱いがザルだが、プロ意識は高い。
 そんな彼女は、カウンター席に一人で座るレオナルドの前に、どすんと大きなバーガーを置いた。
「……ん」
「あれ? ビビアンさん、これ注文してないですよ」
「ん」
 ビビアンは父親の口調そっくりな相槌で、バーガーの皿の端を指さした。そこには名詞サイズの小さな折り畳みカードが付いている。
 うんざりしたような棒読みで看板娘は店の一角を指さした。
「あちらのお客様からでーす」
 ちらっと確認すると、まったく初対面のビヨンドがレオナルドにお辞儀をした。反射的に礼をかえしてから、遠慮なくハンバーガーにかぶりつく。
 おかわり自由のコーヒーで空腹を誤魔化す日もある少年にとっては、一食タダになるのはありがたい。それを知っているビビアンも小さな溜息をついて、一応とばかりに小声で心配の声をかけた。
「ナンパ、自分で断って、ダメそうだったら親父も助けてくれるからな」
 そこでようやくカードの中に目を通すと、レオナルドはビヨンドに近寄って二言三言話をして戻ってきた。カウンターの向こうで目をぱちくりさせているビビアンに軽く説明だけする。
「ナンパじゃなかったですよ。研究させてくれって話で」
「はぁ? もっとナンパよりやばいな、それ」
「はぁ、そうですね。この時期はどうしようもないというか、よくあることです」
「なんじゃそりゃ」
「僕オメガ種で、今ちょうど発情期なんです。彼らの中には匂いでわかっちゃうタイプの人がいるみたいなんすよね」
「……発情期って、なに、今そうなのか? レオー、無理すんなよ。平気なもんなの?」
「うーん、ちょっと熱っぽかったり情緒不安定ぎみにはなりますけど、それくらいですよ。僕には番の夫もいるし」
「あぁそうなんだ」
 プロの店員らしい引き際のよさに、胸の内で関心した。9割がベータ種、希少種のアルファ、そしてオメガは断トツの希少種だ。アルファとオメガはベータ種とは異なる性質をいくつか持つから、根掘り葉掘り聞こうとする相手もいる。
 アルファとオメガの間で番関係ができると、発情期のオメガから出るフェロモンの匂いは本来番相手にしか分からないはずだ。それを嗅ぎ取ってしまうビヨンドがいるのは少々恥ずかしいことでもあった。
 レオナルドはHLにきて、『今生理中なの?』と言われる女性の気持ちが非常によくわかるようになった。
 家に帰ってから番のアルファにそのことを話すと、彼は酷く不機嫌になった。
「じゃあ、僕以外が君の匂いを知ってるっていうのか?」
「そんなん言ったら、出会う前に知り合ったアルファみんながそうでしょ。あとあちこちの美女にフェロモン振りまきまくったスティーブンさんには言われたくねーです」
「僕だって君と会う前のことだろ! 昔のことはしょうがないからいいんだよ、嫌なのは今現在のことさ」
 そう言われても、匂いが知られてしまうことは、レオナルドにはどうしようもできない。嫉妬深いパートナーを、うっとうしさ半分、嬉しさ半分で見つめる。
 スティーブンがレオナルドと番になったのは、彼曰く合理性に基づく判断らしい。結婚する気がない、子供を持つ気がない、いつかさっぱり死んでしまおうと考えて居たらしいアルファは、突然部下になったオメガにとんでもなく困った。
 アルファは強者として、弱者であるオメガに庇護欲が働くようになっている。それなのにレオナルドは毎朝事務所に来るたびに怪我を増やす。金をとられる。カモになりそうな貧弱なチビが、スティーブンにはか弱くて可憐に見えてしまう。
 三月に一度は発情期がやってきて、フェロモンに当てられるとムラムラとさせられる。
 なにより、オメガが他のアルファや――ベータとでさえも――親密そうな様子をみると精神的に不安定になる。
 こうも振り回されるのならば、いっそ手に入れてしまえ。と、彼はうなじを噛んで番になる決意をした。
 いくらアルファはオメガに惚れやすい性質だからって、本能に引っ張られすぎている。スティーブンはよほどオメガに免疫がなかったのだろうという。レオナルドは呆れたが、実のところ、オメガとの恋愛遍歴はそれなりにあるらしい。
 であるのに、なぜレオナルドには生活をかき乱されるほど影響をうけたのかというと、そのあたりは無自覚らしい。
 今ではすっかりアルファらしくメロメロになってしまっている。
「なぁ、レオ。マーキングさせてくれよ」
「……準備できてるんですか?」
 スティーブンは、さっきまでの苛立ちを捨てて、うきうきと寝室へレオナルドを引っ張っていった。
 部屋の前で一度咳ばらいをしたあと、そっと扉を開いて「準備」のお披露目をする。いつものクイーンサイズのベッドの真上からレースが釣られ、円錐状の天蓋が付けられていた。白い繊細な布は、部屋の床にまで広がり、花弁が散りばめられている。スティーブンはベッドサイドに暖色の小さな明かりをともし、クラシックを流し始めた。
「本と、DVDも用意したし、ゲームは――僕ができないから嫌だ。二人で明日一日ここで過ごそう。食べ物も作り置きした」
 レオナルドはしばらく部屋の内装を鑑定して、妹なら喜びそうな部屋だと思った。レオナルドの発情期に合わせて、一日と言わず数日はこの愛の巣にこもって過ごせる算段になる。
 オメガをベッドへ呼ぶ巣としては、上出来だろう。
 けれどレオナルドはくるりと向きを変えてリビングに戻った。
「レオ!」
 追いかけているスティーブンを置いて、ソファに陣取る。小さな少年なら寝そべっても足がでない幅広のサイズだ。明かりに背を向けるように横になる。
「今日はここで寝ます」
「レオナルド、なぁあの巣じゃだめなのか」
「全然だめです」
「僕はもういい加減君とセックスしたいよ! どういう巣をつくれば満足するんだ! せっかくの発情期なのに!」
 しばらく文句をいっていたパートナーは、大人しく毛布を持ってきてくれた。ヘルサレムズ・ロットは霧で太陽を遮断する。夜の気温はぐっと下がる。
 ソファにいる番にかけてくれるかと思ったら、狭いスペースに潜り込んできた。
「うわっ狭い!」
「いいから。ほら君が上に乗って」
 横並びはできないし、体格差と筋肉差を考慮してスティーブンが下敷きになる。毛布で折り重なった二人を包み込む。十分ほどで部屋の照明も自動で落ちた。
 暗くなった室内で、レオナルドは肩までの毛布を頭の上までひっぱりあげる。
「スティーブンさん」
「……なに」
「あ、起きててよかった」
 吐息でくすぐるような笑い声を漏らした少年が、身動きのとりにくいなか首をのばしてキスをした。
「こういう巣なら、好きですよ。僕」
「なに?」
「あぁいう可愛いのはちょっと苦手です」
 ぐいっと抱きしめられながら、スティーブンが二人分まとめて体を起こす。
「いいのか」
「正直、ムラムラしっぱなしで待ち遠しかったです」
 慌てたように服に手をかけた夫を静止して、1つ注文をつける。
「服はあんたが、先に脱いで。ねぇ、僕を誘うときは、次から裸でベッドで待っててください」
 花嫁のドレスみたいなレースも、散らばった花も、ムーディーなピアノの戦慄も、何もいらなかった。それは巣には不要なものだ。
「僕、あんたがいればそれでいいんですよ」

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