どんな顔をして出迎えればいいのだろう。

名人戦が終わり、あと一勝というところでタイトルを獲ることができなかった自分の恋人。

今日は彼が帰ってくる日だ。

午前中の新幹線で帰ってくると昨日の晩に電話があったから、そろそろ帰ってくる頃だ。

落ち着かずにマンションの一室の中を歩き回っていると、玄関の方から鍵を開ける音がした。

ここでうだうだと悩んでいても仕方がない。

お疲れ様、の一言を彼に伝えよう。

それから先のことは、後で考えればいい。

リビングの扉を開けると、廊下の先でこちらに背を向けて靴を脱いでいる姿が目に入った。



「おかえりなさい。お疲れ様です」
「ああ、ただいま」



背中に向けて掛けられた彼女の言葉に、隈倉は表情を和らげて振り返った。

和らげたとはいっても眉間にシワが寄ったままで、口元も真一文字に結ばれたまま。

それでも目じりがわずかに下がったその表情は、恋人のさつきにとってはすぐわかる変化。

真っ黒なコートを脱ぎながら、隈倉は手に持っていた土産を彼女に手渡した。

紙袋に入ったお土産の中身は、名人戦の行われた地方では高級メーカーとして有名な洋菓子店の缶入りクッキー。

ちらりと覗いたさつきが顔に満面の笑みを浮かべ、着替えるために自室へと入っていこうとする隈倉に明るく声を掛けた。



「今からお茶の準備しますから、一緒に食べましょう!」



隈倉が何かしらのリアクションを起こす前にキッチンへ向かっているさつきに小さく息をこぼし、着込んでいたスーツの襟に手を掛ける。

いつでも明るい彼女には救われる。

あまり話すのが得意な方ではないため、隣に明るい彼女がいるとホッとするのだ。

何も言わずとも自分の考えを汲み取ってくれる上に、少々お転婆な彼女。

さつきに出会えてよかったと心の底から思うと同時に、和服の帯を締めた。

移動時にはスーツを着ていることが多いが、やはり和服は落ち着く。

やっと家に帰ってきたと実感しながらリビングに向かうと、その隣の和室でさつきはせっせとお茶の準備をしていた。

ちゃぶ台の上に置かれたクッキーの蓋は開けられ、急須と湯呑二つがその脇に置かれている。

隣り合うように並べられた座布団の一つに腰を落ち着ければ、そのすぐ隣にさつきが座り込んだ。

その顔を見るやいなや、隈倉が静かに口を開く。



「……さつき」
「はい?あっ、どのクッキーがいいですか?いっぱいありますよ!」
「つまみ食いしたな?」
「うっ!?」



パッと口を手で押さえたさつきに、ちらりと視線を向けてからクッキーの缶を見る。

重ねられたクッキーの中で一つだけ凹んでいるラインがあり、誰かが食べたのだということは容易にわかる。

視線に耐えかねたのか、「ごめんなさい」と謝るさつきの声を聴きながらクッキーを三枚ほど掴んだ。

別に本気で怒っているわけではない。

少しからかってやろうと思っただけ。

あっという間に口に放り込んだ隈倉は、しばらくした後に再び口を開いた。



「うまいな」
「でしょう?私も美味しいと思いました!あ、電話だ」



立ち上がってリビングへと走っていくさつきの後ろ姿を見送りながら、クッキーへと手を伸ばす。

パタパタと落ち着きのない彼女だ。

だからこそ、見ていて楽しいという部分もある。

名人戦で張りつめていた緊張感から解放された喜びを噛みしめていると、突如リビングの方から大声が上がった。

何事かと立ち上がりそちらを覗いてみると、電話をしている彼女の顔が青ざめている。

どうしたのかと近寄っていくと、電話の送話器を押さえて小声で訴えてきた。

一体何があったというのか。



「健吾さん、旅館の壁に穴開けたって本当ですか!?」
「……すまん」
「もう!悔しいからって物に当たるのはやめてください!…あ、すみません、ペナルティーでもなんでもどこでも解説に行かせてください。はい、灼熱のデパートの屋上でも!」



どうやら将棋連盟の会長からの電話だったらしい。

昨日泊まった旅館の部屋に穴を開けたことは申し訳ないと思っている。

悔しさをどう表現すればいいのか思案する前に、壁を蹴破ってしまっていた。

以前にも悔しさのあまりに自室の壁を蹴破ったことがあったのだが、その時のさつきの悲しげな顔が忘れられなかったため、今回は旅館の部屋にしたのだ。

ペナルティーはいくらでも受けるつもりであったが、まさかさつきにバレてしまうとは。

これではまた彼女に悲しい顔をさせてしまう。



「一緒に旅館に謝りに行きますよ!もう一度新幹線に乗りましょう!」
「……うむ」



電話を切ってからすぐに手を引っ張る彼女につられ、隈倉はリビングを後にした。

時にしっかり者の面を見せる彼女は、隈倉にとって何より大切な存在である。



END
2013/03/29

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