これは駆け引きというものなのだろうか。 将棋会館の職員や、将棋連盟に所属するプロ棋士たちが行きつけのスナックに、今夜は男女合わせて三人でやってきていた。 「今夜は」といっても、このスナックに来るとき、さつきがいつも一緒に行くメンバーは決まっていた。 プロ棋士である三角龍雪と、島田開。 どちらも背が高いという点は共通しているものの、漂う雰囲気はまったく違う。 二十代である三角は眼鏡をかけていて、軽い口調に誰とでも合うようなノリ。 一方で島田は三十代にして落ち着いた雰囲気を纏い、穏やかに笑うような人。 そんな人々と一緒に飲みに来ているというのはさつきにとっても不思議なことであるが、このメンバーでのお酒は楽しいのだ。 気を遣いすぎる必要もなく、かといってゆるすぎることもない。 正確にはこのメンバー三人に合わせ、もう一人女性を加えたお酒の場が楽しいのだ。 「こんばんは。あかりさーん」 「あら、さつきさんいらっしゃいませ。それに島田さんにスミスさんも」 艶のある黒髪を首の横に流し、柔らかく笑って出迎えたのはたおやかな美人。 男性ならば、一度は心奪われる女性だと思う。 同性のさつきであっても惚れてしまうような気づかいのできる女性で、彼女がいる酒の席は華やかだ。 四人掛けの席でテーブルを挟んで座る向かいには、あかりと島田。 さつきの隣にはスミスがおり、過去の恋愛遍歴について語り合っていた。 酔いが回りはじめたのか、わずかに頬を赤く染めた彼の横顔。 目の前にあるその顔をさつきが気にしている様子に、スミスが気づかないはずがなかった。 向かいの席の二人には聞こえないように、声を落として耳に口を寄せる。 「そんなに見てたらバレバレだよ、さつきちゃん」 「…もう、わかってるくせに」 「アハハ、さつきちゃんをからかうの楽しいもんだからつい」 スミスには、話してあったことだった。 自分が島田開が好きだということを。 だからこそ、さつきにとってこの四人での飲み会は楽しくもあり、つらいことでもあった。 親しげに話すあかりと島田を見ているのは、正直言って嬉しいものではない。 一度スミスが気を利かせてさつきと島田が隣同士の席になったこともあったのだが、緊張が絶えなかった。 とても楽しめる酒ではなく、なにか粗相を起こさないかと神経が張り詰めっぱなしの席だったのである。 自分がいかに面倒くさいかはわかっている。 「人を好きになるって難しいね、スミスくん」 「えー?哲学的なこと言うね」 難しい顔をしたさつきの肩を、軽い調子でスミスが叩く。 その様子を見て、小さくため息をついた男が一人。 彼女があんな顔をして、真剣に悩みを相談してきてくれたことがあっただろうか。 彼女にとってスミスはその顔を見せるに値する男であり、自分はまだその領域に達していないのだろう。 こうして月に一度くらい飲みに行くことはあれど、それ以外は将棋会館で出会ったときに話をする程度。 ああ、でも、彼女がお酒を飲んだ時の顔が好きだ。 少し赤くなった顔で、いつも以上にニコニコと笑っていて。 一度隣の席になったときは、緊張のあまりその顔が直視できずに困ったものだった。 三十をとうに過ぎているというのに、学生の頃のような恋愛。 「島田さん、さつきさんのこと見すぎですよ」 「え?ああ…すみません」 「ふふ、微笑ましいです。…あら、スミスさん今夜は随分と」 不意に言葉を止めたあかりにつられるかのように、島田は視線を目の前のスミスへと移す。 そこにいたのは、顔を真っ赤にした眼鏡の男。 テーブルの上には空になったコップがあったものの、泥酔するほどの量は元々から出されていない。 いつも周りを気遣っている彼が、このような顔色になるのも珍しい。 わずかな酒でも気分がよくなったのか、スミスは赤い顔ながらもハッキリとした口調で話し出した。 「付き合えばいいと思うんですよ」 「え?」 「両想いのくせに二人だけじゃ話せないとか!どこの学生だって話ですよ!」 「…うん?」 視線はしっかりと定まっているのが逆に怖い。 主語は言わずに言葉を漏らすスミスに、さつきと島田はあっけにとられながらも首をかしげる。 あかりは誰に対して言われているのかわかっているのか、くすくすと笑いをこぼすだけ。 理解していない様子の二人組を見比べ、スミスは言い切った。 「さつきちゃんに島田さん!両思いなんだから付き合ってください!」 「え?」 「スミス、お前何言って…!?」 爆弾発言を残した張本人は、満足したのかすぐに眠りに入ってしまったようだ。 寝息を立て始めた一人の男の顔に、呆然とした二人の視線が集まる。 あかりは相変わらずの笑みを浮かべて席から立ち上がり、店の奥へと消えていく。 「あー…付き合ってくれますか…ね?」 「こ、こちらこそ…お願いします」 大人の顔を見せるスナックで、場の雰囲気のそぐわないような初心な会話が交わされる。 仕掛け人の男は、口の端で小さな笑みを浮かべて瞳を閉じていた。 日が経ったなら、今度は昼間に確認してみよう。 酒の席だけではなく、きちんと交際が始まったことをお互いに認識してもらわなければ。 END 2013/08/11 (1周年企画)朔良様へ ←短編一覧 |