ハンプティダンプティの末路(水嶋)


 そう、初めから無理だったのだ。全て全て、あの人を納得させてみせるのは。

「先生」
「今は郁でいいよ」
「……郁。お水ちょうだい」
「いいよ」

 保健室のベッドってこんな軋むもんなんだ、なんて茫洋とした意識の中で思う。こんな不純なことしたの、星月先生に知られたら怒られそう。いや、怒られるどころじゃないか。先生が出張中で良かった。

「どうぞ、お姫様」
「やめてよ、そんなの」

 ベッドから起き上がり、水を受け取る。苦笑が零れる。

 保健室に入るのは案外簡単だった。先生から用事を言付かったので、鍵を貸してもらえますか、と職員室で鍵を受け取った(郁だと陽日先生にサボりかと思われるからだ)。月子は部活が忙しいからここにはこれない。「保健室の掃除するだけだから」と適当にでっち上げてきた。

 だから、私はお姫様なんかじゃない。お姫様は可愛くて純粋で、それでいて心が綺麗でなくちゃ。童話のお姫様はみんな、そうだ。

 私は好きな人に会うためならば、平気で嘘を付ける、汚い女の子だ。

 水を飲む私の横に、郁が座った。衣服は乱れがない。いつも、そう。1歩先で余裕で構えている人だ。

「郁は水、いいの?」
「うん。別に、掠れるまで声出さなかったし」
「嫌味?」
「そう聞こえたんなら、そうなんじゃない?」
「そんなの、郁のせいじゃないの」

 どうせこのままいなくなるなら、郁がいいなと思った。

 明日、教育実習の期間が終わる。

 郁はいなくなる。

 先生と生徒、いや、――もう会うこともない他人へと変わるだろう。

「ねえ。結局、勝負は僕の勝ちで良いんでしょ? 恋愛は遊び。ゲーム。それ以下でもない」
「そうだね。私はそう思わないけど。結局、『抱いて下さい』って提案したの、私だもん」
「そう。だから、僕の勝ちだ」

 私が郁に一目惚れしたのが始まり。

 告白したら、「付き合ってもいいけど、手を繋ぐ以上のことはしない」と言われた。私の事は好きじゃないけど、君は純粋な恋愛がしたいでしょ?

 じゃあ、お子様な君のために、ピュアなお付き合いをしようか、と。

 それから3ヶ月。手を繋ぐだけのお付き合い。キスはなし。何も、ない。抱き合うこともなく、どこかに出かけるわけでもなく。

 そんな淡々とした行為が嫌になって、私を好きになってもらうよう、頑張ったけれど、それは空回り。

 郁が学園からいなくなると思うと、何も貰えてない私は怖くなって、せめてこの人を愛した思い出が欲しくなって――提案した。

 私は何も出来なかった。変えれなかった。自分の欲を優先した、バカな女の子だ。

「所詮、みんなそんなもんだよ」
「そんなもんって?」
「上っ面しか見てない。口では正論を並べ立てたって、一皮剥いてみれば、みんな自分の欲の赴くまま、行動してるだけだよ」
「郁……」

 飲み干したコップをぎゅっと握る。その横顔が幼く見えて、寂しそうだった。

 過去に郁が囚われているのは、この3ヵ月間で解っていた。それを私が取り除けたなら、と願った。けれど、郁の気持ちに届かなかった。結局、事情を聞き出せないまま、私の恋は、

 死ぬんだ。

「大丈夫? 痛くない?」
「今更だよ、郁。大丈夫。痛くても、しばらくは郁のこと忘れないよ」
「そう。名前は、そういう女の子だったね」

 郁はそう言って、私の手を握った。

「……」
「いつもこうしていたから。今日の分。最後だね」
「うん」
「案外、嫌いじゃなかったよ」
「え?」

 郁の表情から何も読み取れない。本心なのか、建前なのか。嘘でもいいや、と思うのは、もう惚れてしまったせいか。末期症状だからか。

「手を繋ぐだけっていうのも」
「――うん」

 ずるいなあ。

 もし、このまま、手を繋ぐだけの関係で。郁の過去を聞き出していれば、何か変わったかな。

 私だけは違うから、と。郁の心を変えられていたかな。

 均衡を、越えてはいけないラインを作り出したのは――私だ。

 ごめんなさい。

 声に出さずに、呟く。今更遅い。

 右手が暖かい。この温もりが私から、消え去る。それは酷く怖い。でもどうにもならないことを喚いたって、何も変えられない。私はそれを知っている。

 さあ、もうお仕舞だ。そろそろ時間なんだから。

 私の初恋は、今日で終わるよ。

 震える喉で、伝えていく。

「水嶋先生、今までありがとうございました」
「一応、僕も礼を言っとくよ。ありがとう、名前ちゃん」

 手は、離された。







 制服を整えたところで、ノックの音。扉の向こうから、月子の声。

「今、行くよ」

 水嶋先生は、ちらりと私を見て、ベッドのカーテンを引いた。サボってるふりをするつもりなのだろう。

 さあ、お仕舞だ。別れの挨拶を。

「先生、さよなら」

 聞こえたのか解らない。私は反応を確認せず、扉を開ける。

 いつもの日常が舞い込む。

 あなたのいない日常が、

 ただ、3ヶ月前に戻った。

 それだけの、こと。



Fin


澪ちゃーん、リクエストありがとう!Twitterでお世話になってます。オフでもお世話になってます!これからもよろしく(`・ω・´)

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