開君に彼女が出来たんだって、と聞かされた時はショックだった。 自分が島田開という男に長年片想いしていることを知っているくせに、母は世間話のついでのように教えてくれた。 五つ年上の近所のお兄さん。 小さい頃から同年代の男子と比べてもひょろっと背が高く、痩せていた。 穏やかに笑って、年下のさつきにも優しく接してくれた。 さつきにとっては初恋の人である。 彼女が出来た、と聞いた日の夜は布団の中でじっとくるまって泣いたことを覚えている。 さつきが小学六年生であり、島田は高校二年生。 彼には恋人が出来たってなんらおかしくない年頃だったはずなのに、あのころの自分は受け入れられなかった。 今でも、彼の初めての彼女という存在には嫉妬してしまう。 「おー、でっかくなったな」 「子ども扱いしないで!」 「…すまん」 自分が思春期真っ盛りの頃は、島田にも迷惑を掛けたものだった。 ある時は笑顔で島田に話しかけ、またある時は島田からの声掛けに不機嫌そうに反応して。 自分でも自分がわからなくなる、不思議な期間だった。 そしてその期間の間はさつきも人並みに恋愛をして、恋人もできたものだった。 初恋の感情など忘れたのだと、そう思っていた。 思春期を抜け出し、やっと大人の第一歩の落ち着きを見せ始めたさつきの近くからは既に島田は消えていた。 中学生のころからバスで何時間もかけて通っていた奨励会を勝ち抜き、プロ棋士になったのだ。 当然地方である山形にいられるはずもなく、さつきが中学三年になるときには東京での暮らしを始めていた。 島田のいない生活は、思ったほど彼女に心の傷を負わせることはなかった。 自分も多くの恋愛をして、島田以上の素敵な人を見つけるのだ。 そう思っていたのに。 「開君ももう30歳かあ、彼女は?」 「この前振られた。さつきは?」 「私もこの前別れたよ」 「へえ、どっちだ?」 「…振った方」 「…男は弱いもんだよ」 今では二人で、適当なバーで時々飲んだりもする。 異性の幼馴染としては、随分と長い付き合いになったものだと思う。 諦めたような表情で首を横に振る島田に、さつきは笑顔を向けた。 彼は確かに初恋の人。 そして今でも、幼馴染の悩みを聞いてくれるお兄さん。 それ以上のことを思っているなんて、彼に言えるはずもない。 彼にとって自分はいつだって、近所に住んでいた年下の幼馴染なのだから。 気持ちを前に向けるため、別れた彼氏についての愚痴をゆっくりと吐き出すさつきの横顔を島田はまっすぐ見つめる。 そして小さく息を吸ってから口を開いた。 「俺が彼女に振られた理由、なんだと思う」 「え?優柔不断とか?」 「私じゃなくて別の誰かを私の中に求めようとしてる、って」 「…浮気?」 「いや、してない。しかしあっちから見たら、最初からそういう感じだったらしい」 島田からしてみれば、自覚などまったくなかった。 彼女に別れを切り出された時は、意味が分からなかった。 そして理由を言われても、最初は信じようとしなかった。 まるで彼女の中に別の女性の姿を見ている嫌な男のように言われて、腹が立った。 しかし、だんだんと意味が分かってきたのだ。 彼女と別の女性を比較して、「あいつならこんなことはしないだろうに」と考えている自分の存在に気付いたのだ。 震える手で口を覆った島田に対し、恋人だった彼女は言った。 「気づいてないんだろうけど、あなたずっとその人のこと好きなのよ。私と出会う前から、ずっと」 高校生の頃に初めてできた彼女にも言われたことがあった。 あの幼馴染の女の子に話しかける島田君は幸せそうだ、と。 あいつが小さな頃から成長を見守った兄のような気分だった。 それが兄のような気持ちではなく、恋愛感情だと知ったのは十年も二十年も経った後。 無意識のうちに、さつきと他の女性を比較していた。 どんなに離れていても、彼女ならこんなことをするのだろうといつも考えていた。 頭の片隅にはいつもさつきがいて、忘れることなどできなかった。 「さつき」 「うん?」 「ずっとお前が好きだったことに気づいたのは最近だ」 願わくば、一度チャンスをくれないだろうか。 幼馴染から一歩踏み出す、その勇気を。 END 2013/05/12 (1周年企画)なつ様へ ←短編一覧 |