▽ 52-あと二分
いつも笑っている人だと思う。
隣には必ず誰かがいて、何かを笑顔で話している。
自分の目の前にいたはずなのに気づいた時には別のところにいて、別の誰かと一緒にいる。
中立運営委員として全校の様子を把握する必要があるため、とても忙しい人なのだろう。
それなのに、その忙しさを感じさせない。
「あ、ナツさーん!」
「桃城さん、こんにちは。この前言ってた金魚たちはどうでしたか?」
「ああ、タカさんと見に行ってきたんすよ。写真、見ます?」
「見たいです!」
金魚すくいの屋台の中の配置を考えていたところで、彼女を偶然見つけた。
一体この人は、どれほどの記憶を持っているのだろう。
自分が一週間前に話していたことを覚えていてくれるのは、純粋にうれしい。
携帯を操作して先日とった金魚の写真を見せれば、顔中に笑みが広がった。
他校の一つ年上の先輩。
中立運営委員としていつも忙しそうで、後輩にも丁寧な敬語を使っていて、少しだけ大人びていて。
それでもこうして時折見せる表情は自分よりも年下のように見えて、色々な顔を持っている人。
熱心に金魚について興味を示すナツに、桃城は先日聞いたばかりの知識を教える。
他に誰もいないのは、個人的にラッキーだったと思う。
同じテニス部の先輩である河村は別のブースを手伝いに行くと言って一時間ほど前からいなくなっていたし、天敵である同学年の海堂はトレーニングに行っている。
もし他に人がいたなら、彼女はその人物にも同じような笑顔を向けるのだろう。
そんな姿を見ているのは、あまり好きではない。
どんどんと膨らむ独占欲を抑える術を、今はまだ知らない。
「面白い話をありがとうございました。今度誰かに金魚の知識を自慢してみます」
「金魚の話なんて普通します?」
「しますよ、きっと。いや、無理やり話題にします」
「強引っすねえ」
自分が教えた話題を、一体誰にするつもりなのだろう。
その話題でナツと誰かの話が盛り上がったらと考えると、複雑な思いだ。
自分が教えたことが少しでも彼女の役に立ったのだという喜びと、他の人と共有されるという悲しみと。
二人だけの間で交わされた知識という存在価値が失われてしまうからだろうか。
それでも自分には、「話さないでくれ」と頼む気持ちはない。
そんなことを言ってしまったら、きっとこの人は困ってしまうだろうから。
だからせめて、今だけはそばにいてほしい。
「ナツさん、まだ時間あります?金魚のことについてもう少しどうです?」
「大丈夫です。桃城さん、話上手なので聞いてると楽しいです」
「あざっす!」
何気ない一言でどれほどこちらの心を揺さぶっているのか、この人は気づいていないのだろう。
それでもこの先輩が好きだというのだから、自分も面倒くさい男だとつくづく思う。
この気持ちを、いつかは伝えられるだろうか。
あと二分
―桃城武のささやかな願い
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