▼ 新種生物
この高校では見たことがないような、真っ黒なジャージを着た女子だった。
烏野高校排球部。
女子の中でも小柄な部類であろう彼女の背中にはその文字が刻まれていて、男は一人満足げな笑みを浮かべた。
中学時代のかわいい後輩がいる高校だ。
彼はきっと、すぐそばの体育館の中でトスを上げているはず。
自分と同じポジションであるセッターとして、この練習試合にやってきているはずなのだ。
しかし、おかしい。
たしか去年までは、烏野高校にはこんなに小柄な女子はいなかったはずだ。
マネージャーとして所属していたのは、女子にしては背の高いスラッとした眼鏡の美人。
「やあ、君一年生?今日、練習試合に来たんデショ?」
「え、あ、まあ」
「俺の名前、及川徹っていうんだけど知ってる?」
「すみません、知らないんですけど…」
「えー、残念。じゃあこの機会に覚えちゃおうよ!」
突然背後から掛けられた声に振り向く前に、声の主は紗代の横にやってきてドリンクを作る様子を眺め始めた。
隣で軽やかに話し出す「及川」と名乗る男に、戸惑いの表情を隠すことができない。
一体この男は誰なのだろうか。
真っ白な生地に所々爽やかな空色のラインが映えたジャージ。
身長も月島ほどではないが十分高いこの男は、きっと青城の人間なのだろう。
何年生かもわからないが、顔立ちはずいぶんと整った人だった。
180以上ある長身にこの顔ならば、さぞかしモテるだろうと思う。
この軽い話し方も、きっと女子受けがいいはず。
清水のような美女と並べばさぞかし絵になるであろう。
一方的に話しかけてくる及川に適当に相槌を打ち、水道の蛇口をひねった。
「あ、ドリンクできたんだ。じゃあ俺、体育館まで運ぶの手伝うよ」
「え?いや、いいですよ、自分で」
「女の子はこういう時に素直に頼った方が可愛いんじゃない?ほら、俺に任せて」
勝手に持論を展開し、ひょいっと軽い様子でジャグを持ち上げた及川に呆気に取られるも、紗代はあわてて頭を下げた。
在校生の人に手伝ってもらったことは、後で帰るときに青城の監督にも伝えておこう。
一方的に話を進めた及川は紗代の隣に並び、軽く鼻歌を歌いながら歩みを進める。
そういえば、彼はこちらのことばかり訊いてきてあまり彼自身の情報を公開していない。
何部に入っているかは知らないが、部活の時間もあるだろうし、わずか数十メートルの体育館までの距離とはいえ自分と付き合っていて大丈夫だろうか。
「あの、及川さん」
「なーに?」
「部活の時間とかいいんですか?」
「ああ、いいのいいの!もうちょっとしたら行こうと思ってるから。さて、ここからなら君でも運べるかな?」
烏野高校にもともといたマネージャーとは真逆に近いタイプの子が入ったものだ、と及川は思った。
小さくて、頑固で、ハキハキとした様子で。
大抵の女子ならば自分と初対面で話せば少しくらいこちらに興味を持ってくれるのに、彼女はそういったことがないように感じた。
いや、興味は持ってくれたものの、なんというか親しくなるための興味とは違う様子だった。
他校の女子と関わりを持てば、その高校の人間関係を引っ掻き回すことができると思ったのに。
つまんないの、と内心では思いながら及川は体育館出入り口のすぐ手前でジャグを彼女に手渡した。
「それじゃあ、またね」
「はい、ありがとうございました!」
「またね」の意味も知らずに、彼女はジャグを抱えたままあっという間に体育館の中へ引っ込んでしまった。
少しくらい、自分との別れを名残惜しんでくれてもいいのではないか。
今までの人生の中で女子からの評価はかなりの高水準を保つ及川にとって、自分に興味がない素振りをする女子は新鮮である。
烏野の先輩マネのように元々がクールなわけでもなさそうだったし、もしかして男子全般ではなく自分にだけ冷たいのだろうか。
「…つまんないの」
口に出した言葉は、いつまでも頭の中に反響するかのようだった。
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