29 幾人かの告白
東京と神奈川といっても電車やバスを使えばずいぶんと近いもので、夕日が沈みかけたころに氷帝へと着いた。
しかしいきなり校舎内へと踏み込んでいくのもためらわれ、探し当てた職員室で名簿へと名前を書く。
所属の欄に立海大附属中学と書けば、「交換学生の子?」と訊かれたりもしたが、とりあえず否定して生徒会室の場所を教えてもらう。
生徒会室に景吾がいる確証はまったくもってないけれど、私が知っている中ではそこが一番確実なのだ。
立海とはまた違う、さすがお金持ち学校といわれるだけある氷帝の校内を歩く。
いたるところに高そうな絵や壺が置かれていて、ここはどこかの美術館かと錯覚してしまう。
周りの品物に目を奪われつつも三階にたどり着けば黒いプレートに金縁の生徒会室という表札が見えた。
そしてその中から、一人の男子が難しい顔をして出てきた。
どこかで見覚えのあるその顔は、たしか全国大会の時に声を掛けてきた眼鏡の男の人だ。
私の顔を見るや否や、眼鏡の奥の目を見開いてこちらに足早に近寄ってきた。
「跡部の従姉妹さん?なんでここにおるん?」
「…景吾に話があって。生徒会室にいますか?」
「あー、まあ…おるっちゃおるけど今行くんは…」
歯切れの悪い言葉に思わず眉間にしわが寄ってしまったらしい。
そんな怖い顔せんといて、と言われて気づき、慌てて表情を取り繕う。
もしかしたら、何か別件で立て込んでいるのかもしれない。
今この人にかみついても仕方がない。
一方的に景吾を遠ざけようとしていた自分が悪いのだから、ここまで人を振り回しちゃいけない。
「えっと、じゃあ別の日に来た方がいいですね。一応景吾に私が来たこと伝えてもらっていいですか?」
「おん。それがええわ」
「離れろ!」
階段のすぐ近くにある生徒会室から突然景吾の怒鳴り声が聞こえ、思わずビクリと肩が揺れる。
久しぶりに聞いた声が怒鳴り声となると四か月前の日を思い出すようで、あまり良い思い出がない。
眼鏡の男の人も驚いたようにそちらを振り返り、それからこちらを見た。
いったい何があったのだろう。見てもいいのだろうか。
生徒会室と目の前の眼鏡の男に視線を交互に向けても、生徒会室からは何かを訴える女性の声が聞こえ、眼鏡の男は何も言わずに私を見ている。
試されているようなその視線に耐えきれず、ついに一歩を踏み出した。
心臓がバクバクしている理由はわかるつもりだ、たぶん景吾が女の人に告白をされている場面だと想像できるから。
そんな場面はあまり見たくないけれど、嫌なものから目を背けてばかりでは自分のことも周りのこともわからない。
この四か月で学んだことだ。
「一年前からあなたが好きなの、景吾」
「俺のことを下の名前で呼ぶな。そしてお前のことは知らねえ、俺は知らねえ奴のことなんざ好きにならねーよ」
「…そんな…他に好きな子でもいるの?」
「まあな」
少し開かれたドアの隙間から部屋の様子を窺えば、こちらのドアに背を向けて立っている女の子、そしてその向こうで腕を組んで立つ景吾がいた。
逆光で景吾がどんな表情をしているかわからないけれど、女の子はしきりに景吾の腕を触ろうと手を伸ばしている。
心臓が何かに掴まれているかのような感覚だけれど、この生徒会室に入っていく勇気は私にはサラサラない。
そして息をするのも忘れて二人の会話を聞いていれば、景吾には好きな子がいるのだという。
あまりにもあっさりしたその答えに景吾に訊いた女の子本人も、そして私もヘナヘナと腰が抜けてしまった。
女の子は後ろのソファへと、そして私はそのまま床へとへたり込めば、背後で聞き耳を立てていたらしい眼鏡の人が小さく笑う。
私はとうてい笑う気にはなれないんだけれど。
涙も出ない。自分の頭がまだ働き切っていないのか。
「お嬢ちゃん、そんな腰抜かしてどうしたん?」
「景吾って好きな人いるんですね…知らなかった」
「さすがの従姉妹さんも知らなかったんか、意外やわ」
景吾の好きなタイプは勝気な人、だった気がする。
興味本位でいつだか訊いた質問が、まさかこんな時を経て頭の中に響くとは思わなかった。
そしてその時に「お前も勝気っちゃ勝気だが…ねえな」と付け足された言葉も今更思い出す。
いつからだっただろう、恋愛関係の質問がしづらいなんて思ったのは。
もしかしたらその頃から、私は景吾に好意を持ち始めていたんだろうか。
残念なことに私がやっと気づいた好意は報われそうにない、けれど想っているのは自由だろう。
自分の気持ちに正直になると決めたのだから。
「ん?お嬢ちゃん?」
「でもここまで来てハイさようなら、ってわけにもいかないですしね、とりあえず思いは告げていこうと思いますよ!」
「………」
所謂「開き直り」の精神にたどり着いた私は、しっかりと自分の足で廊下を踏みしめて立ち上がる。
誰に訊かれているわけでもないのに決意表明をすれば、目の前のドアが開いて中から女の子が出てきた。
こちらをちらりとも見ずに避けるように出てきた女の子は、そのまま階段を音もなく降りていく。
さあ、次は私の番だ。
先ほどまでに見たくなかった場面なのに、あの場面を見て変に吹っ切れてしまった。
きっと今晩、頭が少しずつ理解を始めたころに、涙はやってくるのだろうけど。
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