▼ いってらっしゃい
朝六時。
俺の朝は、この時間から始まる。
本当はもっと長く寝ていたい。
でも、この時間が朝練に間に合うか間に合わないかのギリギリの時間だ。
間に合わないと、朝から真田副部長の鉄拳を食らうことになる。
眠い目をこすって、部屋のドアを開けて階段を下り、洗面所に行けばそこにいるのはねーちゃんだ。
同じような眠い目のまま、とろとろとした動きで顔を洗ってる。
早く、と急かせば「んー」という投げやりな答え。
体をかがめて顔を洗うねーちゃんの後ろから鏡をのぞけば、今日も俺の髪はくるくるとはねていた。
この髪だけは、家族のどこからやってきたのかわからない。
他の家族と同じことは「真っ黒」ということだけで、こんなに自由に爆発してるのは俺だけだ。
全然水をすくえていないねーちゃんが前髪の一部を濡らしているけれど、その髪もストレートとはいかなくてもちょっとしたくせっ毛ってもんだ。
同じ姉弟なのにこの差はなんだろう、と思っていると朝からふつふつと怒りが湧いてくる。
顔を濡らしてやっと目が覚めてきたのか、タオルで顔を拭きながらねーちゃんは片目だけで俺を見た。
「おはよう。あんた今日も髪くるっくるだねー」
「うっせー」
朝から俺をイライラさせようとしているのか、ねーちゃんは毎日同じことを言う。
高校生になったらストパーでもかけてやろうと思うけど、きっと家族は反対するだろう、ついでに真田副部長も。
髪を傷めるのはよくない、というのが口癖だ。
俺の悩みを知らないくせして、勝手なことを言うもんだ。
それでも、ねーちゃんは洗面所から出ていく前にいつも言う。
「そのくるくるの髪、毎日見ても飽きないから私は好きだけどね」
ねーちゃんはずるい。
そう言われると、ほんの一瞬だけどこの髪もいいかなと思える。
まあ朝ごはんを食べる頃には、コンプレックスの一つになってるんだけど。
立海と氷帝に行くためには、俺の家からはバスが手っ取り早い。
バスを使うと立海までは10分もかからないし、氷帝までは20分。
立海くらいの距離なら自転車でも行けるし、俺もバスに乗り遅れた時は自転車をかっ飛ばしていく。
本当はもっと早く起きれば余裕でバスにも乗れるんだろうけど、そんなことするならぎりぎりまで寝ていたい。
でも、バスに乗るとねーちゃんとバス停まで行けるのだ。
朝だからお互いにテンションは低いけど、今日はなんのゲームをやろうか、とか英語の授業が憂鬱だ、とかなんでもかんでも言い合えるから楽だ。
立海と氷帝は真逆の方向のバスだけど、数分違いでバスがやってくるからバス停での待ち時間も退屈しない。
いつも先にバスに乗るのは、ねーちゃんの方だ。
このバス停から氷帝に向かう人は少ないみたいで、ねーちゃんの氷帝の制服は目立つ。
立海だらけの中で、今日もねーちゃんは一人立ち上がってこちらに手の平を向けた。
その手にパシンと拳を軽く打ち込めば、ねーちゃんは「行ってきます」と定期を見せながらバスに乗っていった。
「いってらっしゃい」
「赤也もいってらっしゃい」
俺が乗るバスももうすぐだ。
今日は真田副部長にあんまり怒られなきゃいいけど。
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