1ミリの勇気を
もう、恋はしない。俺にそんな資格はない。きっと、この先ずっと、俺は恋をしない。
万が一そんなことがあったら――迷わず引き返せ。ずっと言い聞かせるように俺は今まで過ごしてきた。
なのに、
「琥太郎、久しぶり!」
お前を見ると揺らぐのは何でだろうな?
「……名前か?」
うとうと微睡んでいれば、保健室に響く明るい声。思うに、直獅と良い勝負じゃないだろうか。
「久しぶりだな」
「そうだね。いつもはメールか電話だけだもん」
「一瞬誰か解らなかった。……痩せたか?」
「ダイエットしました、なーんてね」
むしろ太ったんだけど、と名前は笑った。昔から変わらない笑顔。幼なじみは、――綺麗になっていた。大人っぽい雰囲気だが、その屈託のない笑顔に心なしか安らぎを覚えた。
「で、何で学校に」
「琥春さんに頼まれて、代わりの教師やるために来たの。昨日メールしたんだけど。案内よろしく、って」
欠伸を噛み殺し、ここ最近の姉との会話を思い出す。そういえば、名前は幼い頃からの教師になる夢を叶えていた。天文科の教師が病気で休むから代わりに幼なじみが来る。名前ちゃんよ、ちゃんと面倒見てあげてね。そうだ、言ってたな。
「忘れてた」
「まーったく、相変わらずだね琥太郎はさ。しかも保健室、もうちょっと綺麗に整理整頓出来ないわけ?」
まるで姑のように小言を連発してくる名前。メールや電話だけじゃ伝わらない、名前の雰囲気、話し方、息遣い、表情。懐かしくて会話が弾む。
だから、つい、嬉しくて他愛ない話題を振ったつもりだった。
「お前、ここは男ばっかりなんだぞ? 彼氏とかいないのか。心配されたりするんじゃないか」
「え……いない、よ」
僅かに名前の瞳が揺れた。
「いないよ。作らないし、今は教師の仕事が楽しいから。恋より仕事」
「そうか……」
自分に舌打ちをした。呆れた。
昔、名前から告白されたことがあった。幼なじみ故に、なかなか言い出せなかったのだと。
俺はそれを拒んだあの人を失ったばかりだったから名前を代わりに選ぶのは出来なかった。自分の心の隙間を幼なじみで代替にするのは失礼なことだと感じたのだ。
名前は、「ありがとう」と一言だけ返した。その後、特にギクシャクすることなく「幼なじみ」の関係は今も長く続いている。
今までそんな素振りを見せなかったから解らなかったが、ああ、名前はもしかして今も待ってくれているんだろうな。臆病過ぎる俺を、密かに待ってくれてるんだろうな。恋人も作らず、1人で。
急に、名前に対して懐かしさだけではなく、名前がとても愛しいという感情が芽生えた。出来ることなら、抱きしめてやりたい。ごめん、ありがとう。待たせてやってたんだな、と。
だが、過去がそれを押し留める。引き返せ、忘れるな。お前は何を誓った?
大人になったせいなのか、俺たちはその過去に触れないようにしてきた。昔なら、何でも言い合ってたくせに、これだから大人は狡いんだ。空気を読めるとかそんなんじゃない。関係が崩れるのが怖いだけだ。
また、うやむやにしてしまうんだ。答えを出さなくて後悔してるくせに。
「……琥太郎は、その様子じゃいないみたいね。まあ、男ばっかりだし当然か。あ、忙しいんだったら、案内はまたでいいや。誰か違う先生に頼んでみる。さっき会った小さい先生が良いかな。陽日先生だっけ?」
「は? おい、名前」
笑顔を絶やさない名前の手首を思わず掴み、引き止めてしまった。直獅とはいえ、他の男に案内してもらう名前を見るのが嫌だった。
俺を見る名前は戸惑っていて、少し顔を赤くしていた。
「こ、たろ?」
「いや、すまん。悪かった」
視線の先には俺が掴む名前の手。パッと離し、俺は椅子から立ち上がる。
「琥太郎、どこ行くの?」
「案内。少しくらいなら時間も取れる。行かないのか?」
「いや、そ、そりゃあ、行くに決まってるじゃん。案内、よろしく」
名前はしどろもどろだった。
許されるのだろうか、こんな俺でも――
「……好きだ」
小声で呟く俺の本心。後ろからついてくる名前は気付いていないようだ。
なあ、名前。こんな俺をまだ好きだと言ってくれるのか? 過去から未だ進めない奴だぞ?
答えはもう出てるくせに、俺はそれに気付かないふりをする。廊下を歩きながらそっと名前を振り返った。
Fin
高梨様、リクありがとうございました。切甘…?になってるんですかね(^-^;
琥太郎先生の大人な雰囲気と色気はハンパないですよね!←
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