レオナルドは逃げていた。人混みを抜けて信号でつまるようだったらルートを変えてとにかく足を動かし続ける。何度かもつれかけて、ガラの悪い異界人にぶつかったりもしたが、たかられるよりも前に振り切るように走る。
 走り続けてうわずる息の合間に、レオナルドはうわごとを呟く。
「クラっ……クラウス、さんに……」
 言わなきゃ。

 さっきレオナルドがみたもの。昼間は人が少ない居住区の一角、そのうえゴミ箱と室外機ばかりがあるひっそりと隠れているような細い裏路地。そこにスティーブンがいた。
 レオナルドは朝からいつも通りアルバイトで配達をしていた。ピザ屋は比較的シフトの都合もついてライブラとの時間の折り合いもうまいこと着く。一店舗が隕石なんかで潰れても別の支店へ異動をさせてもらったりロングスパンで勤めることができている。
 レオナルドがそんな配達のさなかにスティーブンと出会ったのは、近くの通りにランブレッタを停め置いて常連のお客さんの部屋までピザを届けた帰りだった。あまり通らない路地裏に入ったのは、チャックが中途半端に閉まってなかったポシェットから小銭が転がり落ちたから。
 金額が合わなければバイト代から倍額が引かれてしまう。貧乏人には1ゼーロだって惜しい。
 円形の硬化がころころと薄暗い先へ進むのを、レオナルドの目は見失うことがない。
「こら、まてまて」
 表通りから完全に見えない位置にくると、ひやりと馴染みのある冷気がレオナルドの足首をくすぐった。身の回りで急激に気温が変わることはよくあることだ。
 クラウスが血法で闘えば場所がどこだろうが真夏の気温になるし、スティーブンが闘えば真冬の気温になる。
 そしていま感じているのは冷たい空気。冷気は重く下に沈む。少し先から這うように漂ってきていた。
 彼が街中で技を使うなんて珍しい。ただの違和感というよりは、もはや予感に近い。嫌な気配がしている。
 それでも一歩踏み込んでしまったのは、彼を仲間だと思っていたからだ。高潔ともいえるクラウスの親友であり、レオナルドにとっては頼りになる上司。レオナルドを助けることはしないが、自分でなんとかできるように解決策を提案してくれる。守られるばかりなんて後ろめたいから、彼のそういうところが好ましかった。

「これから君の身に降りかかることは僕だって本意じゃないんだよ。痛いことって辛いだろ?」
 聞こえてきた声は間違いなくスティーブンのものだったが、内容は不穏だった。
 先に振り向いたのは、スティーブンの後ろに控えていたローブで体を隠した黒ずくめの大柄な男だった。
 次に奥で凍えている女性がレオナルドを見つける。何度か見たことある顔だった。レオナルドの知り合いではなく、スティーブンと楽しそうに話している姿を配達中に見かけたことがある。
 僅かな時差をもって、スティーブンが勢いよく振り向いた。左側から振り向いたのが悪かったのだろうか。目の下に走る傷が、いつも気にしていなかったのに今日はひどく怖く感じた。いつも圧力をかけてくる垂れ目が、暗い色でレオナルドを睨みつけて、すこしばかり見開かれる。
「あ、僕」
 レオナルドは考えるよりも先に逃げていた。
 怖い敵には何度となく対面してきたが、いつもなら心強い仲間がいて、闘うための理由があった。世界のためなんてレオナルドは言うつもりはない。希望をくれたクラウスに少しでも報いたくて、仲間として少しでも役にたちたくて、理不尽に身を晒す友達のために、ミシェーラの涙のために。
 そんなものがひとつもない今、レオナルドは恐怖にかられて小鹿のように逃げている。
「くそっ、くそ!」
 走りながら悪態をつく。スティーブンが怖かった。レオナルドは自分でも気づかないままスティーブンを今までの“敵”と並べて考えていた。もはや仲間として見れていない。
 彼に勝てるみこみなんてレオナルドにはない。誰を頼ればいいかもわからない。スティーブンが何をしていたところで、誰がレオナルドの味方になってくれるだろう。
 ライブラのボスはクラウスでも、きりもりしているのはスティーブンだ。スティーブンに悪態をついてばかりのK・Kだって、彼に友情を持ってるのは皆知ってる。
 レオナルドはそこに混じり込んだ異物にしかすぎないのに。
「クラ……ス、さん」
 クラウスなら、事実を見極めてくれるだろうか。
「うっわ!」
 力が入らなくなっていた足が絡み合って、自分の足に蹴つまづいてもんどりうった。
 慌てて建物の影にかくれて様子を見るが、スティーブンはいない。彼の後ろ控えていた数人の男たちもいない。
 レオナルドはゴーグルをかけて義眼を展開した。遠く、遠く、スティーブンが自分を追いかけている姿を探そうと。

 最初から誰もレオナルドを追ってきていなかった。スティーブンはまだあの路地裏にいて、そこで立ちすくんでいる。まるで自分の技で足が凍りついたようだった。
 スティーブンにとってはレオナルドは異物ではない。
 スティーブンにとってライブラはクッキー缶で作った子供の宝箱に似ている。皆が羨ましがるようなぴかぴかの宝石も、他人から見たらクズみたいなガラクタも、いっしょくたに入っている。レオナルドは例えるなら、子供のころ大事にしていて薄汚れたぬいぐるみだ。きちんと缶のなかに入っている。
 レオナルドは飛び出していった。スティーブンは冷たい路地裏から呆然と一歩も動けないまま、彼はまだ。



150914

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