▼ 理想の人
可愛くないクマのキーホルダーは、登下校の時に使うリュックに付けた。
少々の邪気ならば払いのけてしまいそうな、この冷めた視線。
お守り代わりに近いが、何もつけていない状態よりは少しだけ華やかさが出た。
月曜7時からの朝練。
余裕をもって30分前に着いた紗代は、用具庫からボールケースを取り出そうと一人躍起になっていた。
柄の折れた状態のモップや、跳び箱やらが邪魔をしてなかなか出しにくい。
前方があまり見えていない状態でボールケースを押そうとしていた彼女に気が付き、体育館に入ってきたばかりの少年は慌てて駆け寄る。
「わわっ、手伝います!」
「ありがとうございます…あ、おはよう、翔陽」
「紗代だったんだ、おはよう!」
おそらく現段階で紗代と一番仲がよいであろう男子バレーボール部員である、日向翔陽。
身長の低さにも馴染みがあり、同性と比べたときの切なさをお互いに語り合うのが日常である。
二人でボールケースを押していると、日向の横顔が暗い影を落としていることに気が付いた。
出会ってまだ一週間ほどだが、いつも元気な彼がこんな顔をしているとは珍しい。
「翔陽、どうしたの?」
「えっ、いや、別に!あ、明日の練習試合楽しみだなーって!」
「ああ、青葉城西だっけ。私はちょっと緊張してるよ、初めてスコアボードやらせてもらうから」
「あ、そうなんだ?」
わずかに緊張の色を見せて苦笑いをする紗代に、日向は驚いたように振り返る。
彼女も自分と同じで、初心者なのだ。
チームでプレーをすることに慣れていない彼と、マネージャーを始めたばかりの彼女。
ちびっこと揶揄される二人組は、お互いの拳を突きあわせた。
それぞれ頑張ろうという声が、朝の体育館に響き渡る。
ついに練習試合当日になった。
顧問である武田が運転するバスに乗り込み、放課後の部活の時間を利用して青葉城西高校へと向かう。
県内でも強豪として知られる青城との練習試合は一試合のみ。
お互いの実力を見るということに重点を置いており、技術力の向上は二の次といった様子だ。
そしてこの試合は、一年生が入ってから初めての本格的な烏野高校としての試合である。
紗代にとっても初めて他校に行って部活を体験するのだ。
青葉城西高校にバスが停まり、紗代は体育館へと真っ直ぐ向かう選手たちとは別の方向へと向かう。
清水と武田と共に職員室に顔を出してから体育館に行けば、そこは既に活気に満ちていた。
「ボール出しに行ってきます。紗代さんはドリンクの準備をしてくれる?」
「はい、わかりました」
体育館に入った瞬間に、青葉城西の男子バレー部員が隣の清水を見るのがわかった。
街中ですれ違ったとしても思わず振り返りたくなる彼女の整った顔立ち。
ましてや男ばかりのこの体育館の中で彼女を見たならば、目を奪われてしまうのも当然である。
しかしそんな視線にはまったく頓着しない様子の清水から指示を受け、紗代はジャグとドリンクを作るための粉末等が入った小さなカゴを両手に持って再び体育館を出た。
先ほどの清水を見ていて、改めて思ったことがある。
自分は、他校の男子までをも魅了する美人マネージャーの後輩として見られるということだ。
清水のように目を引く外見を持っているわけでもないし、マネージャーとしての腕前もまだまだ足りない。
けっこう責任が重い役割…かも
ここで弱気になっても仕方ないため、自分自身に喝を入れて歩き出す。
空っぽのジャグとはいっても、小柄な紗代が持っているとそれなりに重そうに見えるのだろうか。
青城の生徒らしき人に「手伝おうか」と声は掛けられたものの、丁重に断りなんとか水道へとたどり着く。
できるだけ一人でやれることを増やさなければ。
清水の跡を継ぐポジションにいるのだから。
理想の先輩を追う彼女の背中に、一人視線を留めた男がいた。
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