大学を出て、初めて地元を離れた。 就職先は東京。 小さい頃からずっと憧れていた都会だ。 夜になっても明るさは消えず、いつまでも賑やかさが残る場所。 そうはいっても都内に知り合いが特別多いわけでもなく、せっかく東京に引っ越してきたというのに寂しさは消えない。 入社式まであと一週間はあり、それまでこの寂しさに一人耐えなければならないのだろうか。 しかしそこで、一人の顔が思い浮かんだ。 四つ年上の幼馴染だ。 この一、二年はお互いの都合が合わずに顔を合わせていないが、ちょくちょく地元に帰ってきているらしいあの男。 考えてみれば、あの男は東京に住んでもう数年になるはずだ。 久しぶりにメールをしてみよう、と当たり障りのない連絡をしてみればその数分後には返信があった。 しかしその文面を見て思わず出てしまったのはため息だった。 「うん、それでなんだっけ?桜の話だっけ?」 「お前は相変わらず人の話聞かない奴だな、さつき。山だ、櫻井岳人先輩だ!」 「一砂君こそ相変わらず…」 「俺がなんだ?」 「いや、なんでもない」 相変わらず単純だね、なんて言ったら横でお酒を飲んでいる幼馴染はどんな反応をするのだろう。 寂しさに耐えかねて送ったメールの返信には、まず最初に飲みの誘いがあった。 さつきも成人したのだから一緒に酒を飲んでみないか、という嬉しい文面である。 しかしその後に続けられた文章に、さつきはある程度のことを察した。 ああ、この幼馴染は現在「山」と「櫻井さん」という人に夢中なのだろう、ということを。 小さな頃から恐ろしいほどすべての物事に一直線だった幼馴染、松本一砂。 好きと決まったらその物事に突き進み、他の者にもいかにそれが素晴らしいか熱弁を奮う。 「一砂君さ、変な通販とか引っかかってない?大丈夫?」 「ぬう!?俺がそんなものに引っかかるとでも?」 「うん、一番引っかかりそうなタイプだよね」 酒の入ったグラスを握り締めてこちらを唖然と見る一砂をちらりと見ることもなく、さつきは一口酒を押し込んだ。 次の瞬間には机に伏せて落ち込みを全面的にアピールしている幼馴染に、思わず小さく笑ってしまう。 本当にどこまでも一直線な人だ。 それは脆さも含んでいるが、並大抵の人間ではそんな生き方をしていてはとても身体がもたないようなもの。 久しぶりに会っても彼の生き方は変わっていなかった。 そのことに妙に安心させられた。 少しだけ故郷の匂いを思い出したともいうのかもしれない。 「えーと、一砂君は櫻井さんって人と山にでも登ったの?」 「おお、よくわかったな!さすがさつきだ」 「そりゃどうも」 初めて都会で感じた孤独を振り払ってくれる幼馴染の話に付き合おう。 どんな話であったにせよ、今なら笑って聞いていられる気がする。 一砂君らしいね、と言いながら楽しく酒が飲めそうなのだ。 山の素晴らしさから櫻井さんという人の素晴らしさに話がすり替わっていた経緯を辿らなかったならば、その幻想も抱いていられたのかもしれない。 しかしどんどんと顔を輝かせながら「櫻井さん」なる人のことを語られては、こちらも一歩身を引くしかない。 カウンター席で隣り合って座っていたが、間に一席置きたいくらいである。 飲んでいたスナックの女性も「あらあら」とにこやかに熱く語る様子を見ているが、久々に見た幼馴染の熱すぎる側面はあまりにも強烈だ。 「…その櫻井さんって人は一般の方?」 「プロ棋士の素敵すぎる先輩だが、それがどうした?」 「うん、ならいいの。怪しげな宗教には気を付けて」 「ふむ、さつきもその手のものには気をつけるんだぞ。一応女だからな」 「一応は余計だけど、ありがとう」 たまに会うだけで十分だが、会えなければ寂しくなる存在。 なんだか不思議な存在ではあるが、その役回りも彼にしかこなせないだろう。 これからも、この先も。 END 2013/04/08 (1周年企画)化合物様へ ←短編一覧 |