「兄者!!聞いていませんよ!!」
「どうした坊、朝から元気だな」



将棋会館に来てみると、そこにはひどく動揺した様子の弟弟子がいた。

弟弟子である二海堂にこれまで言っていなかったこと、何かあっただろうか。

同じ弟子同士としては穏やかな関係を築いていたのだと自分では思っていたのだが。

何を、とこちらが問う前に二海堂はさらに続けた。



「恋人が!できたそうですね!」



ああ、そのことか。たしかに自分には最近恋人ができた。

たまたま行った飲み屋で、たまたま隣同士に座った女性がその恋人だ。

名前は矢川さつき。年齢は三十代半ばで同じくらい。

ああ、この人といると穏やかな自分が保てるな、と気づいたときにこちらから交際を持ちかけた。

付き合うことになったのはつい最近のことだし、何より。



「恋人が出来たからってすぐお前に言うって、そんな学生じゃあるまいし」
「ああああ水臭い!なんて水臭いんでしょう兄者!!僕たちの関係はそんなものだったのですか!?」
「二海堂、朝から何を騒いでるんだよ……島田さん、おはようございます」
「おはよう、桐山」



何やら今日の二海堂は妙に熱い。身体の調子が良いのだろうか。

将棋会館のロビーの中でにわかに注目を浴び続ける二人組に近づいてきたのは、同じ研究会の仲間でもある桐山だった。

彼から見ても騒ぎの原因は二海堂にあるとすぐわかったのか、島田に対して憐みの視線を向けている。

一連の話の流れを聞いても特に驚く様子も見せず、それどころか納得したように頷くばかり。

何を大人ぶった反応をしているんだ、と言いたげな二海堂の表情に対して、桐山はメガネの位置を静かに直してから口を開いた。



「島田さんに恋人ができるなんて当たり前じゃないか。こんなに性格が良くて、背も高くて、将来性もあって、むしろなんで今まで恋人がいなかったのか不思議なくらいじゃないか」
「それは……たしかに……」
「僕たちに言わなかったのも、まだ付き合って日が浅いからなんじゃないかな。隠そうとしていたようには思えないけど」
「なるほど……」



桐山、ありがとう。ただ少しばかり自分のことを言われてると思うと照れくさい。悪い気はしないが。

無事に二海堂の表情も険しいものではなくなったところで、一つの疑問が浮かぶ。

一体彼はどこでそんな情報を仕入れてきたのか。

付き合ったばかりということもあり、棋士仲間どころか友人の一人にすら話していないはずなのだ。

つまりは島田かさつき、どちらかしか知らない事実なわけであり、そうするとまさか。



「坊、まさかお前はさつきさんと知り合い……?」
「……フッ、そこで彼女の名前を出してしまうのが島田の青いところだよな」
「会長!?」



島田の背後からポンと肩をたたきながら現れたのは会長である神宮寺。

将棋会館の中でもなかなか偉い立場にいる人物なのだが、この会長の意味深な笑顔と言葉。

そしてなぜか手に持っているのは―……。



「なんで会長がさつきさんの写真持ってるんスかね!!?」
「そんなに褒めるな褒めるな、有能な会長でごめんネ」
「ダメだ話が通じない!!」



「へえ、この人が兄者の恋人なんですね」「綺麗な人ですね」と暢気に会話を交わしている弟弟子や研究会の仲間の言葉は一切耳に入らず、島田は目の前で写真をちらつかせる会長の手元に五感のすべてを集中させる。

いや、この人は本当に何故恋人の写真を持っているんだ。

一体どんなルートで?まさか彼女の父だった?

いやそんなはずはない、将棋は自分でやったことはほとんどなく、やるとしても彼女の父が趣味で嗜む程度だと言っていた。

さすがに将棋連盟の会長までやっている人物のことを「将棋は趣味で嗜む程度」とは言わないだろう。

今すぐ彼女に真相を聞いてみたいが、今はまだ一日が始まったばかり。

会社員であるさつきも今から仕事をスタートさせるところだろうし、連絡を取るにも夜になってしまうだろう。

ああ、もどかしい。そしてその写真をください、会長。



「さあさあ、ロビーで騒いでないでさっさと散れ!」



会長の一声で、あっという間に散らされてしまう自分たちが憎い。

結局写真の件は彼女に聴いてみたところ、「神宮寺さんね、父の知り合いです」とのこと。

世界の狭さに改めて頭を抱える島田なのであった。





END
2019/02/24

(20万ヒット企画)葵様へ

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