体温計の温度、38度。 最悪のタイミングだ。 そうは思っても、なってしまったものは仕方がない。 彼には謝罪のメールをして、今日は安静に過ごそう。 こういう時は早めに病院に行くのが得策である。 頭の中に鳴り響くかのような痛みに耐えながら起き上がり、さつきは外に出た。 熱に浮かされた自分の足取りは想像以上に頼りない。 偶然外で掃除をしていた大家の夫妻に今の状況を話せば、病院に付き添うことを申し出てくれた。 その優しさを有難く受け取り、さつきは大家に付き添われながら病院へとタクシーで向かう。 困ったときはお互い様、という言葉が脳裏によみがえった。 今度大家さんに何か困ったことがあったなら、必ず助けよう。 そう心の中で誓いながら病院に向かい、診断された結果は風邪。 とりあえずインフルエンザではなかったことに安堵し、処方された風邪薬を持ってアパートへと戻る。 お見舞いの品はもう届けてあるから、という大家の言葉に若干の疑問を抱くも「ありがとうございます」と頭を下げた。 病院に付き添ってくれていたにもかかわらず、もうお見舞いの品を届けたとはどういうことなのだろう。 玄関のドアノブにでも掛けてあるんだろうか、と思ったものの、部屋の前には何もない。 鍵を取り出して回してみるも、なぜかカチャリとドアの開く感覚がない。 この風邪で頭が鈍っているのだろうか。 ドアノブを回したまま動こうとしないさつきに、突如として思いがけない方向から力が加えられた。 「おかえり」 「……え、あ、開?なんでここに」 「話は後だ。とりあえず中に入って横にならないと」 突然開いた玄関にドアノブを持ったまま押し戻されるも、すぐに何者かの腕によって支えられた。 気が付いたときには肩まで抱かれ、部屋の中へと通される始末。 なぜここに彼がいるのだろう。 そう一瞬思った後に、さつきは気を失った。 次に記憶にあるのは、彼の横顔だった。 眉間にしわを寄せたままどこか一点を見つめていた島田であったが、さつきが起きたことに気が付くとこちらを向いて小さく笑う。 「…開」 「ああ、まだ起き上がらなくていい。熱だってまだ下がり切ってないんだから」 起き上がろうとしたさつきを制し、島田はやんわりと彼女を布団の中へと押し戻す。 島田が彼女の体調不良を聞いたのは、彼女のアパートの大家からだった。 彼女の恋人として日ごろから頻繁に接していたせいか、携帯電話に直接連絡があった。 大家である夫妻の奥さんがさつきの病院に付き添いで行っていること、その間に彼女の部屋に来てほしいこと。 いくら恋人とはいっても勝手に部屋に入るのはまずいのではないかと思ったが、大家の言葉に背中を押された。 病院に向かうタクシーの中で、さつきが島田の名を呼んでいる。 そろそろ対局が始まるシーズンのためか、彼女は島田自身以上に彼の体調を気遣っていた。 万が一彼がインフルエンザにでもかかってしまったら、大きな影響が出てしまう。 その思いが先行し、彼女は彼に頼り切れないでいるようだ。 「こんな時くらい、甘えてくれ」 「ごめん」 「…こういう時は謝罪じゃないと思うぞ」 「…ありがとう」 「今日は一日隣にいるからゆっくり休むこと。いいな?」 特殊な職業に就いていることで、人並み以上の神経を使わなければいけない。 そのことで苦労をかけてしまうことも多いだろう。 それでも彼女と寄り添っていたいのだ。 熱によって熱くなった彼女の手を、再び強く握った。 END 2013/04/14 (1周年企画)ソラ様へ ←短編一覧 |